第二十四話
飛行船の自室で、ベラドンナはゆっくりと流れていく雲を眺めていた。
その手には報告書が握られている。
彼女はタグリヌスの魔物が死んだと知るや否や、直ちに魔導師の部下を数名派遣して海底を隈なく探らせた。
しかし魔物の巣窟も魔具も見つからなかった。
これは何を意味しているのか。そして次に自分は何をしなければならないのか。
ベラドンナは目を閉じ、今までの情報を正確に分析していく。
魔法の弾丸によって吸い取られた魔力が尋常ではなく、暗殺に当たったローズが体調を崩していることから倒した魔物が「五つの座」であることは間違いない。となればこの「五つの座」は自分の住処と手下がいない孤独な存在だったのだろう。
ならば魔具が無いのはなぜか。これには二つの解釈がある。
一つ目、そもそも魔具なんてものは存在しなかった。
二つ目、戦闘中にイワキリ達が奪った。
後者ね。ベラドンナは即座に判断した。
「汝の欲する英雄は、セラティエルに現れるだろう」夢のお告げの内容はこうだ、とイワキリ達には言ったが実は続きがある。
「英雄を手にすれば、汝が得ようとする宝物への道は開かれる。・・・だっけね。」
宝物は即ち、五つの座が持つ魔具のこと。それ以外考えられない。
となれば「魔具は存在しない」という仮定は消える。
それにイワキリ達が奪ったとすれば合点がいく。
英雄が魔具を持っているのだから、その英雄を手に入れれば当然自分のものになるからだ。
しかし、とベラドンナは雲を眺める目を細めた。
英雄を手に入れる=魔具入手ということであれば、果たして「道が開かれる」という表現を使うだろうか。そこだけがどうしてもしっくり来ない。
そんな彼女の耳が、室内に響くノックの音を捕らえた。
「開いてるわ。」
重厚なつくりのドアが静かに開かれる。
「失礼します。先程3人組が乗っていたと思われる船が発見されました。中は無人であったことから・・・」
「奴らは死んでない。」
皆まで言わせず口を挟んだ。
くだらないことを聞かせるな、私の考えの邪魔をしないで。部下の顔さえ見ていない彼女は態度で感情を表していた。
どう答えたらいいのか戸惑う部下を前に、ベラドンナはしょうがないわね、とばかりに聞いた。
「帆、どうなっていた?」
「降ろされていました。」
「普通、魔物と戦闘して敗れて海に落ちたのだとしたら、帆はそのままになるでしょうね。それがわざわざ降ろされていたというのは流されていかないようにするため。そして私達に敢えて発見させて、死んだのだと勘違いさせるため。」
もう用はない、とばかりに背を向けるベラドンナを前に、部下は成すすべもなかった。
「・・・失礼しました。」
背後で扉が閉じる音を聞きながら、彼女は結論を出した。
奴らはただ職業として魔物を狩っているわけではない。理由は分からないが自分と同じように魔具を狙っている。
「面白くなってきたわね。」
自分の要求に対し「NO」といったイワキリ達は絶対に殺さなければならない。しかし急ぐ必要は無い。じっくりでいいのだ。
「この私に敵はいない、他者は味方か獲物にしかなり得ない。」
なぜなら、力は圧倒的な力の前では無力となるから。
悪魔じみた自信と能力を持つ彼女の中では、それが真理だった。
自分のペースで事を進めよう。
彼女は報告書を丸めると、空中に放り投げた。
彼女の影が立ち上がり、音も無くそれらを飲み込む。
後には静寂だけが残った。
ここに来て心配事が増えるとは・・・
鬼怒川は唇を噛んだ。
無知な信仰と盲目的な愛情。
彼が最も忌むべきものとして心の中に刻み込んでいる事柄である。
この二つは人間の理性と良心を刈り取り、どんな恐ろしい行動をも強いることができた。
しかもそれだけで行動の「根拠」となり得る。
神がこう言っているから、あの人がこうなることを望んでいるから。
中には例外もあろうが、救いようの無い程残酷な出来事にはこの2つが絡んでいる。
理性を重んずる彼は、それ故に無宗教で恋愛感情を意図的に封じていた。
それが人間として不自然な生き方であることも、彼は分かっていた。
鬼怒川は横目で旅の仲間を見る。
楽しそうに話す2人。
今、この2人がどういった関係なのか、鬼怒川は正確に把握していない。しかし友情とは別の感情が芽生えているのだとしたら、困る。今は良くても必ずや魔具を集め元の世界へと帰るのだから、別れが訪れるのは必定。その時どのような不都合が生じるのか・・・
鬼怒川は決して楽観的な見方をしなかった。それが彼の長所であり、最大の欠点だった。
「先輩、思ってたよりも報酬もらえましたね。」
「ん、ああ。それはまあ五つの座を倒したわけだからな、あれ位貰えなければ逆におかしいだろう。」
数日間かけて首都へと到着した彼らは王城への報告を済ませ、王城からエイムまでの道を歩いていた。
時折下級のモンスターに出くわしたが、3人の前には1分と立っていることは出来なかった。
緩やかに流れる時間。
没しかけている太陽を眺めながら、ベルフェゴールは幸せを感じていた。
かつてイワキリと森からエイムまでの道のりを歩いた時の空とよく似ているが、今は彼とも仲直りして、しかも単なる旅の仲間以上の関係になっている。
彼女もいつか、別れが訪れるのは分かっていた。この旅が終われば再び会うことは決してないことも分かっていた。故に彼女は自分の思いをイワキリに伝えるつもりは無かった。そしてこの一瞬の時を大切にしたかった。
いつ死ぬとも分からない旅の中で、タグリヌスの魔物を倒し、暗殺団の追跡が途切れた僅かな空白の時間の中、彼女はおぼろげに描いていた思いを実行に移した。
イワキリは彼女がキスしたことを夢だと思い込んでいる。だからそれは彼女だけの思い出。
少女の恋愛感情にしては、あまりに切な過ぎる考え方だった。
しかしその平穏は、ベルフェゴールが考えていた以上に早く崩れ去ることとなる。
「あれ、エイムの尖塔に何かいますね。」
イワキリの視力が塔の上にうずくまる「何か」を捕らえた。
羽毛の塊。それが彼の第一印象だった。
「む、何かいるのか?」
「何でしょうねあれ・・・巨大なカラスが首をうずめて寝ているような感じですけど・・・」
彼が眺める中、謎の物体は視線を感じ取ったようにむくり、と動き出し、その巨大な羽を広げた。
息を呑むイワキリ。
3人のハンターに向かって優雅に微笑するそれは、セラティエル国で伝説として語り継がれている存在だった。
「エウリノーム!?」
イワキリが叫ぶのと同時に、背から黒い翼を生やした魔物が指を鳴らす。
「こっちを見ろ」と言わんばかりに。
瞬間、長い歴史を持つ荘厳な街並みが紅蓮の炎に包まれた。
「火事・・・」
「本当ですかイワキリさん!?」
目を凝らすベルフェゴールと鬼怒川。彼らの目にも夕刻にしては不自然な程明るい街が映る。
「ど・・・どうしましょう。この距離じゃ・・・」
口に手を当て慌てるベルフェゴール。
何年も森の獣と渡り合ってきた彼女も、この出来事にはすっかり狼狽してしまっていた。
「・・・そうだな、とりあえず私とイワキリで街に向かおう。ベルフェゴールさんは王城に戻って応援を呼んでくれ。」
冷静に判断を下す鬼怒川だが、その顔は街の炎と反比例するように険しく暗い。
「二人乗りだイワキリ君。飛ばすぞ。」
「・・・・」
「おい!」
「あ、はい。」
イワキリは突然の出来事に僅かの間、放心していた。
一般市民を巻き込んで火をつける。それも理由の無い、強いて言えば自分の殺人衝動を満たすために。
それは人の表情をつぶさに観察し、時には一歩も二歩も引いて場を乱さないようにするイワキリにとって、まさに自分の道徳感情の対極にある行動だった。
それまで魔物に対して「自分が倒さなければならない対象」と認識はしていても、別に特別な感情は持っていなかった。
しかしエウリノームの行動が、直感を行動の最終的根拠とするイワキリの逆鱗に触れた。
絶対に許さない。
王城へと走っていくベルフェゴールを見つつ、イワキリは疾走する杖の上で自分の刀を出した。
いつ、どの角度から見ても凶悪なフォルムであるそれも、彼の精神に呼応してか闘志を纏っているようであった。
イワキリは思った。
今更英雄らしいこと言い出すのもあれだけど、あいつは殺さなければ。
彼の足が震える。それは単なる杖の振動だけではなかった。
・・・・何を臆しているんだ俺は。昔からやればできる奴だったよな?
その問いに肯定するように、大剣は夕日を受けてきらりと光った。