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堕ちる  作者: 熊と塩
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第二四幕:焦燥

 リオは部屋でそわそわと落ち着かなかった。佐上のベッドに腰を下ろしてみたり、また立ち上がってみたり、煙草をくわえてみたり、化粧に手を加えてみたりと、思い付く限りの事はしたが、やはり落ち着かなかった。無理もない事である。

 久しぶりに対面した実の父親、斎藤銀次郎はまるで他人のようだった。リオの母親は昔に失踪している。生きているのか死んでいるのかも解らない。父親があんな仕事柄であるために、親族もない。斎藤が唯一の肉親であり、頼るべき存在なのだが、連絡を取り合うことさえままならず、捨てられた様なものだという認識は、リオ自身にもあった。

 そんな父親と車内で二人きりになり、リオは酷く緊張した。

「あいつの様子はどうだ?」

 挨拶をするでもなく、初めに斎藤から掛けられた言葉がそれで、リオは落胆した。リオの事を尋ねるだとか、暫くぶりであるのを詫びるだとかの、父親らしい言葉を期待していたのだが、期待するのが間違いだった。

「別に、普通じゃん? ただ仕事ミスった所為かちょっと苛々してるけど」

 斎藤は、そうか、と頷いた。

「まあ、当然だな。あいつもプロだ」

 そう仕立て上げたのは、他人事の様に言う斎藤本人である。

「一度や二度の失敗でとやかく言うつもりは無いがな、ただ……」

 言葉を濁し、ふう、と一息吐く。

「ただ?」

 斎藤は口が上手い。相手を自分のペースに巻き込むのが得意だ。相手が自分の娘でも、例外ではなかった。

「これはあいつには秘密だぞ?」

 そう前置きして、続ける。

「近頃、週刊誌が嗅ぎ付けたらしくてな。少し、危うい」

 リオは嫌な予感がした。

「それって……どういう意味?」

「おれとあいつがしているのは、人様に胸を張って話せる商売じゃない。誰かの為、金の為に別の誰かを貶めさせるモンだ。それは解るだろう?」

 リオは頷いた。一体どれほどの人間に、佐上が恨まれているか知れない。

「それに、おれはやくざだ。あいつは違うがね。やくざの商売にはやくざの流儀がある。あいつがそうでないとしても、関わっている以上は、やくざの流儀に従って貰わなくちゃならない」

 やくざというものがどういうものなのか、リオには解らない。しかし、何となく佐上が背負う責任は理解出来た。

「やくざの世界では、一度でも失敗したら『おとしまえ』というのを付けなくちゃならない」

 その言葉は聞いたことがある。つまり、

「指を切るの? 佐上の……」

 佐上の、あの、ほっそりとした小指を。リオの恐ろしい想像を、いや、と斎藤は打ち消し苦い顔をした。

「それだけで済めば良いが、な」

 リオはどきりとした。

「殺すの?!」

「そうなるかも知れない、ってところだ。まだな」

「そんなの……」

 リオには耐えられないだろう。斎藤は、ふ、と笑う。

「好きか? あいつが」

 唐突に、しかも初めてリオの事を尋ねられ、リオは肩を震わせて驚いた。

「……い、一緒に住んでて嫌いな訳、無いじゃん……」

「そうか」

 斎藤は声を立てて笑った。そして、

「……なら、何かあった時は逃げろ」

「え?」

「佐上と一緒に何処か遠くに逃げろ」

 意外だった。

「それじゃ、パパが……」

「おれは構わんよ。おれが指を切らなくちゃならない事でもない。何れにせよ廃業だ。別の商売を考えなくちゃならないだろうが……まあ、話したかった事はそれだけだ」

 リオはこの時初めて、斎藤の父親らしい一面を見た。

 落ち着かない。一刻も早く佐上と逃亡したかった。今こうしている間にも、生命の危機が佐上に迫っているかも知れない。

 漸く帰宅した佐上は、陰惨を極めた顔付きをしていた。しかしリオにはそれに気をやる余裕はなかった。佐上が部屋に戻るなり飛び付いて、

「逃げよう、一郎!」

 と叫んだ。佐上は疎ましがるでも不思議がるでもなく、無表情に聞き返した。

「何処に」

「何処でも良いよ! 兎に角遠い所。誰にも知られない所に、二人で……」

 佐上は胸倉にしがみつくリオを押しのけ、ベッドに向かった。

「なら地獄にでも堕ちるか、二人で」

 はは、と乾いた笑い声を上げる。

「冗談なんか言ってる場合じゃないんだって!!」

 佐上はベッドに倒れ込み、天井を仰いだ。

「俺だって冗談のつもりは無いね」

「ああ、もう……!」

 リオは頭を掻きむしり、佐上に取り縋った。

「死ぬかも知れないんだよ!!」

 佐上は鼻で笑った。

「望むところだ。もうずっと昔から死にたいと思っていた」

 は、はは、は、と再び声を上げて笑う。リオは堪らず、佐上の胸を叩いた。

「駄目なんだよ、死んだら!」

 リオは叫ぶ。すると佐上は突然にリオの手を掴み、引き寄せた。不意の事にリオは、佐上に覆いかぶさるように倒れる。

「少しで良いから黙ってくれ」

 そう囁くように言いながら、佐上はリオを抱き締めた。

「今は、悲しいんだ」

 リオは言葉を失った。佐上は何を悲しんでいるのか。済う術はないのだろうか。解らなくて、悔しくて、佐上の胸で泣いた。

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