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3.朝食と来訪者

 自室から階下に降りた少女は、まず洗面所で口を漱いだ。ついでに鏡を睨み付け吹き出物ができていないか入念にチェックする。どうやら大丈夫らしいことに安堵しつつ、そのまま空色のパジャマを脱ぎ散らかすと浴室に入った。キュ、とひねる音からシャワーが始まる。


 十五分後、鼻唄混じりに浴室を出た少女はバスタオルで身体を拭い、干してあった下着を身に着けると頭を拭きながらリビングへ出る。食卓に置いてあるリモコンでテレビの電源を入れると、チャンネルをニュース番組に合わせ、今度はキッチンに入り、昆布を入れ水を注いだ鍋を弱火に掛けつつ米をとぎ始める。手慣れた様子でそれを炊飯器にセット、炊飯を開始すると、一旦それらをそのままに一度洗面所に戻る。


 洗面所からリビングに戻ってきた少女は下着姿のままだが、手にはドライヤーが握られていた。それをいているコンセントに繋ぐと、垂れ流される芸能ニュースをぼんやりと眺めつつ髪を乾かし始める。あのスポーツ選手が結婚した、この芸能人が不倫した、などという誰の毒にも薬にもならないであろうニュースを見るともなしに見ながら、長くつややかな髪を気だるげな表情ながら丁寧に乾かしていく。おおよそ終わったところでドライヤーを置き、立ち上がると壁に掛けてあった服を取り、テキパキと身に着けていく。学生服だ。姿見で崩れがないかチェックした後、その足でキッチンへ入り、制服の上から『さなか』と刺繍ししゅうの施されたエプロンを装着すると、まずは熱している鍋を覗き込む。

 鍋は水底に気泡を蓄えている。頷いた少女は菜箸で昆布を抜き取り、味噌を溶かし始めた。二度ほど味をみて調節すると、冷蔵庫からいくつかの食材を取り出す。包丁とまな板を水にさらすと、その上で長ネギ、油揚げを適当に刻み、鍋に投入する。

 変わらず弱火で加熱しつつ、その横に置いたのはフライパンだ。火をつけ、薄く油を敷いておく。次いでボールに生卵をふたつ割り、大匙で砂糖を目分量で加え、溶いていく。手は動かしつつフライパンの加減を見計らうと、敷くように溶き卵を広げる。頃合いをみて手際よく巻いていく。火を消し、フライパンの上に載せたまま包丁で五つほどに切り分けると、出してきた小皿に移す。その間に味噌汁の火も止める。

 味噌汁を椀に注ぐ頃に炊飯器が炊き上がりを知らせてきたので、卵焼きと味噌汁を食卓に運んでから米をよそいに戻る。一杯分の米と、冷蔵庫から納豆をひとパック取り食卓につく。

 少女が納豆を開け、醤油とからしを投入、箸で練り始めた頃に、ニュースが芸能から経済に切り替わった。


『続いてのニュースです。本日未明、ドイツの大資産家ヨハネス・グレゴール氏が死去しました。九十九歳、老衰とのことです。ヨハネス氏は世界屈指の資産家で、四十年連続で世界富豪ランキングトップに位置付けている人物でした。そして日本時間の今現在、ドイツにてヨハネス氏の遺言書の開示会見が行われております。中継が繋がっております――』


 女性アナウンサーの呼びかけで、画面が切り替わる。マイクを持った男性記者が神妙な面持ちで荘厳な佇まいの建物の前に立ち、あれこれと説明を始める。画面の後方には他にも、世界各国の記者が自国のカメラへ向けて話している。凄いな、と少女は納豆を練りながら漠然と思った。ヨハネス・グレゴールと言えば彼女だって聞いたことがある。戦後混迷期に突如として頭角を現し、重工長大産業で一大勢力を築き上げると次々と他の分野へ進出。風呂敷を広げ過ぎればどこかで綻びの生まれそうなものだが、常に時勢の先を取るヨハネスに失敗は一度としてなく、いずれの業界においてもあっと言う間に不動の最大手となる。その個人資産力は他の追随を許さず、国を買えるほどであるとの噂もある、とのことだ。全て高校の経済担当教師の受け売りだが。


 そのヨハネスが、死んだらしい。


 となれば、最も問題になるのはその遺産の行方だ。ヨハネスは生涯独身であり、子息はない。間もなく自らを愛人と名乗る人間や隠し子を自称する連中が殺到するだろうが、その機先を制しての遺言書の開示だ。

 利権と、資産。それらは、誰の手に渡るのか。世界中のあらゆる人間の注目を浴びている。


『では、間もなくヨハネス氏の遺言書開示会見が始まります。会場へ切り替えます――』


 記者が言うと同時に画面が室内の映像へと切り替わった。前方のドアからスーツ姿の外人が数人入ってくる。一斉に焚かれるフラッシュを浴びながら、数人は厳粛げんしゅくな面持ちで前方所定の席につく。

 一拍置いて、中央のひとりが立ち上がり、マイク前に立った。咳ばらいをひとつ置いてから、重々しく口を開く。発言は勿論英語なわけだが、即時翻訳されて画面隅に字幕が表示される。

『なによりも前にまず、亡きヨハネス氏の冥福をお祈りさせてもらう』

 言下に十字を切り、瞑目した。他の面々も合わせて同様にする。

 数秒の後、男は再び口を開いた。

『ではこれより、ヨハネス氏の遺言書を開示させていただく。私は生前にヨハネス氏から依頼されていた代理人だ。断っておくが、これについては我々も同様に内容は知らされていない。これが初めての開封となること、誤解のないように』

 言い、おもむろに懐から封筒を取り出した。古風にも蜜蝋で封をしてある封筒、それが未開封であることを示すように一同に示した後、ペーパーナイフで封を切り、折り畳まれたそれを広げていく。


『では――』


 咳払いを置き、男は読み上げ始めた。一番初めにあるのは、ヨハネスからの挨拶文だ。世話になった人々に短いメッセージが述べられている。そして己の一生を振り返る一文。

 次いで、いよいよ遺産の分配に移る。会場のみならず、全世界の誰もが前のめりになった。次々と挙げられていくのは、ヨハネスが有していた利権の数々だ。齢九十九にして己の築いてきた企業などの最大株を保有し続けていたヨハネスの利権は、しかし誰へと名の挙げられることなく間断なく次の利権へ移っていく。この辺りで、違和感を覚えるものたちが現れ始める。ヨハネスは利権は持っていたが、晩年は実権まで握っていたわけではない。経営を任せられたものたちがいるのだ。ならば通常、ヨハネスの利権は彼らに分配されるのが妥当なはずだが、しかしどうもそうではないらしい。

 羅列が続く。省略は一切ないようで、遺言書の紙面の大半がそれで埋まっている。だが譲渡先の人間は一度として指名されない。どういうことだ、と誰もが固唾かたずを呑んで見守っている。

 そして、とうとう全ての遺産が読み上げられたところで、遺言状は佳境に入る。

『以上、ヨハネス・グレゴールの所有する全ての利権、財産を――』

 と、そこまで滑舌よく読み上げ続けていた代理人の言葉が、止まった。唖然とした表情で目を見開き、己の開いている書面を凝視している。

 固唾を呑んで指名の言葉を待ち構えていた報道陣が、代理人のただならぬ様相にざわめき出す。様々な言語で催促が飛び交う中、ようやく我に返った代理人は手で会場を制し、額の汗を拭うと高らかに読み上げた。


『全利権、遺産を、『サナカ・スザキ』に継承することをここに記す! 上記の者の詳細は別紙に記載してある通りである! 以上!』


 最後には叫ぶような勢いで言い切った代理人は、想定外の事態に呆然とし、しかしすぐさま怒声の飛び交い始めた会見会場から逃げるようにして出ていってしまった。扉に報道陣が殺到するが、警備員たちに阻まれる。

『こ、これは一体どういうことでしょうか! ただいま発表された人物ですが、私には日本人の名前のように聞こえました! どのような人物なのでしょうか! こちらの資料、ヨハネス・グレゴールの関係者には、先程述べられた人物の名はありません――』

 日本の記者も血相を変えてリポートしている。その様を、納豆を練りながら聞く少女は特に慌てるでもなく聞いている。なにか、大変なことになっているようだ、と。

 しかし、ことが起こっているのは外国で、まして一介の高校生である自分とはまるでかけ離れた世界での出来事だ。全く無関係にしか思われないというのが本音である。他人事以外のなにでもない。

 強いて思うところを述べるなら、どうやらその遺産とやらを引き継いだのは、自分と同姓同名の誰からしいということくらいだ。

 その誰かさんも大変だな、と思う。大富豪とどんな関係にあったのかは知らないが、これからの人生はスリルとサスペンスに満ちたものになるに違いない。そういう展開の外国映画をこの間に観た。他人事でなければ楽しめない。

 と、納豆をいい具合に練り上げたとき。



 インターフォンが鳴った。



 あ? と少女は口を開けたまま止まる。こんな平日の早朝に、来客の予定などない。しかし居留守を使おうかと動かずにいると、その来客は寝てるなら起きろとばかりにしつこく連打し始めた。少女は寸前まで運んでいた納豆を口に入れようか逡巡し、吐息まじりに箸を置く。誰であれ、納豆くさい状態で会いたくはない。

 エプロンを外し、姿見で軽くチェックすると、未だ連打を続ける来客へ向かう。はいはいどちらさま、と戸を開けた。

 漆黒長身の男が立っていた。

「……え、どちらさま?」

 完全に想定外の来訪者に、少女は思わず首を傾げる。その様子を、インターフォンに指をかけたまま男は鋭い目つきで見下ろし、


「…………」ピンポーン。

「いや、出てきてるんだからもう押すなよ」


 何なんだ、この人、と見上げる少女に、ふむ、と男は頷いた。

「洲崎・さなかさんはいらっしゃいますか」

 低い、しかし清涼感のある声だ。その問いに、え、と少女は再び首を傾げる。

「洲崎・さなかはあたし、ですけど……」

 男に見覚えはない。流暢に日本語を話したが、一見しただけでも日本人ではないことはさなかにもわかった。黒髪黒瞳からは東洋人であるという以上のことはわからないが。怪しい宗教の勧誘か。身に纏っているスーツもシャツもネクタイも、果ては靴に革手袋まで一分の隙も無く漆黒の出で立ちだ。怪しいこと極まりない。こんな時間であることも併せると迷惑が倍乗せなので全力で戸を閉めて警察を呼ぼう。

 などの思惑のもと、警戒心を秘めながら応じたさなかに、え、と今度は男の方が驚いた顔になる。一歩退き、三秒とっくりとさなかを眺め、歩を戻し、


「洲崎・さなかさんは女性と聞いていますが……?」

「あたしは女だよ!?」


 びっくりするほど失礼なもの言いだ。さなかは髪や顔立ちは勿論、学生服だって女子用のスカートだ。誰にも恥じることのない女子である。しかしなおも男は訝しげな表情を崩さず、

「いや、しかしそんなまな板で女性を名乗るには無理があるかと」

「誰がまな板とな!?」

 さなかは目を剥いて己の胸を鷲掴む。ある。確かにある。ブラだってちゃんとカップのあるやつだ。というか、

「び、Bはあるんだからねっ」

「おやおや、はっはっは、Bカップ程度で女性を名乗るとは片腹痛いですね。私は例え成人していようとDカップ未満を女性とは断固として認めませんよ」

「ド畜生がっ」

 どうやらこの男は、女の敵だったらしい。

 憤るさなかに構うことなく、男はもう一度、さなかを頭頂から足元まで確認する。その間にも懐から何やら書類を抜き出し、畳まれたそれを広げつつさなかと見比べる

「まあ戯言はともかくとして、確かに洲崎・さなかで間違いないようですね……では、失礼」


 言うなり男はさなかの横をすり抜けるようにして言えの中に上がり込んできた。は? と唖然とするさなかは先程までの警戒心も虚しくそれを阻むこともできず、堂々と侵入する男を目で追うばかりで、

「って土足!? しかも土足!?」

「おやおや、欧米ではこれが普通ですよ」

「ここは日本だ!」

 ちょっと、と止める間もない。慌てて追う。さすがにあからさまな足跡がついていたりはしないが、後で徹底的に掃除しなければならない。登校時間に間に合いそうにないから、学校から帰ってきてからになるだろう。


 畜生、なんて日だ。


 内心に悪態をつくさなかなど歯牙にもかけず、男は居間に入り、今や別のニュースを映しているテレビと、食卓に用意されたままのさなかの朝食を見た。

 ふむ、と男は頷き、おもむろにさなかの席に着くと、箸を取り、まだ湯気を立てる味噌汁のお椀を取ると、

「ちょ、なに勝手に食べてんの」

 さなかの制止も聞かず、男は味噌汁をすすった。

 ふぅ、と一息。


「成程、昆布出汁ですか。いい具合に味が出ています。味噌は赤味噌ですね。これもいい。しかし絶望的に具が足りない。質素なのはいいですが、いくらなんでも油揚げに長ネギだけでは手抜きに過ぎるでしょう」

 批評を始めた。


 えぇ……と呆れてものも言えなくなっているさなかをしり目に、男はさらに箸を進める。米を一口含み、噛み、飲む。

「これは炊飯器で炊きましたね。これといった面白みも感じられない味です。しかもどうやら、少々水が多かったようだ。米粒の輪郭がぼやけてしまっている。米本来の味が引き出せていない」


 それから、男はさなかが念入りに練り上げていた納豆を見た。む、と眉根を寄せる。

「私は納豆は苦手なのです」

 などとは言いながらも一口食べ、再び味噌汁をすする。そうして最後に箸を向けるのは卵焼きだ。

 切り分けられていたそれを箸で掴み、ゆっくりと口に運ぶ。入れ、咀嚼し、ほう、と男は驚いたような顔になった。

 嚥下えんげすると、男は嘆息する。

「これはいい。この卵焼きは素晴らしいですね。表面はうっすらと焦げ目のつく程度に焼き上げられていながら、中心部は舌で咀嚼できるほどにとろとろの半熟。口の中で溶けるような錯覚すら覚えます。味付けもほんのりと甘みを感じられるもので、非の打ちどころがありません。なかなかやりますね」

 はあ、とさなかは生返事で応ずる。なにがどうして、早朝に突然やって来た、それも勝手に家に上がり込んできた男に勝手に朝食を食われ、しかも批評されているのだろう。褒められて悪い気はしないが。


 この男は何者なのだ。

 ソムリエか。

 さすらいの卵焼きソムリエなのだろうか。

 そんなわけがあるか。


 なんなの、とさなかが呆気にとられ何もできないでいるうちに、とうとう男はさなかの朝食を全て食べきってしまった。苦手だとか言っていた納豆まで綺麗に完食している。

 食卓に置いていたティッシュで口元を拭うと、ふう、と男は吐息した。丸めたそれを部屋の隅のゴミ箱へ位置の確認もせずに投げる。ティッシュは綺麗な放物線を描き、ゴミ箱の底へまっすぐに落ちた。それすら一瞥いちべつもせず、男は両手を合わせる。


「ごちそうさまでした」

 お粗末様でした。

 じゃなくて。


「ちょっと」「では本題へ入りましょう」

 聞きゃしねえ。


 しかめ面になるさなかに対し、男は立ち上がりながら「まずは」と言った。

「戸締りをしましょう。この家の全ての戸、窓、カーテンを鍵まで含めてきっちり締めてきてください」

「え、なんでそんな」「いいから」

 さなかの目をまっすぐに見据えて、男は有無を言わさぬ調子で言った。

「早く」

「…………」


 不満も、言いたいこともあるがさなかは渋々動き始めた。謎の男と差し向かいの状況。なにをされるかわからないという恐れもあったが――気圧けおされた。

 男のまとう無形の圧力に、逆らえなかった。

 一階の窓と鍵を片端から締め、カーテンをかけていく。


 ……なんなの、一体。

 内心に文句を垂れながら、さなかは二階へ移る。


 ……突然やって来た男。勝手に人の朝食を食べて、評価までしてきて、挙句に命令してきた。

 わけがわからない、わけがわからない、わけがわからない。


 戸惑いが、次第に苛立ちへと移行していく。さなかは決して、気の長い方ではない。

 これから学校に行かなきゃいけないっていうのに、なんであんな変な奴の相手しなきゃいけないの? ていうかこれって不法侵入じゃん。警察呼ぶか警察。

 そう思うも、スマーフォンは食卓に置いてきてしまった。固定電話は置いていない。隙を見てスマホを持ち出し、トイレにでも隠れて通報するか。

 そう思いながらも、きっちりと二階の窓もカーテンまでしっかりと閉めてから、さなかは今へ戻った。見ると男は初めに座った席、つまりさなかの席に変わらず座っているが、食器は全てどこかへ片付けられ、テレビも消されている。

 リビングに入ってきたさなかに対し、男は無言で自分の真正面の席を示した。座れということらしい。

「…………」

 食卓に近づきながら、さりげなくさなかはスマホを探す。……あった。記憶と違わず、スマホはそこにあった。ただし、

 ……男の手元に……!

 これではさりげなく回収できない。どうしたものか。


 次なる手を考えつつ、さなかは男の真正面の席に座った。さなかの内心を知ってか知らずか、無表情なままに一枚の書類を寄越してきた。

「……これは?」

 一瞥するが、読めない。全文が英語で書かれている。さなかだって英語が苦手なわけではないし、むしろ唯一の取り柄と言って過言ではない程度に得意な方ではあったが、ざっと目を通しただけでも専門的な単語ばかりで正確な内容はわからない。わかるのは、なにかの契約書らしいこと。右上に日付、中央上部に題目、中段にある短い文章は内容だろう。そして下段には広いスペースを取って二本のアンダーバー。上下二段のうち、上段には既に誰かの手による署名と、拇印が捺されていた。サインの筆跡は流麗で、これもさなかには全く読めない。


 書類から視線を上げたさなかに対し、男は端的に言った。

「署名してください」


 は、と怪訝な顔をするさなかに対し、男はどこからともなく万年筆と朱肉を取り出し、書類の横に置いた。

「場所はわかりますね。ここに署名と」下段の署名欄を指で示し、次いでその横に指先を置きながら、「こちらに拇印を」

「いや、なにこれ。いきなりやって来てなんなのこれ? なにかの契約? いやいや、署名しろって言われても、するわけないじゃん。大体なに。なんの契約? そもそもあんた誰」

 苛立ちに任せて畳みかけるさなかに対し、男は至って涼しい顔だ。

「訊きたいことはそれだけですか」

「まずはこれから、だよ。Who areあんた youだれ? What’sなによ thisこれ?」

 睨み上げるような角度で挑発的に問うさなかに、男はここで初めて表情を動かした。

 薄く、笑った。


OKいいでしょう, Thenでは I answerおこたえ your questionますよ. 私に名はありませんが、仕事の便宜上から“ヘイ”と名乗っています。以後、そうお呼びください。職業はあまり広言できない職種、からつい先日に護り屋へ転職しました。それからこちらの書類は、御察しの通り、契約書――より正確に言うならば、相続の同意書ですよ」

「同意書……相続? なんの?」


 眉根を寄せて、さなかは問う。すぐに連想されるのは遺産だが、さなかに遺産を残すような関係のある親族はいない。祖父母は皆、さなかが生まれる前に亡くなっているし、母は存命だが父は早逝した。親戚にしても、やはりさなかに遺産を引き継がせようというほどの仲の者はいない。

 ええ、と“黒”は言った。


「先程までニュースを見ていたのでしょう。ならば見て、聞いて、知っているはずです。そう――人類最大の資産家、ヨハネス・グレゴールの遺産ですよ」


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