第十四幕:知っているから
帰宅した佐上は大いに荒れていた。靴は脱ぎ散らかし、ジャケットも脱ぎ捨てて、ベッドに倒れ込んだ。枕に顔を突っ伏して、がなるような唸るような声を上げた。
リオはそれを、風呂上がりの濡れ髪をタオルで乾かしながら見ていた。普段から機嫌悪そうにしている佐上だが、ここまで苛立ちを隠さずにいるのは、初めてだった。しかし、リオは彼のこの状態を異常と認識しなかった。というのも、平素から怒鳴られたり邪険にされたりという事に慣れてしまっていたからだ。
佐上の様子を見守っていて、ははあ、と気付いた。
「仕事、上手くいかなかったんだろ?」
「……煩い。黙れ」
枕でくぐもった声が返る。どうやらその通りらしい。佐上らしからない話だと思いながらも、リオは茶化した。
「それマズいんじゃねぇ? パパに怒られるね」
佐上は無言だった。そんな事は当然佐上自身が一番解っているだろう。だがリオは口を閉じなかった。
「女が思い通りにならなかったからキレてんだ? 格好悪い」
リオにそこまで言われた佐上は、起き上がりベッドの上に座してリオを睨んだ。
「黙れ」
低い声で脅すように言う。
「黙んねぇし」
リオは喧嘩腰に返した。佐上は暫く無言でリオを睨めつけていたが、やがて鼻で笑って、
「……面倒臭えな」
と呟くように言った。
罵倒された方がまだ、リオにとっては心地が良かった。罵られるにしても邪魔者扱いされるにしても、相手にされているだけ良いのである。どんな言葉を浴びせられても、放っておかれる方が余程傷付くのだった。
佐上はまた横になろうとする。リオはそれが堪らなく嫌だった。
「……一郎さ、あたしが慰めてあげよっか?」
「ああ?」
佐上は、また馬鹿な事を、という顔をしたが、リオにして見れば、意を決した一言だった。
「脱げって言うなら脱ぐよ。思い通りになってあげる」
「馬鹿言え」
佐上は取り合わなかったが、リオは本気だった。
その証拠を示すように、立ち上がり、フリースの上着を脱いだ。下着姿の上半身を露わにして、ほら、と言った。
「良いんだよ? 何でも言ってよ」
佐上は冷たい目線をリオに注ぎ、
「餓鬼臭い下着だ」
嘲笑った。そして真顔で、
「脱げ。全部だ。上も下も、全部脱げ」
そうリオに命令する。その言葉がリオの胸を貫いた。
リオにだって女らしい恥じらいはある。しかしそんなものは、佐上の為にならばかなぐり捨てても良いとさえ思った。だが――。
下を脱ぎ、ブラジャーも外す。小さな乳房が蛍光灯の青白い明かりの元に曝される。佐上はそこまでを無表情に眺めていた。人形のように、爬虫類のように、無感動に。凍った顔付きでリオを見上げている。
リオはそれに恐怖さえ感じた。身震いが起きる。
身体を隠す最後の薄っぺらな一枚となったショーツに、リオが手を掛けた時、とうとうリオは耐え切れなくなり、胸を隠しながら屈み込んだ。
「……ごめん。やっぱ無理」
こうなるのを予想していたのか、佐上は軽蔑の目でリオを見下し、鼻で笑った。
「出来もしないことを言うからだ。俺が女を思う通りに出来た事なんか無い。女はそうやって、いつだって身勝手だからな」
冷笑は心を抉る。だって、とリオは言った。
「怖いよ」
「怖い?」
小刻みに震える肩を抱え、だって、と繰り返した。
「仕事の時みたいに格好良いだけの佐上なら、他の女みたいに出来るけど……違うじゃん」
佐上は目元を痙攣させた。
「知ってるもん、佐上の事……」
女に対して憎悪とも言える嫌悪感を持っている事、ひいては、リオを嫌っている事。リオは誰よりも佐上の近くに居て、彼の内面を垣間見ている。今裸でうずくまっているリオは、佐上の目には酷く醜く写っているだろう事も、佐上を知っているだけに、容易に想像出来る。故に、怖かった。
リオは、リオ自身が何度も言っている通りに、佐上が好きだ。格好良く体裁を整えた外見も、格好悪くどろどろとした感情で充満している中身も、全てを引っくるめて好きだった。それは叶わぬ恋である。しかし叶わぬと知っているからこそ、想いは駆り立てられ、それをなりふり構わず伝える事が出来た。
口では横柄な事を言う。男の真似をしてスカートでも構わず胡座をかく。不良ぶって酒を飲むし煙草も吸う。好きでもない男と一夜を共に出来る。しかしその実、殊恋愛に関しては、乙女のように繊細な心を持っている。リオは紛れも無く、十代の少女だった。
佐上は虚空に目を泳がせ、呟いた。
「知っている、か……?」
腑に落ちない様子で顎を摩り、リオに目を向けないまま、
「服を着ろ。目障りだ」
冷たく言い放った。
「……うん」
どうしたら佐上を振り向かせられるだろう。涙を堪え、服を着ながら、リオはそればかりを考えていた。




