第二十三話
「さて、今後どうするかだが・・・」
イワキリ、鬼怒川、ベルフェゴールの3人は宿の一室、イワキリの部屋に集まっていた。
沿岸漁業が盛んで噂も無いため、ネレイド港とは比べ物にならないほど活気がある港町の宿、部屋はそれほど広くないが清潔だった。
因みに宿代は鬼怒川の負担である。
「私からは二つのプランがある。一つはエイムへ行きセラティエル王へネレイド、アスラフィル間の魔物を退治したことを報告する。もう一つは捕虜から聞いたこの大陸の巣窟へ行き、魔物を倒す。他には何かあるかな?」
「まあどっちかですよね。俺は最初の案に賛成です。装備を整えなくちゃいけませんし、とりあえず王様から報酬貰いましょう。」
本当は「ベルフェゴールの武器の購入」と言いたかったのだが、そうすると暗に今の彼女が足手まといだと言ってるようだったので、オブラートに包んだのだった。
鬼怒川には出来ない配慮である。
「そうだな。今の状態で巣窟に突っ込んでもベルフェゴールさんが危ない。何か武器を購入しなくては。」
その配慮をいとも簡単に打ち砕く鬼怒川。
イワキリは内心頭を抱えた。
「すいません、私も何かお役に立てればいいんですけど・・・」
「いやあなたの知識は十分役に立ってますよ。現にイワキリ君も井戸の一件ではあなたに命を救われたわけですし。」
「そうですか、それならいいんですけど。」
ちょっと明るくなるベルフェゴール。
鬼怒川は人に気をつかったりしない反面、事実を曲げて人を責めるようなこともしなかった。
無論そのことをイワキリは知っていたが、彼の場合は何事も少し遠まわしに言った方がいいと
いう考えである。
しかしこの場では当のベルフェゴールが明るくなったので、彼もそんなに気にしなかった。
「それじゃ、報告しにエイムへ、ということでいいかな?」
「賛成です。」
「私も。」
「じゃあこれで解散・・・」
イワキリと鬼怒川が腰を浮かしたところで「待ってください」とベルフェゴールが止めた。
何かを後ろ手に持ちながらニヤッと笑う。
「私、盗賊団の飛行船から逃げるときにちょっと取ってきたものがあるんですけど・・・」
「何!」
「なんだって!?」
飛行船から盗んできた。そしてそれをわざわざ言うということは今後の旅で役立つものであるということ。
イワキリと鬼怒川は全く同じ結論に達し、真剣な顔になった。
それを見てベルフェゴールが途端に萎縮した。
「あ、いや、あの、すごく下らないものなんですけど・・・」
そうしてワンピースのポケットから出したのは・・・一本の酒瓶だった。
イワキリと鬼怒川は互いに顔を見合わせた。
丁度、イタリア料理店ですしを出されたような表情である。
「あ、あの・・・タグリヌスの魔物を倒したわけですし、その・・・打ち上げ・・・みたいな・・・」
「・・・ベルフェ、俺も少し気を抜くのも大切だと思うけど、しかし酒というのは・・・」
「・・・?、お酒嫌いですか?」
「いや、嫌いというか飲んだことが無い。」
少し驚いたような顔をするベルフェゴール。
「確かに飲みすぎると健康に悪いですけど、おいしいですよ?あ、もしかしてイワキリさん達の世界では貴重だったりしたんですか。」
「法で制限されていてね。20歳以上じゃないと飲めないんだ。」
「そうですか・・・じゃあ駄目ですね。」
酒瓶を仕舞おうとしたベルフェゴールを鬼怒川が止めた。
「法律は国内においてのみ適応される。そして私の記憶する限りセラティエルの法に未成年飲酒についての規定は無い。というわけで今私達が飲むのは何の問題も無い。」
丁重に拒否するものだと思っていたイワキリは音を立てそうな勢いで振り返った。
「先輩!?」
「実は私も前々から飲んでみたいと思ってたんだよ。」
「じゃ準備しますね〜」
嬉々としてコップやつまみの準備をし始める2人を、イワキリは呆気に取られて見ているだけだった。
「エウリノーム様、先程タグリヌスのリリスが討たれたとの報が入りました。」
魔物の巣窟に野太い声が響く。
目立たない洞穴である入り口とは裏腹に、内部は城の回廊に近く、奥にはセラティエル国の王の間に似せて作られたエウリノームの部屋があった。
話しているのはイワキリが闘った牛の怪物である。
彼の重大な報告を、しかしエウリノームは心ここにあらずといった雰囲気で何かを考えているようであった。
「・・・エウリノーム様?」
「あ、うん、わかった。下がって良い。」
入り口の闇へと消えていく怪物の姿をながめながら、彼の報告を反芻した。
「リリス・・・かつて敵対し血みどろの戦いを繰り広げた私の妹・・・死んでしまったか。」
彼はゆっくりと白い手袋を脱ぐ。
蛇の黒い鱗をまとったような、お世辞にも人間の手には見えないようなものを、エウリノームは見つめた。
「不思議なものだ。かつて憎んでいたのに、今こうして死んでみると悲しみが湧き上がってくるとは」
リリス。彼女には他の兄弟が持っていた「自分の手下を作り出す能力」がなかった。
故に人間の迫害を恐れて海の底で生活することを余儀なくされたのである。
そしてその寂しさが、彼女に悪魔の歌声を授けたのだった。
突然、エウリノームの頭に突拍子も無い考えが浮かぶ。それは彼にとっては唾棄すべきものであったが、一度思いついたそれは一瞬にして彼の中で打ち消すことが出来なくなるほど大きく膨れ上がった。
「まさか神は、魔物相憐れみ、というわけで私達兄弟の仲を戻そうとでも・・・?」
数百年来の凄まじい怒りに突き動かされ、エウリノームは手袋を外した拳で玉座を殴った。
バラバラに崩れる玉座。
それは五人の兄弟が王位を巡って争っていた頃、たった一つの神の呪いによって離散していった様子に似ていた。
「ふふふ、もう飲めませんか〜イワキリさん〜」
「う〜目がまわる〜」
寄りかかって甘えたように言うベルフェゴールと、ふらふらで机にぐたーっとなるイワキリ。
そんな様子を面白そうに笑いながら・・・しかし内心では油断無く緊張している鬼怒川。
綱引きの綱のように張りつめている。
体が火照り、上気しているものの、「意思の力」によって彼の精神状態はアルコールによる影響を逃れていた。
なぜ突然酒を出したりしたのか。
彼は僅かにだが、疑っていた。
その真意を確かめるために、敢えてベルフェゴールの打ち上げの提案に賛成しているように見せかけたのである。
もしや彼女は実は魔物か盗賊団の仲間で、隙を作って我々二人を殺そうと考えているのではないか?
それとも実は彼女はどこかで入れ替わっていて、今の彼女はベルフェゴールの姿をとった偽者なのではないか?
グラスを傾けながら、いつでも杖を握れるようにと肩の凝りをほぐす。
そしてベルフェゴールは確かに企んでいた。しかしそれは鬼怒川の考えているようなものではなく、ささいな、でも彼女にとっては重大なものであった。
「もう、起きてくれないんなら起こしちゃいますよ〜」
彼女は突っ伏しているイワキリを横向きにすると、彼の唇にに自分の唇を重ねた。
いわゆる「キス」である。
さしもの鬼怒川もあまりに突然すぎる事態にフリーズしてしまった。
彼は様々な事柄に対し起こりうる展開を数通り考え付くことが出来たが、これには予想外過ぎて事実を認識すること自体にに2秒の時間を要してしまった。
キスする瞬間、ベルフェゴールの目は「マジ」だった。決して酔った上での出来事ではない。
明らかな確信犯である。
そしてそれは何を意味するのか。
そこまで思い至って鬼怒川はやれやれと苦笑した。
酒を出したのは酔うことによってベルフェゴール自身を思いとどまらせる理性を吹っ飛ばすため。
飲んだイワキリが彼女がしたことを覚えていないように、また仮に覚えていたところで「酒の席だから」とごまかせるようにするため。
このベルフェゴールとやら、可愛い顔して結構な食わせ者だな。
鬼怒川は自分の最悪の予想が外れたこと若干安堵しつつ、新たに発生した問題に頭を痛めながら片づけをするためにグラスを降ろした。
「ん、ん〜?」
イワキリはガチガチに固まった体を起こしながら、自分が昨夜酔っ払ってテーブルに突っ伏して寝てしまったことを思い出した。
「ったく、ベルフェとキスだなんて、どんな夢見てるんだよ俺・・・」
妙にリアルな夢だった、と彼が思い返していると頭痛に襲われた。
「14にして二日酔い・・・どんだけ荒れてるんだか。」
目を細く開けて辺りを見回すと、かなり散らかっていたはずの室内が全て綺麗に片付けられていた。
はっと肩に手をまわすと、寝てしまった自分に誰かが制服の上着をかけてくれたということに気がついた。
「お礼言っておかなきゃ・・・」
彼は鬼怒川の部屋を訪れた。
ドアをノックすると普段通りの鬼怒川が出てきた。
彼には二日酔いの影響がなかったらしい。
「おはようございます先輩。」
「ん、おはよう。」
「昨日は片付け手伝わなくてすいませんでした。それに上着も」
「いやいいよあれぐらい。それに上着はベルフェゴールが掛けたんだ。」
そこまで言って鬼怒川は思い出し笑いをするようにちょっと微笑すると、イワキリに問いかけた。
「見たところ二日酔いのようだが、昨日の記憶はどうだい?」
「記憶・・・?はっきりしてますよ。」
「それならベルフェゴールがしたことも・・・」
そこまで言われてイワキリは夢うつつの中、自分にベルフェゴールが上着を掛けてくれたことを思い出した。
「・・・あ、よく考えれば、そうか、そうだったか・・・」
「ふふ、驚いただろ?」
「え?いや、嬉しいかったですけど、そこまで驚くようなことでも・・・」
そのセリフに鬼怒川は耳を疑った。
彼は昨夜の「キス」を「ベルフェゴールがしたこと」として話していたので、イワキリがどう解釈ししたかなんて露知らず、驚いていないイワキリに驚いていた。
「ほ、ほう・・・ちょっと予想が外れたな。」
「まあ元の世界にいた頃もあんなことありましたし。」
「初めてじゃない!?」
「あ、いや、もちろん酒を飲んでぐでんぐでんになって・・・というシチュエーションは初めてでしたけど・・・先輩?」
イワキリは話の途中から額に手を当てて、何やら考え込んでいる鬼怒川が心配になって声を掛けた。
「イワキリ君に対する印象がかなり変わってしまったな・・・」
「へ?どういう意味です?」
「まあ気にしないでくれ。過去は問わんよ。それよりそろそろ朝食の時間だからベルフェゴールを起こしに行こう」
イワキリは前半のセリフに疑問を抱きつつ、鬼怒川と共に彼女の部屋へと向かった。
今話に未成年飲酒を擁護する目的は一切ありませんので。一応断りを入れておきます。