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11.戦神の時            ◆11の6◆

 中天高くから降り注ぐ陽光の下、白く広がる平らな河床を私は走っていた。このあたりでは川幅が四百(ヤール)ほどまで狭まり、両側を高い崖ではさまれている。だが河床の起伏がほとんど無いため、見渡す限り身を隠す場所など見つけられそうもない。上流の山地ではそろそろ雨季が始まっているはずだが、ここではまだ乏しい水量の流れが白い石灰岩の河床に網の目のようにつながる窪みをたどって下っていくだけだった。アケージアル湖から下流のこのあたりは、季節になると大河と言えるほどの水量となる。その時どっと流れ下るその激流が、長い年月に渡り石灰岩の地層を削ってこの峡谷を造り出していた。

 ターン、遠い銃声が響く。数瞬後かなり離れた位置に跳弾があって白い岩の破片を飛び散らせた。下流の方を振り向くと、緩やかに蛇行した河筋のためそこから下流が見えなくなるあたりに、小さな人影の動きが見えた。いくら施条銃ライフルでもこの距離では必中など望めない。単なる脅しか、反撃のためこちらが足を止めることを期待しているのか、いずれにしても私は撃ち返すつもりなど無かった。

 私がたずさえている騎兵銃は銃身が短く取り回しに優れるが、反面銃身が長い奴らの銃より射程が短い。それに常日頃私がこの騎兵銃で撃つのは、百(ヤール)以内の的だけだ。私は再び上流に向かい、浅い水面を蹴散らして走り出した。


 後から追ってくるのはシュバール兵だった。王都からラエルに戻った私たちは、先陣を切ってシュバールに侵攻したサトゥース率いる竜騎第三大隊と共に、ゴグとマグの二つの都市の兵力を撃破した。これを知ったウルとウルクの二都市はトゥランに対し休戦を求めてきた。すでに上陸しているフランツ軍がやって来るまでの時間稼ぎと承知の上でサトゥースがそれを受け入れたのは、トゥランの側としても戦力を消耗したくなかったからである。この休戦により、トゥランの軍一万は無傷でこの二つの都市の側を通過し、ジプトに進軍することができた。私がウルに留まったのは、休戦協定が守られるよう誰かがそこにいて見張っている必要があったからだ。だがジプトに侵攻したトゥラン軍がパルガ湾近くの砂漠でフランツ軍と会戦し、敗退して撤退してくるという間諜の知らせが、軍用鳩によってウルにもたらされた。シュバールにしてみれば休戦を守る必要が無くなったのである。それどころか、至急各都市の兵力を糾合きゅうごうしてトゥラン軍を討つべしという声が上がった。そんなわけで、休戦を監視するためウルに残っていた私が、シュバールの兵に追われているのである。


 ジェニとはウルを出て直ぐ、追っ手をまくために分かれた。馬を確保できたのは私とジェニだけであり、休戦が破られたことをサトゥースに知らせるためにも、私たちは捕まるわけにはいかなかった。少なくともどちらかがこの情報をサトゥースに知らせなくてはならない。私が馬を捨て徒歩でケーロン河を遡ることを選んだのも、明らかに先行して河を渡ったジェニから、追っ手を引き離すためだった。


 ターン、再び銃声が聞こえた。どこに着弾したかわからない。追って来ているのは、明らかに一人ではなかった。だが弾薬を節約するためか、連続して撃ってはこない。空は晴れ渡り、小さな雲がいくつか高所を吹き渡っていくだけだ。

 このような追跡行では、銃と弾薬というのは結構な重荷だ。最初は気づかなかったのだろうが、やがて奴らも持ち物を減らさなければ追いつけないことを思い知っただろう。私の騎兵銃は奴らの銃より二斤近く軽い。足場の悪い河床を長距離走り続ける限り、よほどの体力差があるのでなければ、追い付くのは難しい。


 シュバールとジプトを結ぶ街道がケーロン河と交差している場所から、どれだけ遡ったろう、ふり返ると二つの人影が次第に距離を縮めて来るのがわかった。多分足の早い兵に銃だけを持たせ先行させ、私を追跡させることにしたのだろう。近くまで追い付かれ狙撃されたら、私も応戦せざるを得なくなる。足止めされているうちに敵の本隊が追い付いてきたら私の詰みだ。あわてて私は足を速めた。


 一刻ほどすると右手の騎兵銃が、私にも重く感じられるようになってきた。後の二人はじわじわと距離を縮めてくる。街道から外れてもう三刻近く歩き続けてきたというのに、タフな奴らだ。私もそろそろ限界に近づいていた。

 ガーン。明らかに前より銃声が近づいて来ていた。弾丸は水面で跳弾した。あと二百(ヤール)ほど進めばまた河筋が蛇行して崖の陰に入るが、あそこまでたどり着くのは無理だろう。私は周囲を見回し、右岸の崖下に積み重なっている瓦礫がれきの側に走る。岩陰に身を隠して川下を眺めると、追跡してきた二人が足を止め近くの窪みに伏せるのが見えた。多分あの窪みには水が流れているだろうから、二人とも濡れ鼠だ。


 ガーン。突き出された施条銃ライフルから弾丸が放たれ、私が遮蔽物にしている瓦礫がれきに当たった。私の騎兵銃だと狙撃が難しい距離だということを知った上で私の足を留めている。老兵らしい冷静な判断だ。二人のうち片方は狙撃兵だろう。だがもう一人は私の知っている男のようだ。

「おーい、テイモソ将軍。聞こえるかぁー?」

 私が叫ぶと向こうで動きがあった。

「どぉーしたぁ? 耳が遠くなったかぁー」

 ガーン。銃声が狭まった崖の間を木霊こだました。

「それが返事かぁー? 声は出ないのかぁー」

「犬の息子めぇー。せいぜい吠えていろぉー」

 おや、やはりあの将軍だ。私は岩陰から自分の銃を突き出し発砲した。ガーン。

「どこを狙っているぅー。玩具の鉄砲かぁー?」

 こんな状況にも関わらず、私は腹を抱えて笑い出したくなった。ウルで見かけたので、もしやと思ったのだが、私を追って来たのはテイモソ将軍だった。私を息子の仇と思い込んで、ウルで出会ってから付けねらっていたのだろう。そうでなければハサスの知らせで直ぐに脱出した私たちを、これほど早く追って来る事ができるはずがなかった。まったく、執念深い男だ。


 太陽は中天を過ぎたが、日没までまだ三刻ほどあり、陽射しは容赦なく照り付けていた。私は川筋を遡るという判断から、水筒を馬の鞍に残してきていた。実際水の流れは私から数(ヤール)のところにある。だが岩陰から私が出た途端、施条銃ライフルの弾丸が飛んでくるだろう。三刻も逃げ続けて水の無い私と、濡れ鼠になっているテイソモ将軍たちと、我慢比べというわけだ。

 だがそれも、シュバールの後続の兵たちが川下から追い付いて来るまでのことだった。膠着状態になって半刻ほどたつと、遠くの川床を歩く十数名の姿が小さく見えてきた。

「おぉーい、ライト。降伏しろー。もうお前はおしまいだぁ。降伏すればぁ、命だけはぁたすけてやるー」

 嘘だな。それとも「死ぬよりひどい目にあわせてやる」とか考えているのかもしれないが……。

 降伏しなかったらどうなるかな? あの人数で弾幕を張って私が岩から顔を出せないようにしておいて、その間に何人かが距離を詰め、私を制圧するという段取りだろう。


 やがて私の予想通り、シュバール兵たちが発砲を始めた。私も時々顔を出し反撃するが、もちろん狙いを定める暇などない。やがて頭を出そうとする度に、そこに弾丸が飛んで来るようになった。もう反撃は無理だ。こちらの弾が尽きたと判断したのか、何人かの兵が走って来る足音が聞こえた。間近に迫ったと判断して岩陰から転げ出ると、銃を構えて回り込もうとする兵士と出っくわした。

 ガーン。騎兵銃を発砲する。弾丸が男の胸に当たった。起き上がろうとする。何者かに背中を蹴り飛ばされて俯けに倒れる。とっさに身体を横転させて仰向けになる。今まで倒れていた地面に銃剣が突き刺さる。銃剣を地面から引き抜いた兵士が私を見て銃を構える。発砲するのか、もう一度銃剣を使おうというのか。動けない。兵士の目元がこわばった。

 ガーン。

 その兵士は口を開け、何かを叫ぼうとしてそのまま倒れた。


 ガーン、ガーン、ガーン。派手に銃を撃ち合う音がした。どれも施条銃ライフルの音だった。私の頭上を弾丸が飛び交い、時々近くに着弾する。私はあわてて岩陰に転がり込んだ。やがて数に勝る方がもう一方を制圧し、銃撃戦は終止符を打った。


「もう頭を上げてもよいですぞ、ライト殿」

「ふーっ、遅いぞソンブラ」

それがしが銃声を聞きつけたのは少し前だったのですが、こちらに銃を持った兵が揃うのを待っておったのです。一気に片付ける必要がありましたからな」

 川上の崖の陰からエラム兵を率いて現れシュバール兵たちを無力化したのは、私たちと別れエラムに残ったソンブラだった。

「まあ、取り逃がすわけにはいかないというのはわかるが、今度はもう少し早く来てくれ」

それがし以外、ライト殿の命を奪える者などおりませぬよ」

「ところでエラムは施条銃ライフルをどこで手に入れたんだ?」

「フランツ帝国の植民地との三角貿易だということです。ビロンの軍用飛脚が持っていた文書を憶えておいでかな?」

「テイモソ将軍の息子が持っていた暗号文か?」

 ソンブラは頷いて片目をつぶった。

「あれのせいでずい分と恨みを買ったようですが、あの文書の中に『積荷は銀と剣』とありました。『剣』は武器、すなわち」

施条銃ライフルか」

「フランツ帝国の植民地は黒人奴隷なしでは立ち行かないのです。本国とエラムがもめて困った彼らは本国の政治家を動かし、エラムの要求する武器と引替えに奴隷を手に入れたというわけです」

「それは三角貿易とは言わないんじゃないか? それに戦争相手に武器を輸出するなんて、フランツ帝国は何を考えているんだ?」

「まあ、フランツ帝国の中にもそれで潤う商人や政治家がいるということでしょうな」

 そこへアシュ王の半身、グルガルが現れた。厚手の作業着を身につけ、腰から下は乾いた泥のようなものがこびり付いている。まったく王様らしくない姿だ。

「シュバール兵を尋問して大方のところは聞いた。ダズからはトゥランが撤退戦を続け、ケーロン河畔まで後退しつつあると知らせがあった」

「知らせ、ですか?」

「まあ、知らせ、ということにしておこう。この身とダズが一つだということは秘密だ」

「それでジェニは……?」

「あの女は無事トゥラン軍のところにたどり着き、シュバールの休戦破りを知らせたそうだ」

 それを聞いて私は気が緩むのを感じた。だがグルガルは、そんな私に休息を取る暇を与えるつもりが無かった。

「いよいよ決戦だぞ、ライト。ソンブラと共に急いで河を下るのだ」

 本作品に登場する、人物、組織、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。

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