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11.戦神の時            ◆11の9◆

 牙の岬でフランツの艦隊が全滅した。その顛末てんまつについて、アイシャーがコデン王に説明していた。

「では、八十隻の艦隊が全滅したというのか?」

「陛下のために何隻か残しておきたかったのですが、残念ながら」

 アイシャーはあの出来事で自分の果たした役割については一切触れなかった。トゥランの軍艦二隻を追い回していたフランツ艦隊が牙の岬の岩礁に突っ込み、すべて沈んでしまったという事実を述べただけである。ところがその場に居た誰一人として、何故そんなことが起こったかについて質問する者はなかった。

「船に乗り組んでいた者はどうなったのだ?」

「何とかおかにたどり着いた者もいたようで、その数は数百と聞いております」

 実際には数隻の艦船が艦隊とは別行動をとっていた可能性がある。だとしても、牙の岬で海の藻屑となった軍艦には四万を超える士官や水兵たちが乗っていたはずだ。その内、数百しか助からなかったということだ。

「その者たちはどうなっておる?」 

「一部は待ち構えていたエラム人たちに捕らえられました。残りは逃亡したか、途中で行き倒れたかでございましょう」

「エラム軍がシュバールに侵攻したのか? 牙の岬の辺りにはロクアという都市があったのではないか?」

「フランツ人を捕らえたのは、エラムの奴隷狩りの商人たちでございます。さすがに都市に逃げ込んだ者にまでは手を出さなかったようですが、それでもかなりの数を捕まえたということです」

「シュバール領内でのことに、ちんは関知しない」

 しばらく黙考した後、光明殿に居並ぶ重臣たちの前で王はそう宣言した。つまり今回は、面倒なフランツ人の戦争捕虜というものは存在しないということだ。

 だいたい、トゥランとフランツの艦隊の間では今回一発の砲撃も交わされてはいない。だからあれを海戦と呼ぶにはためらいがあった。実態を見れば大規模な海難と言うべきだと思う。だが、トゥランにとっては大勝利ととらえても少しも不都合ではない。

 フランツ側としては敗北を認めるわけにもいくまいが、これだけの犠牲者が出た事実を隠し通すことは不可能だろう。災害だと言い繕ったところで、艦隊が全滅するような海難事故の実態をどう説明できるのだろう。

「エスタタル、フランツはどう動くと思う?」

 次に王は、外務を担当する大臣に尋ねた。白い髭をはやし、腹の出っ張った禿げ頭の男だ。大臣は左手で額の汗を拭うと、慎重に考えながら答えた。

「シュバール国内にいる間諜が何らかの情報をつかんだとしたら、ジプトのフランツ大使館はもうそれを知っているでしょう。一週間以内に報告がパリスに、フランツの帝都まで届きます。ただ、帝国がどう動くか予想がつきません。軍の動向が問題です」

「何故だ?」

 王がそう尋ねる。外務大臣は鎮南軍のマリンヘ司令官に助けを求めた。白髪の司令官は一つ咳払いをしてから、ベテランの海軍士官らしい大きな声で説明を始めた。

「フランツ海軍の受けた痛手は陸軍以上に大きいはずです。何と言ってもフランツ陸軍の総兵力は百万を超えると言われています。骨の河原で失ったのはその内たった五万に過ぎません。それに対しフランツ海軍はキタイ派遣軍に保有する艦船の三分の一を出しました。一線級の船という観点から見れば半分近くでしょう。しかも海軍の士官や甲板員は技術専門職です。養成するには何年もかかり、指導する人材も必要です。フランツ帝国の海外進出方針により、今まで軍事予算の多くの部分を海軍が得ていました。今回キタイ派遣艦隊が壊滅したため」ここで司令官は言葉を切り、黙ってアイシャーの方に会釈した。彼もその艦隊を海の底に沈めたのが誰であるか知っているが、あえて口には出さないと伝えるためだ。「海軍の力が大きく削がれ、フランツでは陸軍の力が増してくると思われます。また海軍も巻き返しを図ろうとするでしょう。逆に海軍の中でも消極的になる勢力が主導権を握るかもしれません。フランツ軍の中は、確たる方針が生まれるまで、しばらく混沌とした状況が続くでしょう」

 マリンヘが口を閉じると、外務大臣が再び話し出した。

「今のフランツ皇帝は、強力な指導力で陸海軍の意見を取りまとめることなどできません。お飾りとは言いませんが、両者の間で微妙なバランスを保つことにより今の地位にいるのでございます。勿論、フランツ国内のほかの勢力も利用しての上ですが……」

 コデン王はしばらく考えてから、再度外務大臣に尋ねた。

「では、しばらく我が国に対する軍事行動は無いと見るのだな」

「少なくとも海軍には、しばらくの間大規模な艦隊を出すことはできないかと。これはマリンへ司令官の判断でもあります。陸軍がフランツから我が国まで陸路で来るには準備に時間もかかりますゆえ、兆候を見逃すことは無いと存じます」

「ふむ……その兆候が出てから対処した方がよいと言うのだな」

 コデン王が頷いたことでほぼ方針が決まり、その後は国内の事後処理に議題が移った。



 あの渡り廊下からリブロが飛び降りて命を落とした後、奴が預かっていたロマの少年ペジナの扱いをどうするかが問題となった。リブロは売国奴だったわけだが、そのリブロを告発したペジナを同罪だとするのは無理がある。銀山に送られていたペジナの父親は脱走し行方不明だった。だいたい国事犯である男を探し出し、子どもを引き渡すこともできない。わけあり物件であり結局どこにも引き取り手がない少年は、そのままリブロの私室に住み着き暮らしていた。

 私とサトゥースそれにジェニの三人は、アイシャーに従ってそのリブロの私室に入っていった。リブロが墜死した後、陸と海とでの二度にわたるフランツとの戦いのため後回しになっていたリブロとフランツとの関係を、もう一度調査するためである。

 部屋の中には数名の書記官がおり、ペジナに手伝わせてリブロが残した記録を調べ直していた。リブロは王の記録管理官でもあり、この書記官たちはその仕事を引き継ぐため、二ヶ月かけて王の書庫を整理した。その後確認のため、この部屋の保管庫も精査しているのだ。

「后妃様、お待ち申し上げておりました」

 書記官の一人がアイシャーを見て声をあげると他の書記官も仕事の手を止めた。

「ああ、シェル以外の者は仕事を続けよ。それでシェル、何を見つけたのだ?」

「私が見つけたというより、この子が教えてくれたのでございます」

 シェルと呼ばれた書記官はペジナを手招きし、アイシャーの前に押し出した。

「オ、オイラはただ、この人に聞かれたから、あれを見せただけだよ」

「あれとは?」

「こちらでございます」

 シェルが取り出したのは手の平に乗るくらいの小さな徽章バッジだった。金色の金属に青い七宝で象嵌ぞうがんされている。中央にダビデの星があり、周囲は二重の円でその外側には歯車の歯が二十三個突き出していた。

「おや、これは」

「ファラメカニクの徽章きしょうではありませんか」

 サトゥースとジェニが声をあげた。

「いや、微妙に違うな」

 私が反対したのは中央にあるはずの『神の目(クオ・モド・デウム)』が無く、また『真実ヴェンタ自由リベルタ友愛フラテ、GOdF』などというお決まりの標語も入れられていないからだ。ダビデの星の中も、ただ青い七宝で埋められているだけである。その差異を指摘すると、サトゥースが疑わしそうにその徽章バッジをつつきながら言った。

「ただの手抜きじゃないのか……それとも紛い物か?」

「いや、これは『機械の神』のしるしじゃ」

 そう言うとアイシャーはペジナに向かい、優しく微笑みかけた。

「これはどうしたのだ、ペジナ? 誰かにもらったのかな?」

「あの爺さんのだよ。オイラが欲しいって言ってもくれなかった」

「ほお、こんなもの、お前は何故欲しいと思ったのじゃ?」

「あの爺さんが大事そうにしてたからだよ。値打ちもんだと思ったんだ」

「いや、これはたいして値の張るものではないな」

「オイラを騙そうったってだめだぞ。あいつはそりゃあ何度もそれを取り出しては眺めていたんだ。だから……」

「何度もとな。ライト、どう思う?」

 こういう時のアイシャーの声はどう考えても猫撫で声というやつに聞こえ、私は久しぶりに背筋がゾクゾクするのを感じる。その徽章きしょうを裏返してみると材料は真鍮しんちゅうで、かなり古いものであるのがわかった。前にエラムへの旅の途中で見たものと違い、裏には上着などに留めるためのピンが無い。その代わり上になる方の端に細い鎖を通すための環が付いていた。メダイと呼ばれ、信仰の徴として教会から与えられるものだ。

「これは、作られてから十年以上たっています」 

「爺さんもオイラに、昔から持っている物だと言ってた」

「リブロは何年も前からフランツと関わっていたということですな」

 したり顔で言うサトゥース。

 私はてっきり、ポイッソン代将の手紙を仲介したことがきっかけでリブロが脅され、フランツに内通することになったのだと思っていた。だが、昔からこの徽章きしょうをリブロが持っていたとしたらどうだろう。ずっと前からトゥランの重要な情報がフランツに筒抜けだったという、笑えない事実を認めなくてはならないことになる。

「それにしても、どうして今頃話す気になったのです?」

 ジェニがそう尋ねるとペジナは目をキョトヨトさせながら答えた。

「オイラ、役に立ちたいんだよ。だから、追い出さないで!」

 なるほど、リブロという保護者を失ったこの少年はいつ王宮から放り出されるかずっと不安に思っていたのだろう。今は衣食住を与えられているが、そうなったら路頭に迷わなければならない。仕事もあてがわれず一人ぼっちで過ごしているうちに、これからどうなるか不安になったのだ。だからたまたま自分の寝起きしている部屋に調査のためやって来たシェル書記官に、リブロが大事そうにしていた物を差し出したというわけだ。


「ライト?」

 アイシャーは片方の眉を少し上げ私に声をかけた。それだけでアイシャーの尋ねたいことが私にわかるだろうというのか? リブロのことか? ペジナの処遇か? まあ両方だろうな。

「この徽章はリブロが『機械の神の教会』の信徒だったことの証拠です。光明主義者だったのかもしれません。ファラメカァニクの一員でさえあったのかもしれない。トゥラン王家の秘密の一部は、かなり前からフランツに漏れていると考えるべきでしょう」

「フランツ帝国がトゥランを標的にしたのはそのためじゃな」

 そう言ってアイシャーはもう一度私を見た。

「ペジナにはもう少しこの部屋の調査を手伝わせましょう。その後のことはその間に考えておきます」

「とりあえずそんなところじゃな。シェル、調査が終わったらわらわに報告を」

 アイシャーは最後にそう命じると紅宮に帰っていった。


 私たち三人は残り、もう少しの間その部屋の中を調べた。聞いてみるとリブロはペジナに読み書きや算術を教え、書類の整理などを手伝わせていた。子供がいなかったから、将来は自分の助手か跡継ぎにするつもりだったのかもしれない。ただリブロの裏切りはいずれ露見せずにはいなかったはずだ。そのとき奴はこの子をどうするつもりだったのだろう? そんな疑問を抱いた私は、リブロの行動で何か変わったことが無かったかペジナに尋ねた。

「あのジジイはあんたのことをとっても気にしてたよ。あんたが何者か知りたいって、いつもブツブツ言ってた」

「ライト様のことを?」

 ジェニがそれを聞きつけて近寄ってきたので、ペジナが後ずさりした。私は手でそれを制し、何でもないことを聞くようにさりげなく話しかけた。

「リブロが私のことなんか気にするはずがないだろう」

「ホントだよ、手紙にも書いてた」

「まさか。どうして知ってるんだ?」

「オイラ、手紙の下書きを読んだんだ。あの爺さん手紙には必ず下書を書くんだよ。オイラがまだ読めないと思って、机の上に置きっぱなしにしてたんだ」

「誰にあてた手紙だった?」

「わからない。難しくて全部は読めなかったけど、あんたのことを書いてあるのはわかった」

「宛先は不明なのですね」

「でも同じ相手だよ。あんたのことを、何通も、何通も」

「何通もだって、いったい相手はだれだ?」


 リブロが誰と連絡を取っていたのか二週間後に判明した。相手の方からシューリアにやってきたのだ。 

本作品に登場する、人物、組織、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。

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