幸福を祈る
彼女は夏まで生きられるかどうかわからないと言った。いつも通りの笑顔を崩さずに。
「え……」
「そんな顔しないでよー、君も薄々わかってたでしょ?」
「そんなこと……」
僕は今自分がどんなに情けない顔をしているかわかっている、だけどこんな事を聞かされて彼女のように笑える事などできるはずはない。
自分が死ぬというのに彼女は僕よりも落ち着いている。それがどうしようもなく不思議でたまらなかった。
「何で、笑えるんだよ」
「泣いたって仕方ないじゃん。私は死ぬまでの間笑って過ごすんだよ、だから君も笑って見送って」
「うん……できるかな」
「できるよ」
病院の帰り道、僕の足取りは重くふらふらと亡霊のように歩いていた。
あまりにもショックだった。彼女はあんなに元気なのに、治るためにどんなに辛い治療にも耐えてきたのに、それは全て無駄なことだったのだ。
「神様は、意地悪だ」
満天の星空の下ちっぽけな僕は祈る。
どうかお願いだ、夏が永遠に来ませんように――
「まだまだ涼しいねぇ、今年は冷夏なのかな」
「夏が来なければいいね」
「それは無理だよ」
六月、梅雨は来たものの雨が降ると肌寒い、夏になる気配など微塵も感じられない程に。もしかしたらあの日の僕の祈りが神様に届いたのかもしれない、そんなの無理なこと子供でもわかる、それでも今の僕は願うことしかできない。
「梅雨が明けたら夏だね」
「だな」
「夏まで生きたいな……」
初めて彼女が吐いた弱音、それは病室に静寂をもたらした。
「生きられるよ、きっと」
彼女は薄く、頼りない笑みを浮かべた。
「そうだといいね」
無理なこと彼女もわかっていたはずなのに馬鹿な僕の言葉に同意をしてくれる、いつもと同じ。
七月、だんだんと彼女の体は悪くなっていく。それは日に日に進行していく、誰にも止められないことだった。弱っていく彼女を見るのは辛い、けれども僕よりも何倍も彼女や彼女の両親の方が辛いだろう。
あいも変わらず夏は来ない。
もしかしたら僕の願いが叶ったのかもしれない、けれど彼女の死は刻一刻と迫っていた。
季節が止まっても僕らの時間は進んでいく。馬鹿な僕はその事に気づかなかった。
「毎日来てくれてありがとう」
椅子に座った途端にそんな事を言われた。
僕はその感謝の言葉に不安を感じた。
「いいよ、お礼なんて」
「君が来てくれるから病院生活も悪くないよ」
「急にどうしたんだよ」
「ふふ、いつ死ぬか分かんないからね」
「やめろよ!」
僕の手を彼女の手が包んだ。痩せて骨ばったその手に僕は驚いた、それでも不思議と温かくて血が通ってて生きている事が分かる、何となく落ち着いた。
「ごめんね」
「何で謝るんだよ」
「いっぱい心配かけてごめんね」
申し訳なさそうに言う彼女に何も言えない僕は握られてない方の手で彼女の頬をそっと撫でた。
「幸せだったなぁ……」
過去形のその言葉が胸に刺さる。彼女は分かっているのだ、自分の体の限界を、命の期限を。
「俺も幸せだよ」
いるのかいないのか分からない神様に俺は祈る。こんな時ばかり頼って申し訳ないけれど。
どうか僕の大切な人が一日でも長く幸せに生きられますように。