第二十一話
鬼怒川 龍一の才能。
それは絶対的な「意思の力」である。
彼は人並みに感情を持っていたが、それが行動に影響することは決してなかった。
一度目標を立てたら完遂するまでどのような誘惑にも負けることが無かった。
その力故に、彼は無意識のうちに精神攻撃、憑依、恐怖喚起、幻覚に対して異常なまでに高い耐性を獲得していた。
眠れる特性が、英雄ツアーによって呼び覚まされたのである。
しかし皮肉なことに、彼の防御力は攻撃されているのが分からないほど卓越していたため、彼の人を省みない性格ともあいまって事実の認識という点で大きく遅れをとってしまう。
現在の彼も丁度そのような状態に陥っていた。
「この音が原因なのか・・・?」
彼の膂力も2人合わせた力の前に徐々に進行を許してしまっていた。
鬼怒川は必死で思考し続けた。
不幸中の幸いと言うべきか風は進行方向吹いていたので、舵取りさえ何とかなればセラティエルに行くことはできた。
「どうすれば振り切ることが・・・」
・・・いや、だめだ。そんな逃げに走るような行動じゃだめだ。
彼は自分で自分の考えを否定した。
これはピンチであると同時に、最終目的である「魔物退治」を達成するためのチャンスでもある。今セラティエルに着いてもどちらにせよこの魔物を叩くために戻らなければならないのであれば意味がない。
「・・・といってもどうしようもないがな。」
鬼怒川はより力の強いイワキリを抑えるため杖を出し、彼の体に引っ掛ける。
それと同時に、イワキリの呆けたような表情が元に戻った。
「あれ?先輩何やってるんですか?ってかベルフェも・・・?」
「・・・正気に戻ったのか?」
鬼怒川は自分の杖に視線を落とした。
「なるほど、精神の具現化とな・・・」
「どういうことです?」
「よく聞いてくれイワキリ。今我々は魔物に攻撃されている。この歌声みたいなのがそうだ。海に飛び込みたいと思わせる精神攻撃の一種だろう。」
「・・・いきなりですね。」
「いきなりというか、さっきのイワキリ君もベルフェゴールさんと同じような状態だったんだが・・・まあそれはいい。どうやら私の杖に触れているとその攻撃が効かないみたいだから、これに乗って本体の魔物を叩くんだ。」
「オーケイです先輩。」
「杖を止めたいところで大声を出して合図してくれ。」
イワキリは頷くと、歌声のする方へ向き杖に乗った。
「頼むぞ。」
「任せてください。」
ベルフェゴールがうつろな顔で何も言ってくれないのをちょっと悲しく思いながら、イワキリは船を離れた。
「おかしい・・・どうしてなの・・・」
岩礁の一つに腰掛け歌う魔物は、いつまでも海に飛び込む様子の無い相手に苛立ちを覚えていた。
全く効いていない、というわけではなく、現に2人は後ちょっとで船から落ちるところだった。
それを何者かが邪魔したのだ。
「私の歌が聞こえないのかしら・・・」
魔物は本格的に歌おうと立ち上がり、息を大きく吸い込む。
しかし不意に起こった風に危険のシグナルを感じ取り、そのまま後ろへ倒れこむ。
魔物の頭上すれすれを大剣が通り過ぎた。
「ストーーップ!」
洋上に響く大音声。
魔物は顔を上げ、声をあげた相手を確認する。
黒一色の服、右手にたった今投げたはずの大剣を持った少年だった。
鉄の棒に乗ってバランスよく宙に浮いている。
「誰・・・?」
「ありきたりなセリフで申し訳ないが、人に名前を尋ねるときは自分からが基本だぞ?」
少年―イワキリは不敵に笑いながら「と言っても・・・」と続ける。
「その姿を見れば分かるか、魔物さんって」
青白いというより透明に近い白い肌。何層にもわたって体に巻きつけられたボロ布。
そして「蛇」の「髪の毛」。
イワキリの世界で言うところの「メデューサ」だった。
彼女は興味深そうに黄色い瞳を動かしながら、イワキリを見据えた。
「私の歌って下手かしら?」
鬼怒川なら無言で大剣を振り下ろすであろう場面。しかしイワキリはくだらない軽口の応酬が好きだったので、にやりと笑いながら茶化した。
「上手い下手以前の問題だね。歌うと聞いた人間が死にたくなるなんていうのは公害だよ公害。」
魔物は悲しそうに俯きながら言う。
「そう・・・正気を保っているあなたはきっと分かってくれると思ったのに・・・」
その様子にちょっと言い過ぎたか、と心を痛めるイワキリ。
背後で盛り上がっている水の柱には気づけなかった。
「死んで。」
水の柱は槍の形をとり、イワキリ目掛けて落ちてくる。
「・・・!?」
先端は身を捻ってかわすが、残りの水流をもろに受けてしまう。
イワキリは海に落ちそうなところを辛うじて左腕で杖を掴んだ。
「魔物になるとね、人間の肉がとっても好きになるの。あなたもおいしく食べてあげるからね。」
いつの間にか杖の上に乗り、イワキリを見下ろす魔物。
手には凝った作りのナイフが握られている。
それを見たイワキリは思わず顔をしかめた。
「最後に私の歌を聞かせてあげるわ・・・」
無音の洋上、霧が立ち込める中、歌が魔物の口からこぼれる。
甘く優しく、しかし何の温かみも感じさせない冷たい歌。
それどころではないはずのイワキリも、一瞬聞きほれてしまう。
歌いながら魔物はゆっくりと、着実に一本ずつイワキリの指を杖からはがしていった。
「く・・・そ・・・」
全身全霊をこめて握る指も、努力むなしく確実に杖から外されていく。
せめて、とばかりに振り抜かれる大剣も難なく避けられてしまう。
そして最後の一本が離れた。
イワキリと魔物の視線が空中で交差する。
そのまま彼は海へと吸い込まれていった。
「うぐぐぐ・・・」
そのころ鬼怒川は突発的な頭痛に目がくらんでいた。
彼の耐性も、杖に対するゼロ距離での攻撃によって深刻なダメージを負っていた。
それでもなお理性を保っている鬼怒川だが、ベルフェゴールへの注意が逸れてしまう。
「・・・あっ!」
ベルフェゴールの踵が彼の足を強打する。
それでも掴んだ服を離さなかった結果、よろけた彼はベルフェゴール共々柵を乗り越えてしまった。
澄んだ水音が辺りに響いた。