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結婚は義務なのか、義務じゃないのか

結婚を義務にしませんか?

作者: 東風

 広い団長室。

 豪華な机に、若い頃はさぞやもてただろうという、初老の男が一人。

 いや、初老と言っていいのか判断に迷うほど、白髪交じりにもかかわらず、男の傷のある顔にははりがあり、肩はたくましく盛り上がっている。

 眼光は鋭く、机の前に立つトーマスを睨みつけていた。


 ここは近衛騎士団の団長室で、睨まれているトーマスはその近衛騎士団一番隊の隊長を拝命している。

 つまり、睨んできている団長は直接の上司だ。


 城内の警邏と王族の動向に関しての引き継ぎを二番隊に行い、遅い昼食を取ろうとしたところで、団長室に呼び出された。

 団長はもうじき団長職を退くことが決定している。年齢を理由にしているが、実際は病に倒れた奥方の看病だということは、近衛騎士団内の公然の秘密だ。

 子供には恵まれなかったが、団長は大変な愛妻家で有名だった。

 その辺の引き継ぎ事項だろう、と気軽に室内に足を踏み入れたトーマスは現在、絶賛後悔中であった。


 団長が殺気すら漂わせてトーマスを睨みつけている。

 演習では五回中三回は団長に勝てるトーマスであったが、戦場で、いや命のやり取りに関して、団長に勝てる気がしない。

 最近の自分の行動の精査をしつつ、うっかりすると流れ始める走馬灯を押しとどめ、腹の底に力を入れた。


 「トーマス・ベルナー、お召と伺い参りました」

 震えそうになる声をなんとか抑え、意地でも直立不動を崩さずにいると、団長の右手がダン! と机を叩いた。

 思わずビクッと肩を揺らしたが、姿勢はなんとか維持した。

 新兵だったら、これだけで失禁していたか、失神していたかもしれない。

 自分はまだマシな方だ、とトーマスは心中、変な方向で自分を鼓舞していた。


 「ベルナー! 質問に答えろ!」

 何が癇に障ったのか不明だが、団長の機嫌がすこぶる悪い。

 騎士団一の強面、前科持ちの凶悪犯が彼の顔を見ただけで罪状を全部吐いた、普段着を着て市場に買い物に出ていても、通りかかった店の売り子が涙ながらに上納金を渡そうとする、といくつもの実話(エピソード)を持つトーマスであったが、騎士見習いの頃から世話になっている団長の怒声を聞くと、条件反射で背筋を悪寒が駆ける。

 直立不動の姿勢を、さらにつま先立ちでもするんじゃないかというほどのばし、団長の質問とやらを待つ。

 団長はもう一度トーマスをぎろりと睨みつけると、重々しく口を開いた。


 「何故、おまえは結婚しない?!」


 「は? …………は? あの…………結婚とは、……結婚ですか?」

 意味が頭にしみこまず、うっかり聞き返す。

 もしかすると、テロや他国討ち入りの際の暗号にあったかもしれない、と脳味噌をひっくり返してみるが、やはり皆目見当がつかない。

 「何故、妻帯しないと聞いている!

 不能か? 相手が男で結婚できないのか? 遊び歩くのに忙しいのか?」

 誤解できないよう言い直されたうえ、非常にプライベートな内容にまで踏み込まれる。

 トーマスは、怒っていいのか、素直に答えればいいのか迷った。


 最凶と言われる強面と、確かな剣の技量を持つトーマスであったが、生憎、小僧の頃から覇気に欠けると言われていた。

 冷静沈着を買われて一番隊隊長となったが、顔に出ないだけで、心の中は動揺の嵐だ。

 それでも隊長職を続けられているのは、目の前の恩人のおかげであった。


 一番隊は、近衛の顔である。

 そこに属することが決まった時、トーマスは隠れて悩んだ。

 顔の怖さゆえに選ばれたのだとしたら、トーマスの精神は顔ほどに強靭ではない。すぐにボロが出るに決まっている。

 ともに昇格が決まったサラ・ライシャードは、技量も気概もあり、容姿も優れている。女であるがゆえに、他の騎士から「体で団長を籠絡した」などと陰口を叩かれていたが、それを止めに入ろうとしたトーマスを引き止め、「気にするな。実力で口を塞いでやる」と獰猛に笑ってみせた。

 あまりの(おとこ)っぷりに、団長に続いて、トーマスの目指すべき目標になったほどだ。

 それに比べて己の情けなさはどれほどか。

 気に病むあまり食が細ると、ますます人相が悪くなって、王城内を警邏するだけで、召使たちが失神するほどだった。


 思い余って、除隊しようかと考えていた矢先、当時隊長だった団長に飲みに誘われた。

 何を言われるかとビクビクしていたが、日々の業務の話や、勝ち気な妻に尻を叩かれる話しか出てこない。

 真綿で首を絞められているような状況に我慢ができず、トーマスは意を決して上司を見つめた。

 「俺ごときに、一番隊は勤まりません。

 騎士になったのも、きっと間違いだったんです」

 言い切ると、体中の空気が抜けたように感じた。

 心が軽くなった気がしたが、何故だが体が重くなった気がする。凶悪と言われる面相をさらに強く歪めて、トーマスは果実水を煽った。

 トーマスは下戸である。

 「トーマス。おまえの考える一番隊らしい騎士は、一番隊にいる誰だ?」

 トーマスは唐突な質問に瞬きを繰り返し、それでも迷わず断言した。

 「それは勿論、隊長です」

 「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。

 他には誰がいる?」

 首を傾げながらも、思いつくままに五人ほど名前を上げていく。

 副隊長や頼りになる先輩。そして、誰よりも眩く光る唯一の女騎士……。

 「なるほどな。

 確かにおまえがあげた奴らは皆、大した奴らだ」

 隊長は強い酒をガッと煽った。

 喉仏が大きく動いて、その男臭い姿に、トーマスは羨望の眼差しを送った。

 「じゃぁ、そいつら以外は全員、一番隊を首にするか」

 ぎょっとした。

 冗談のはずだ。

 そんなこと不可能だ。

 そう思うのに、トーマスは蛇に睨まれたカエルのように、隊長の強い視線の前で硬直していた。

 湧き上がったつばをなんとか飲み下す。


 「おまえが言っていることは、そういうことだ」

 隊長の低い声が、自分の空っぽの臓腑に響く。

 「隊の中には、いや、おまえが名を上げた奴らだって、おまえほどの体格が欲しかったやつ、おまえほどの容姿が欲しかったやつ、おまえほどでなくてももっと上の爵位が欲しかったやつがいる」

 殴られたような衝撃があった。

 サラがいつもトーマスを見る時の羨望。

 そして、上級の爵位を持たなかったばかりに、一時期、泥水をすすることになった目の前の男。

 トーマスは、侯爵を父に持ち、ゆくゆくは後を嗣ぐ身だった。


 「努力しなくても手に入るものが、思ったよりも少なかったので辞めます、って正直に言えよ」

 隊長は皮肉げに笑う。頬にある傷が歪んだ。

 「そんなことはっ!」

 思わず立ち上がったが、隊長も椅子を蹴倒して立ち上がると、自分より上背のあるトーマスの胸ぐらをつかみ、酒臭い呼気をトーマスに吹きかける。

 トーマスは怯んだ。

 「おまえは自分で望んで騎士になった!

 誰もが羨む環境も持っている!

 だが、辞めるんだろう?!

 努力しないで(・・・・・・)辞めるんだろう?!」

 「努力しました……」

 「ライシャードよりも、か?」

 トーマスは、その一言に何も言えなくなり、椅子に崩れ落ちた。


 夕陽に赤く染まりつつ、鎧を着て走りこみを続ける女騎士の姿を思い出し、首を横に振った。


 その姿を見下ろす隊長は、苦笑を浮かべ、乱暴に椅子に腰を戻す。

 「おまえはな、誰よりも自分に引きずられている。

 騎士だから、こうあらねばならない。

 侯爵の跡継ぎだから、こう見せねばならない。

 男だから、この顔だから、とな」

 手酌で酒を煽り、空になったカップにまたなみなみと酒をついだ。

 「おまえが成りたい、トーマス・ベルナーという男は、どういう男なんだ?」

 無言を続けるトーマスに、隊長はカップ付き出してくる。

 その後の記憶はない。

 トーマスは気づくと、何故か隊長の家に泊まっていて、翌日、サラにやたら厳しい訓練に付き合わされた。


 そのことがあってから、トーマスはサラの鍛錬に付き合い、また、いろいろ危なっかしいサラのフォローをしながら過ごす。そうしているうちに、いつの間にか一番隊にも慣れていた。

 同時に、サラの努力と、自分の言い訳をまざまざとつきつけられた。

 理想を描きつつ、格好悪い努力など(・・・・・・・・)できないと決めつけていた自分。

 血のにじむような努力をして、それでもかなわない時には別アプローチを試すサラ。

 改めてこの年下の同僚を見ていて、トーマスは隊長の言わんとすることをようやく知った。


 月日は経ち、トーマスはいつの間にかかつて憧れた男と同じ一番隊の隊長に、サラはトーマスに数年遅れ二番隊の隊長になった。

 日々、辛いことも多かったが、団長がいて、サラがいるから、トーマスは自分に疑問を持たなかった。

 今までは。



 「いや、……妻帯と言われましても、その、そういう相手がいない、としか……」

 団長の顔が更に厳しくなっていることに気づき、トーマスは思わず振り返っていた自身の半生から現在へ、無理やり意識を引き戻した。

 しどろもどろに答えても、団長の顔は満足していない。

 「高級娼婦も買わないと聞いた。不能か?」

 あまりにも失礼な言い草に、流石にトーマスもカチンと来た。

 「恐れいりますが団長。

 そもそも、団長が役職者の前提に結婚をなくされたから、俺は独身でここにいるんです。

 結婚せねばならないのなら、何故、それを外したのですか?」

 幼馴染でなんの権力もない女性と結婚した団長は、自身が被害を被った「副隊長以上は結婚しているものであること」という条件を撤廃した。この条件は、実質、上司が自身の派閥に新たな役職者を引き込むため、自身の息のかかった妻を持たせるためのものとなっていたからだ。

 表向きは「結婚できないものには、人格的欠点があるに違いなく、そういうものが役職を持つことを防ぐため」となっている。

 この表向きの理由(言い訳)もどうかと思うが。


 「条件があればお前は結婚したのか?」

 団長は鼻で笑うようにして言う。

 普段の、気のいいオッサンが鳴りをひそめ、野卑たいけ好かない上司の顔をしている。

 この状況を面白がっていることは確実だ。

 遊ばれていると感じ、トーマスは苦虫を潰したような顔で、それでもはっきりと断言した。

 「もちろんです! 俺もあいつも、ここにいるためなら迷わず結婚したでしょう!」


 実は、副隊長になったのはサラのほうが早かった。

 彼女のひたむきな想いも、努力も、トーマスは横で見てきた。視線が向かう先も。

 この条件があの時あったなら、サラは必ず結婚を考えただろう。

 そして、高確率で、トーマスに(・・・・・)相談しただろう。


 「何故、今更?!」

 怒鳴るように問うと、団長はニヤリと笑った。

 「おまえの結婚ってのは、制度で、仕方なしに行われるものなのか?

 ハッ!

 なら、条件撤廃は、俺の成し得た最大の功績だな」

 ゆっくりと椅子から腰を上げ、机を回ってトーマスの正面まで来ると、その分厚い胸に人差し指を突き立ててくる。

 トーマスは後ずさりしそうになるのを押し留め、団長を睨み返した。

 だが、泣く子がひきつけを起こすと有名なトーマスの凶相も、団長には効果がない。

 「そんなものがなきゃプロポーズの一言も囁やけない情けない男に、俺の(・・)サラはやれねぇな!」

 トーマスは思わず拳を握りしめた。


 「あんたがサラを選ばないから!

 なのに温情ばかりかけるから!

 サラは一歩も動けないんじゃないか!」


 団長が騎士団を退いて、病身の妻の介護をすると言い出して、一番動揺したのはサラであった。

 眼の下にくまを作り、苦しそうな表情のまま、非番の日まで警邏を続ける始末。

 カレンダーを見てはため息をつき、団長室の前を通るたびに足を止める。

 誰が声をかけても何も言わない。

 寂しそうに笑うサラを、トーマスは見ていることしかできない。


 「ハッ!

 偉そうに言ってるけどな!

 お前が言っているのは、サラから来てくれない(何もしてない)から(けど)自分が動けない(手に入れたい)って言うことだ!」

 団長は凄みを効かせてトーマスを睨みつけ、吠えるように言った。

 「なるほどな!

 とんだ腑抜けだが、安心したぜ!

 サラは俺が貰っていこう!

 俺が言えば奴は来る。女に不自由はしてないが、妻とは別に専属がいるのも悪くない」


 目の前の男の舌舐めずりを見た瞬間に、トーマスは腰の剣を引き抜いていた。


 「ふざけるな!」


 思い切り振り下ろされた剣は、いつの間にか持ち上げられていた団長の鞘に遮られる。

 両手でそれを押し戻そうとする団長に向かって、トーマスは上背を利用してのしかかった。

 だが、迫り来る刃にも、団長は余裕の表情を見せるだけ。


 「そう怒るなよ、腑抜け。

 おまえも望むなら、味見ぐらいさせてやる」


 団長が吐き出した言葉は、ぎりぎり残っていたトーマスの理性を焼き切った。


 「あんたが何を言っても、サラは我慢する! 我慢してしまう!

 だから、あんただけはダメだ!

 誰が何を言っても、あんただけはソレを言ったらダメなんだ!」


 狭い室内で、団長の足がトーマスの胸を蹴る。

 トーマスは一歩後ずさったものの、剣先を横に払った。

 団長の前髪が、床に落ちる。

 ぎょっと目を見張った団長を、トーマスは殺さんばかりに睨みつける。


 「サラは俺が守る!

 あんたからも!

 何者からも!」


 「腑抜けが何を言う?!

 サラは俺しか見ていない!

 おまえがあいつを手に入れることはない!

 決して手に入らないものを、貴様程度の弱い男が、守れるものか!」


 団長は距離をあけられまいと更に踏み込んできたトーマスの懐に逆に深く入り、重い拳を鳩尾に突き込んでくる。

 腹の痛みは全く感じなかった。ただトーマスも団長を蹴り、こみ上げるものを口から溢れさせ、なりふり構わずにもう一度剣を振り下ろした。


 「サラが永遠に手に入らないとしても!

 俺はあいつを守ってみせる!」


 鋭い切っ先が、硬い床に突き刺さる。

 座り込んだ団長の、大きく開かれた両足の真ん中に、剣は突き立っていた。



 「……肝心な一言聞き出すためだけに、俺の()と生き別れるところだったぜ」

 大きく息を吐いた団長は、先程までの下卑た表情が嘘のように、さっぱりした顔で苦笑していた。


 「あの……だ、団長?」

 空気が変わったことに、トーマス自身も気づいていた。

 荒い息を繰り返しながらも、首を傾げる。

 団長はもう一度笑い、座り込んだままの姿勢から、トーマスに片手を差し伸べてきた。

 戸惑いながらもその手を引っ張って立たせ、トーマスは団長の顔を覗き込む。


 団長は机によりかかり、いつの間にか額を濡らしていた汗を拭った。

 「これは一体?」

 「一息つかせろ。

 俺はお前らほど体力ねぇんだ」

 戸惑うトーマスを尻目に、団長はサイドボードから酒を取り出すと、一口煽った。

 「おまえも一口飲むか?」

 「いえ、遠慮いたします。それよりも……今のは?」

 よくよく考えると、これほどの大立ち回りをしておきながら、騎士団の誰も団長室を覗きにこないのはおかしすぎる。

 団長の言動も、普段の彼とはかけ離れている。

 トーマスは、床から引き抜いた剣を鞘に戻し、団長の傍らに真っ直ぐに立った。

 「あぁ、くそっ。随分と追い詰められちまったな。

 ベルナー、おまえ、また腕を上げたんじゃないか?

 すごい殺気だったぞ」

 言われて、そういえば剣を握っていた手が全く震えていなかったことに気づく。

 トーマスは、自慢ではないが、実戦は弱いほうだ。捕縛は得意なのだが、生死を問わない場合、犯罪者であっても相手に遠慮してしまい、踏み込めないことが多い。

 それでも隊長という役職につけたのは、練習時の強さと爵位、そして……。

 「団長…………俺をはめましたね?」

 トーマスはようやく、状況を把握した。

 団長は、トーマスを煽り、恐らく団長の望む台詞(・・・・・・・)を言わせたのだ。

 素早い切り替えと的確な判断は、トーマスが騎士として培ってきた能力だった。

 「副団長もぐるですか?」

 「あいつには、人払いを頼んでいる」

 トーマスが気づいたことにも、どこ吹く風。

 団長は自身の椅子にどっかと腰を下ろすと、ふ~と大きくため息をついた。

 「これで、俺の肩の荷が降りる」

 「団長?」

 咎めるように呼びかけると、団長は酒の瓶をトーマスに見せつけるように傾け、くくくっとのどの奥で笑った。


 「おまえを呼び出す前、俺はサラ・ライシャードを呼び出した」

 「団長! まさか!」

 先ほどの言をすでに実行に移していたのかと、トーマスは青ざめた。

 だが、続く団長の言葉により衝撃を受ける。

 「いいか、よく聞け、ベルナー。

 ライシャードは、本日付けで騎士団長に就任した。

 驚いてはいたが、あいつは引き受けた。

 どういうことかわかるか?」

 「まさか! 無理です! 女だってだけでも風当たりが強いのに、三十才になったばかりの団長など、前例がない!」

 しかも、彼女は子爵令嬢。後ろ盾はないに等しい。

 「つぶす気ですか?!」

 叫ぶように詰め寄ると、団長は「だからだ」と呟いて、トーマスの胸を拳でどついた。

 「おまえにはその意味が分かるはずだ」と。


 天啓のように脳裏を雷光がよぎり、団長の発言とその態度のすべてがつながった。

 「…………あなたは……俺に、サラの為の盾になるように、と仰るんですね?」

 団長がニヤリと獰猛に笑う。

 「この騎士団で、最上位の爵位を持つのは、おまえだ、トーマス・ベルナー。

 ……俺はな、ベルナー、俺の掌中の珠をずっと磨いてきた。

 最後の仕上げに、相応しい椅子を与えただけだ」

 団長は目を細め、ここにはいない誰かを、トーマスがくる前に机の前に立っていただろう人物を、優しく眺める。

 「まぁ、本当はな。

 おまえがさっさとライシャードを口説いて、相応しい後見をあたえりゃ良かったんだが」

 団長の目がまたトーマスに戻ってきて、「予想以上のヘタレだった」と苦笑した。

 トーマスは、張りつめていた気持ちが一気にゆるみ、体が鉛のように重くなったのを感じた。

 「トーマス・ベルナー。おまえには副団長を任せる。ありがたく思え」

 「勘弁して下さいよ……」

 崩れるように床に座り込み、先ほどの醜態を思い出す。

 一気に顔が赤くなった。

 幾ら、そうし向けられたとはいえ、ずいぶんと恥ずかしいことをわめいていた気がする。

 「おまえの覚悟を知りたかった。……悪かったな」

 全く悪いと思っていない顔で、団長がニヤリと笑う。

 「これからの長い相棒生活で、サラを振り向かせることができるかは、おまえ次第だ。期待しているぞ」

 「サラは……あなた一筋です」

 「だとしても、おまえはサラを守ってやるんだろう?」

 いたずら坊主のように、にやにや笑う団長を、剣ではなく拳で殴りつけたくなる。

 

 トーマスは床に両手両足を投げ出して寝転がり、こぼした。

 「だったら、結婚は義務にしておいて下さいよ」

 弾けるような団長の笑い声が、廊下まで響き渡り、トーマスも一緒に笑うしかなくなったのであった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 女騎士さんの話の続きが読めて、嬉しかったです。 共感できるところが多くて、うんうんと頷きながら、一気読みしてしまいました。 サラに、ちゃんと救いがあって良かったです! トーマスが頑張ってく…
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