第十話
頬に激しい風を受けている。
ベルフェゴールを誘拐した奴らのアジトは船の上だった。
大航海時代の海賊船のような、マニアが見たら喜びそうな外装だ。
俺はその甲板に立っている。
船の「下」を覗き込むと雲と砂漠の山が「眼下に」見えた。
・・・そう、こいつらのアジトはファンタジーにこれまた付き物の「空飛ぶ船」だった。
航海技術発達してないんじゃなかったんですかねここの世界は。
・・・あ「航空技術」だからいいのか。
とりあえずここから逃げるのは無理だと言うことが判明した。
「こちらへどうぞ」
案内係が俺を呼び、船室への扉を指した。
俺は体に緊張をみなぎらせ、後をついて行った。
「入るわよ〜」
ソファに座り込んでいた私の耳に、ベラドンナのはしゃいだ声が響く。
ドアが勢いよく開かれ、嬉しそうな彼女の顔が覗く。
隣には緋色のジャケットをまとったショートカットの少女がぼんやり立っていた。
地味な顔立ちのせいか、派手な格好をしているにも関わらず影が薄い印象を受ける。
彼女も誘拐グループの一味なのだろうか。
「ちょっとついてきて。あ、後念のために縛らせてもらうわよ〜」
・・・あれ?
私は体全体を見回した。
服の上から細いワイヤーが何重にも巻きつけられていた。
これでは腕を動かすことも出来ない。
私はショートカットの少女を見た。
彼女は我関せず、といった感じであらぬ方を見ていたが、私に巻きつけられたワイヤーの先は
彼女の手にしっかりと握られていた。
いつの間に・・・
確かに今、ベラドンナと話していて彼女への注意は逸れていたが、こんな芸当が出来るなんて・・・
こんなのが後何人いるのかしら。
目下逃げる予定であった私は、考えていたよりも難易度が格段に上であったという事実にげんなりしてしまった。
非常に広い船内を、一味であろう乗組員がテキパキと動いている。
服装は統一されていないが、皆伊達好みなのかかなり派手だった。
俺と案内係が入ってくるや否や、働いていた船員は素早く通路の脇に並んだ。
まさに一糸乱れぬ整列。
・・・こりゃ並の軍隊より規律正しいな。
通路の奥、明らかに他の船室とは違った凝った装飾の扉があった。
「この奥に私達の首領とベルフェゴールさんがいます。」
この奥に、ベルフェゴールがいるのか・・・
あんな風に別れた俺を、どう思っているのだろう。
周りの誘拐グループなんかよりも、ずっとそっちの方が気がかりだった。
「準備はよろしいですか?」
案内係が俺に声を掛ける。その顔は微笑していたが、俺にはそれが本心から笑っているのではないということが分かった。
酷薄な笑み。
あのエウリノームの狂気的な笑顔とはまた違った意味で、それは俺の神経を逆なでした。
直感が、こいつは危険だと告げている。
・・・早く離れたいな。
俺のそんな気を知ってか知らずか、案内係は扉を開ける。
「ベラドンナ様、イワキリを連れて参りました。」
広い部屋の中には古風な木製の家具が配置され、向かって右手には大量の本を収めた本棚が並んでいた。
そして正面に、3人の少女が立っていた。
1人はベルフェゴール。俺を見て驚いたような顔をしている。
どうやらワイヤーで拘束されているようだ。
その先端は赤いジャケットの少女の手に握られている。その少女は、まるでこれから起こる事は映画の中の出来事のように自分とは関係ない、といった態度で窓の外をぼけっと見ていた。
そして最後、黒いドレスの少女が俺に笑いかける。
「ようこそ、私達の船に。私の名前は・・・」
「興味無い早く用件を言え。」
俺は間髪入れずに口を挟む。こういうやり取りは相手のペースに乗せられたら負けだ。
しかし相手はまったく動じていなかった。相変わらず微笑んでいる。
俺は続ける。
「身代金は俺をここに誘い込むための口実だ。本当の目的はそんなんじゃあない。俺じゃなければならない何かだ。そうだろ?」
「さすがはセラティエル国王に認められたハンター。強いだけじゃなくて頭もよろしいようね。そう。私の目的は全然違うわ。私の目的はね・・・」
そこで黒い少女は小首を傾げ、上目遣いで俺を見る。
その可愛らしい仕草に、思わず引き込まれてしまいそうになる。
「あなたに仲間になってもらう事よ。」
「なんだと・・・?」
「私達、各所の遺跡を荒らしたり、お金が余っている王侯貴族からお小遣いを頂いてる『ブルー・ワイルドエンジェル』って盗賊団なのよ。今では一国を治めるまでになった。・・・でもそんな私達でも、魔物がはびこっている遺跡までは荒らせないの。でもそこには素晴らしい魔法の掛かった宝物があるはずなのよ〜。それで私、専門家であるハンターを探していたわけ。そしたら10日前に夢でお告げを聞いたの。『汝の欲する英雄は、セラティエルに現れるだろう』ってね。そんなわけであなたにたどり着いた。ね?仲間にならない?盗賊って自由な職業よ〜。実入りも悪くないし、魔物の遺跡の魔具があれば、きっと5大陸だって手に入るわ。」
「なるほどなるほど。それで人質とって選択を迫っているわけですか。さすがは盗賊というか、頭下げて頼むのが嫌いみたいだな。そんなお前達の仲間なんかには・・・」
そこまで言うと、だるそうな顔の赤い少女が初めて動いた。
手に持つワイヤーの一本を強く引っ張る。
「痛っ!!」
ワイヤーと接しているベルフェゴールの右腕から血がにじみ出る。
「きちんと働いてくれたなら、もちろん解放してあげるわよ。でもそれまで彼女はわ・た・し・の・も・の」
黒い少女がベルフェゴールの髪を撫でながら歌うように言った。
俺は理性を総動員して、刀でバラバラ死体にしてやりたい衝動を抑える。
どうすればいいか、と言っても今の選択肢は2つだけ。下僕になるかベルフェゴールの死か。
こんなの天秤に掛ける気にすらならない。
「分かった。分かったよ。仲間に・・・」
「ならないで下さいイワキリさん!!あなたの口からそんな事聞くぐらいなら私は死にます。」
ベルフェゴールが叫んだ。
・・・もっと素直な子だと思ったんだけどね。
しかし俺もベルフェゴールの声で我に返る。
今黒い少女が意図せんとしているところはすなわち、俺の選択肢を狭めること。
そのために人質を取ったのだ。
だったら人質を取り返せばいい。
・・・正直、今俺が考えている選択がベストだとは思えない。
しかしここで要求を呑むわけにはいかない。
そんな姿見たら自殺する、というベルフェゴールの顔はマジだ。
人質を死なせるのは英雄のすることではない。
俺はいちかばちかに賭けた。
「っあああ!!」
叫びながら、俺は窓の外を指差した。
無論そこには何も無い。
しかし人間の心理と言うものは不思議なもので、誰もこんな状況でくだらない引っ掛けなんてやるとは思わないから、迫真の演技であればあるほど・・・
引っかかってくれる。
案の定、部屋にいた俺を除く3人が、窓の方を見た。
その瞬間、俺は赤い少女に走り寄ると、思いっきり突き飛ばした。
そしてワイヤーを巻かれたベルフェゴールを抱えて、部屋を走り去った。
・・・・・。
部屋の中を、沈黙が支配した。
といっても、ほんの数秒ではあったが。
最初に沈黙を破ったのは灰色の青年だった。
「は、早く追いかけなければ!」
しかしベラドンナが遮った。
「なんで急ぐ必要があるのかしら、どうせここは船の上よ。逃げようがないわ。」
「し・・・しかし、どこかに隠れられては・・・」
「この船のことを何一つ知らないあの2人が向かうのは、甲板ぐらいしかないわ。おそらく、イワキリは死に物狂いで戦うつもり。2人ともみんなを甲板に集めて。」
「は!!」
灰色の青年は答える。
赤い少女も無言で頷く。
ベラドンナは二人が出て行ったドアを見ながら考える。
正直、あんまり無益な殺生はしたくない。
しかしこの船の存在を広められるのは困る。
殺すしかない。
「断るなんて、思ってなかったからね・・・」
英雄を自分の手に掛けなければならない不運を嘆きつつ、黒い少女は緑の髪をかきあげた。