第二七幕:告白
香織は息を潜め、病室の様子を伺っていた。中で何が起きたのか全く察しがつかないが、先程から見知らぬ女子高生が病室の前で泣いている。ただ一つ解るのは、病室内に佐上が居るという事だけだ。
病院まで香織を送ったのは横田だった。横田は外に停めてあるいかにも高級そうな外国車を見るなり、それは佐上の物だと言い、佐上の存在が知れた。佐上が何を思って朱美の元を訪れるのか知れないが、兎に角、再び接触する事ばかりは避けたかった。しかしそれよりも問題は、外で待っている横田にあった。
香織は自らの過去、佐上との過去を包み隠さず横田に話して聞かせた。佐上との因縁を容易に察知出来ただろう今、隠し通す事など適うまいと考えたからである。無論、横田に対し赤裸々に告白する事がどれほどの苦痛だったかは、言うまでもない。だがそれでも、横田に打ち明けられない後ろめたさや、あれこれと詮索をされるのとに比べれば、多少は気が楽になれたのだった。そして横田は、香織の不幸を我が事のように嘆き悲しみ、激怒した。
だから佐上の車を見付けた際、香織は今日のところは引き返そうと提案した。しかし横田は、頑として聞き入れなかった。横田のような男が思い余った真似をするとは考え難いが、不安は拭えない。
廊下の曲がり角に身を隠した。病室から出て来たのは、やはり佐上だった。佐上は未だに泣き止まない女子高生の手を握り、引きずるようにして立ち去っていった。佐上が離れていくのを見届けてから、入れ違いに香織は病室に入った。
開け放たれたカーテンから朱美のベッドを覗くと、朱美は下唇を噛み締め、沈痛な面持ちをしていた。
「……朱美」
声を掛けると朱美は顔を上げ、明るい表情を作った。
「香織ちゃん、来てくれたんだ」
柔らかく細められた瞼の奥が、しっとりと濡れていた。
「旦那さんは一緒じゃないんだ?」
「うん……」
朱美の顔を見ていると、香織は陰鬱な気分になる。
「……彼、来たんだね」
朱美は一瞬表情を曇らせ、うん、と頷いた。
「座っても良い?」
香織はベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「彼は何て?」
「うん。取り敢えず、申し訳ないって。騙して悪かったって謝りに来たみたい」
「……そう」
香織は目を伏せた。
「そんな事を……」
胸の奥から込み上げるのは、苦い感情だった。憎悪、嫉妬、怒り、悲しみ。そうした負の感情が大きな波となって打ち寄せる。
「どうして、朱美ばかり……」
佐上が香織に謝った事などない。過去でも、今でも。朱美は香織の顔を覗き込んだ。
「香織ちゃん、大丈夫?」
「……どうして、『ちゃん』を付けるの」
香織は顔を上げた。
「いつだってそう。『香織ちゃん』『香織ちゃん』『香織ちゃん』」
冷ややかに笑う。
「朱美はいつだってそう。いつもわたしを下に見て、笑ってる。何も知らない癖に」
朱美は何の事か解らないという顔をして、言葉を失った。
「高校の頃、わたしがあの人を好きだったのを知っていて、朱美は興味の無い振りをして……本当は気があった癖に、わたしとは違うんだって、ずっと見下してた。だから言わなかったの。あの人の家で働いてた事も、あの人に乱暴された事も」
「え……?」
朱美は眉間に皺を寄せた。
「憎らしかった。朱美は、あの人の上辺だけを好きになっただけの癖に、わたしを笑い続けてる。あの人が居なくなって、朱美は彼氏を作って、同棲して、幸せになった。わたしは違う」
香織自身、怒りで顔面が熱を帯び、歪んでゆくのがわかった。
「忘れようと努力した。結婚して、家庭を持って、朱美に笑われないように、一生懸命だった。それなのに……」
数日前、朱美から久しぶりに電話があった。その時香織は掃除の真っ最中だった。普段から度々連絡を取り合ってはいたが、突然の電話というのは初めての事である。
何事かと思えば、用件はたわいもない世間話だった。最近見たテレビドラマの事、近所に新しく出来たというショッピングモールの事、仕事の事。香織は手を休めて、朱美の下らない話に付き合った。
香織は、最後までそんな調子で終わるのかと思った。しかし朱美は、最後に一つ思い出したように言ったのだ。
『そうだ。佐上君って憶えてる?』
唐突に尋ねられ、香織は思わず聞き返した。
『彼、近頃私の店によく来るの。いつも朝早くに』
「……どうして、わたしに言うの?」
電話の向こうで朱美が笑っている気がした。
「特に訳はないけど、なんとなく、かな。香織ちゃん、彼の事好きだったみたいだから」
それを聞いた香織は、その時その瞬間、
「ムカついた……ううん、キレたの、わたし」
香織の知らない佐上を朱美が知っている。手に入れられなかった物を有している。香織はそれを許すことが出来なかった。
「ぶち壊したかった。朱美の幸せも、何もかも。だから……」




