①
時刻は深夜を回り、サラリーマン達は飲み屋を出て帰路を急ぐ。
そんな大通りから外れ、少し裏の通りを歩けば人数も減る。しかしこの裏通りは、ただの住宅街ではなく、いわば現代の遊郭である。多くの女性たちが男達に身を捧げる、現代の遊郭。遊女たちの誘いを断りつつ、遊郭をさらに奥へと進めば、派手な街にそぐわぬ見た目の地味な建物がある。外見は紅い提灯が一つ。張り紙もなければその他の装飾もない。その建物の前で足を止めると、誘いをかけていた女性たちが気まずい顔をしながら少しずつ引いていく。
先輩と俺は同時にこの店に入ったものの、バーテンダーのような係員は先輩を先に案内していく。先輩はこの店の常連らしく、今回俺は半ば強引にこの店に連れられてきた。
「修一様、」
「あ、はい」
名前を呼ばれ返事をすると、そこには眼鏡の男性が立っていた。彼もまたバーテンダーのような服を着ているので、案内役なのだろう。
「2階、薊の間へご案内いたします。」
そう言って一礼すると、エレベーターに乗って移動させられる。日本家屋式でもないのに、珍しい部屋の名前だ、そう思っていると、案内された部屋は和室だった。扉は襖で畳があり、布団があった。
係りの人はしばしお待ちくださいと一声かけ、彼を一人にした。
部屋の中は薄暗く、テレビなどの電化製品もない。強いて言えば、部屋の角で先ほどから灯っている起き型の提灯は、電気で部屋を照らしているようだ。
この和風の空間にスーツの男、もとい修一は似合わなかった。一応上着を脱いだが、それでも和と洋のバランスが悪い。江戸時代を舞台にしたドラマでよく見る脇息――もたれかかるやつ――に体重を乗せ、盆に乗った酒をお猪口で少しずつ口へ運ぶ。その姿はさながら平安時代にタイムスリップした現代人が具現化した神としてもてなされているかのように、場所と不釣合いだった。
「失礼いたします。」
入り口の方から聞こえてきた声は、男性のものであるにも関わらず、透き通るような美しい声で、かつ細く繊細であった。
「遅れて申し訳ございません。薊でございます。」
突然目の前に現れたのは、薄い紫色に花柄の着物を纏った細い青年だった。髪は黒く短く切りそろえられており、眉や唇なども丁寧にケアされていてとても清潔感がある。尚且つその瞳も美しく、かわいいという言葉よりも、かっこいいという言葉よりも、何より美しいという言葉が似合う人だった。
「いえ、よろしくお願いします。」
彼は戸惑いながらも、たどたどしくも挨拶を済ませる。
薊は彼の空になったお猪口に酒を足し、そのまま彼の身体にすり寄るようにくっつく。
しかし男性、しかもこんなにも美しい男性にそのようにすり寄られることに慣れていない修一は、戸惑いのあまりお猪口を落とし、更に混乱が膨らむ。
「お兄さん、もしかしてこういうお店初めてですか…?」
そう薊に聞かれ、恥じながらもはいと答える。
「実は僕、男性とそう言う経験もなくて…、その…先輩に引っ張ってこられただけというか…」
相手をしてくれている薊にこんなことを言うのもなんだが、先に説明しておいた方が良いと感じた修一は正直に話す。
実のところ、会社の尊敬する先輩がゲイであると知り、そのついでにお前男はダメかと聞かれ、はっきりダメと言うこともできず、だったら、と半ば無理矢理連れてこられた。それが今回の一部始終である。
修一は笑われることを予想していたが、薊の口からは思いもよらない言葉が出た。
「…お兄さん、もしかしてバカなんですか?」
「…えっ?」
現れた時の端麗であった顔立ちも今はなく、眉を寄せ本気で罵っていることが伺える表情であった。
「ハッ…すみません…」
自分が客に何を言ったのかをようやく理解し、急いで取り繕う。
「あの…素でいいんですよ…?」
「いえ、そんなことはできません。お客様に暴言を吐くなんて…」
どうやら素の彼は辛辣らしい。しかし修一としては、その美しい顔立ちや出で立ちの中とギャップのある辛辣な発言をもっと聞いてみたいという欲求が生まれてしまう。今なら、マゾですか、と聞かれたら自信を持って否定できないかもしれない。
そこで彼は、どうにかして彼に素を出させようという作戦に出る。
「薊さん、おいくつですか?」
「え…25です。」
「あ!俺23なんですよ!」
「はぁ…」
「だから、敬語も抜いてください!」
彼は笑顔で言い放った。まるで友達が欲しい中学生のような口ぶりで、薊も思わず吹き出してしまう。
「わかったよ。ただ、店には言うなよ?」
了承して敬語を抜き、友達に話すように話しかけると、小躍りでもしそうな勢いで喜ぶ。こういうところが、彼に友達が多い理由なのかもしれない。
「ところでお客さん、もしかしてノンケ?」
「えっ!?」
突然言い当てられて戸惑うしかない。先ほど酒をこぼした畳の上に、もう一度酒を被せそうな勢いだ。
「やっぱり、」
「なんでわかったんですか…?」
「全く手だしてこないし、…あと、幹彦さんゲイの友達いないって仰ってたし、」
幹彦、というのは先輩の名前だ。先輩はいろんな人に手を出しているんだろうか…。
「どうする?今日は何もしない?」
体制的に見上げながら首を傾げる薊は、本人以外の誰から見ても実にあざとい。
「うーん…、でも俺、薊さんならイケそうな気がするな。」
笑顔で告げた本人としては、3割冗談、7割本気といったところだった。しかし修一を見上げる薊の顔はみるみるうちに紅く染まり、顔を反らしてしまう。
「ば、ばっかじゃねーの!?」
またしても暴言を吐くが、修一は確信した。このギャップに自分が萌えているということを。3割は確かに冗談のつもりだったが、みるみる本気が勝っていく。
出合ってものの10分程度で手を出すなんて、自分もまだ若い、なんて考える余裕があったから、身体を反らそうとしている彼の腰に手を回し、引き寄せる。腰細い、そんなことを言ったらまた怒られるだろうか。
しかし修一は、薊の身体が少し震えていることと、同時にまた眉が寄っていることに気づく。
――もしかして、緊張している?自分が嫌なのか…、いや、それならとうに突っぱねているだろう。もしかしてもしかすると、これが初仕事だったりするのだろうか。いやでもさっき、先輩の名前を出していたし。
思考を巡らせるタイプでもないのに頭を働かせたせいで、考えがまとまらない。
しかし修一は、一息ついて薊を抱き寄せている手を緩め、突然に自分の唇を薊の唇に合わせた。薊は突然すぎて目を瞑る間もなく、修一が自分に何をしたかすぐに理解できた。
ただ触れるだけ。束縛することもせず、欲を見せるでもない、ただ愛らしく愛おしいものに、触れるだけのキスをした。
「やっぱり今日はここで止めておきます。また来ますね。」
彼は終始笑顔だった。いや、混乱の顔か笑顔の表情のどちらかだったと言うのが正しい。もちろん去り際も笑顔で、また来ますね、の一言と共に薊の心に強く残ることとなった。
――×――×――
翌日。会社に出勤すると、いつにも増して元気そうな、と言っても表情が変わったりはしないが、そんな幹彦が修一を呼び止めた。
「どうだった?昨日は、」
「…先輩、薊さんに手出しました…?」
結果を聞くなり良い反応を示す修一に、珍しく幹彦にも遊び心が生まれる。
「さぁ、どうだろうな」
しれっといつもの無表情で答えるところがまたリアルで、修一としてはシャレにならない。
「ちょっ、先輩、どっちですか!?イェスかノーですよ!」
あまりに必死な後輩をかわいく思うと、どうしても真実を告げがたい。とりあえず今日のところは仕事で誤魔化して、今夜またあの店に向かうことにしよう。
――×――×――
一方、店『華』では男性陣がロビーを使って談笑していた。男性だけの談笑と聞くとイメージが浮かびづらいが、現在華で行われている男子会に集まった男子たちは華で働く男性たち。つまり全員一人の例外もなく麗しい。
「で?初仕事はどうだったん薊、」
中でも長い黒髪の、一瞬美女と見紛う京都弁の男性、蘭は、薊と昨日の客についてぐいぐい聞いてきていた。
「…何もしてないです…」
「…まぁ、初仕事はそんなもんやろな、」
「そうなんですかね…」
「これから勉強したらええんよ、」
初仕事で一気に3人を手玉にした彼のセリフではない。周りにいる人間は全員そう感じていたが、誰も口には出さなかった。
「相手はどのような方でした?」
眼鏡をかけた案内役をしていた男性、烏が問いかける。華は完全会員制で、会員の招待がないと会員になれない。その分客は基本的に安全な人ばかりだが、時には無粋な輩が入ってくることもある。そのため客と輩の線引きをし、輩を追い出すことが案内係の役割だ。
ということで、烏としては客として安全かを問うたつもりだった。
「すごく…かっこよかった…」
そのためこのように恥ずかしそうに頬を紅くして、彼という男性をどう思うか率直に言われてしまえば、ここにいる男達は全員薊の先輩ということで、まぁ結果から完結に言えば、非常に愛らしい。
「なんやのこの子、魔性なんと違う?」
「お前には言われたくないだろ」
最後にとうとう突っ込みを入れられ、『華』本日の男子会は閉会したのだった。
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