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心地よい風が頬を撫で、良い眠りを得た朝のように清々しい気持ちで目を覚ます。
寝ぼけ眼でぼやけた視界に映っているのは緑色と茶色、そして鼻を突く獣臭。
「ん?」
花梨は瞬時に覚醒すると上半身を起こし、キョロキョロと辺りを見回してから獣臭の発生源を見つめた。
目の前にはイノシシのような動物が一匹。
周囲はハイキングにちょうどよさそうな森。
花梨は手元の違和感に気づき、持っている物ごと右手を動かしてそれを視界に収めた。
「……ナイフ?」
その手にはダガーナイフが握られていたのだ。
状況が理解できていない花梨は再び目の前のイノシシのような動物に視線を向けた。
よだれを垂らしており、息も荒い。まるで今にも襲いかからんばかりだ。
『ヴォォっ!!』
イノシシのような動物がうなり声をあげ、助走動作のように右前足を動かし始める。
「!!!!」
不穏な気配を感じとったのか、花梨はギュッと目をつぶり声にならない声を上げながらとっさに両腕を顔の前にクロスさせるように動かした。右手にはダガーナイフが握られたままである。
右手が勢いよく上に振り抜くように動いたその時、ヒュン、という小さな音がした。
その直後、ヴォォォンっ!と再びイノシシのような動物が鳴き声を上げ、ドスンと重い音が響いた。
花梨は予想していた衝撃が来なかったためつぶっていた目を開き、イノシシのような動物がいる方に目をやると、イノシシのような動物が左足に傷を負って転んでいたのである。先程までは無かった傷だ。
「えっっ!?」
何が起きたのか理解できない花梨をよそに、イノシシのような動物は更に鼻息を荒げて再び立ち上がり助走動作を始めた。
「ちょっと待ってよ!何なのこれっ!」
花梨は両腕を伸ばし、イノシシのような動物に対してストップと言わんばかりに手のひらを向ける。しかし、イノシシのような動物は止まりそうにもない。
花梨は訳の分からないまま、恐怖の下から逃げ出したかったが体は思うように動かず、再びギュッと目をつぶることしかできなかった。
『ビュンッッッ』
突然、何かを思い切り振り抜いた時の音が響き、直後に獣臭に混ざって血のような匂いがしはじめた。
先程まで聞こえていたイノシシのような動物の荒げた鼻息も聞こえなくなり、その代わりにに草を踏んで歩く、ザシュっ、という音が微かに聞こえはじめた。
何か来る。
そう思った花梨は目を開けて、音の方向に視線を向けた。
「なんだってこんなとこに村娘が一人で……」
足音の主は花梨に近づきながらそう呟いた。
手には緩いくの字に曲がった大きなナイフを持っており、それを腰の後ろの鞘に慣れた手つきで戻し、空になった手を花梨へ差し伸べる。