13 女傑の会話
「ユエル・シファンです」
「洲崎・由乃よ。よろしくね」
ハルカの護衛と、簡単な挨拶を交わしつつ、三人は足早に病院を抜け出る。表では既に騒ぎになっており、消防車のサイレンなども間断なく響いている。その裏手で、誰にも気付かれることなく、一行は待機していた黒塗りの高級車に乗り込んだ。
ユエルが運転席に。由乃とハルカが後部座席だ。窓ガラスは黒塗りで外からは見えなくなっており、座席は電車のボックス席のような向かい合わせ。よく見れば目立たない位置にワインセラーらしきドアもあった。
「典型的な高級車ね」
「秘密裏に行動するには悪目立ちするのが悩ましいところですわ。――何か飲みます?」
やはりワインセラーだったドアから大瓶と、別の空間から出したグラスを勧めてくるのを、由乃はやんわりと断った。そうですか、とハルカは自分だけ飲むこともなく全て仕舞ってしまう。
「最低限の手回り品しか持ち出しませんでしたけど、よろしかったのですか?」
「ええ。もともと、私は持ち物も少ないから。それに、必要になったら用意してくれるんでしょ?」
悪戯っぽく笑む由乃に、ハルカは何ということもなく頷く。そんなハルカを、由乃はじっと見つめる。
「――ハルカ・エレオノール」
「何か?」
由乃の視線を真っ向から受けて物腰穏やかに返すハルカに、由乃はゆっくりと言う。
「あなたのことは、何度かテレビで観たことがあるわ。下世話なバラエティの格付けや、社交パーティなんかの映像でね。それに、エレオノール。ときどき、新聞の経済面に名前が出て来るわ。詳しくは知らないけれど、今はAI産業に進出しているんだっけ?」
「ええ、今は、ですわ」
嫣然と笑み、ハルカは頷く。
「少し前まではソフトウェア、医療、後進国支援などにも出資しておりましたわね」
「機を見るに敏、とどこかの評論家が言っていた気がするけれど、まさにそれが、あなたの言う直感というものなわけね」
「ええ、そうなりますわね」
ハルカの言葉に、へえ、と由乃は感心したような声を上げた。
「不思議なものだわ。今朝まで全く関係のない、生きてる世界の違うような大物と、今こうして同じ車に乗っているなんて。あまつさえ、こうして会話を楽しんでいるなんてね。あなたが日本語が堪能で助かったわ。さなかは英語がかなりのものだけれど、私はさっぱりだから」
「堪能だなんて、褒め過ぎですわ。外国語の習得は生まれた家の嗜みですが、日本語には少なからぬ縁もあったものですから」
ふふふ、オホホと談笑している。少なくとも、会話だけを聞けば和やかなそれだ。しかし、運転席でイヤフォンから伝わる会話を直に聞いているユエルとしては、ハンドルを繰る皮手袋の内側がじっとりと汗で湿っていくのを止められなかった。
……和やかなんてものじゃない。
知らず生唾を呑みながら、ユエルは努めて前を見る。
完全に、後部での会話は腹の探り合いだ。ユエルも、何度も見たことがある。競合商社や他財閥の首領と会話するときは、しばしばこのような、会話の和やかさに反比例するように空気が冷え切っていく。
最大の問題は、その相手が由乃だということだ。
取るに足らない一般人の、母親。そのはずだ。事前の調べでも、極めて短時間だったとはいえ、さなかは勿論、由乃の経歴だって全て洗っている。
さなかも由乃も、純然たる一般人だ。間違いない。
それなのに、ハルカの貴人に連なる無形の圧力に臆するどころか、対等以上に渡り合っているあの胆力は、何だ。
底知れぬものに恐れを感じ始めているユエルの耳に、ふと思い出したかのような由乃の声が届く。
「――さて、さなかは上手くやっているかしら?」




