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11.戦神の時            ◆11の3◆

「その役はそれがしにお任せいただけぬかな?」

 視線を上げるといつの間にかそこにソンブラがいた。

「一体何の話だ?」

「ドミーナ殿を目覚めさせるという先ほどの話、聞いておりましたぞ」

「どういう風の吹き回しだ?」

「なあに、それがしにもちょっと興味があるのですよ。『恋人たちの死モルテ・デ・アマンテス』をジェニ殿がライト殿に用いられた手管てくだと、その成果にね。幸いドミーナ殿はそれがしに関心をお持ちのようだ。上手くいくとは思われませぬか?」

 ああ、そう言えばこの男の正体をすっかり忘れていた。こいつの中のどこかにはモルという魔導師が潜んでいるのだった。

「魔導師には到底払えぬ代償ではなかったのですか?」

 ジェニが信用できぬという目つきでソンブラを見ながら言った。

「互いの心の中に生き、その膝の上で死に、瞳の中に葬られる。この秘儀セクレタを知る魔導師は、魔導師であるがゆえにこの技に手を染めようとはしないでしょうな。支配することを望むにもかかわらず結果として支配されることになるのですから」

「では何故?」

「おや、それがしは魔導師ではありませぬよ、お忘れか?」

「ソンブラは幽鬼ラクシャかもしれないが、モルはどうなのだ?」

「はて、それはわかりませぬが、少なくとも反対はしておらぬようですな」

 私はジェニの方に視線を移した。私にはその『技』とかいうものについての知識がなく、その効果を測り知ることもできない。このソンブラという男をそこまで信用することが出来るかどうかも、よく考えると確かではなかった。この男には政治的な立場とか忠誠心などというものはなく、ただ己の望みのままに行動しているに過ぎないからだ。

「アイシャー様は何とおっしゃるでしょう?」

 てっきり一刀両断に否定の言葉を口にすると思ったジェニが、ためらいを見せてそう言った。

「そう言えば、ソンブラとモルの関係については報告する暇がなかった。どう考えるかな?」

「そのことはとっくにご承知です」

 モルについてアイシャーがもらした言葉の端々から考えると、知っていても不思議はない。ただ、アイシャーがこのソンブラでありモルでもある存在をどう思っているかはわからない。だが今回の任務では、いちいちアイシャーにお伺いを立てている余裕もないだろう。私はサトゥースと話しながらチラチラとソンブラの方をうかがっているドミーナを見て決断した。

「ではソンブラ、お手並み拝見といこうじゃないか」


 ソンブラがドミーナを伴ってどこかへ姿を消した後、私はジェニに質問した。

「一体その『恋人たちの死モルテ・デ・アマンテス』というのはどんな儀式なんだ?」

「決まった形式などありません。ただ自分のすべてを与えることで相手の一部を奪い、相手の完全なる死の中に己の小さな再生があり、二人の復活の中に流血の痛みがある。それだけのことです」

「結局は言葉では伝えられぬということか?」

「はい、対になった言葉はお互いを打ち消すので何も伝えはしません。その時何があったのかは、そこに居合わせた者しか知ることができないのです」

「私はそこに居たのか?」

「はい私も」

 私は再び満たされた酒盃の中を見つめた。赤い酒が天井から吊るされた灯の光を受けて揺れていた。



 一週間後私たちはトゥラン海軍のスクナーでラ・ポルト港を出た。南東の風を間切って帆走したので、エラムの港バザまでそれから五日かかった。そのままセト河の河口に入り、水先案内の男を乗せて河を遡る。戦列艦さえ遡行可能な大河であるがところどころに砂州や瀬などの難所があり、順風とは言っても安易な操船は許されなかった。

 エラムの王都アンシャンは川辺にあり、私たちがアシュ王に面会したのも川岸にある離宮のテラスであった。王の半身であるグルカルがテラスの上で私たちを出迎えた時、直ぐ側の川面ではもう半身であるダズが女たちと一緒に水浴をしていた。やがて水から上がってきたダズに対しソンブラが、

「その肌の色は水を浴びても落ぬのですか?」と尋ねると、ダズはニヤリと笑って答えた。

「ああ、これは墨を入れたのだ。元の肌ではエラムの臣民が戸惑うのでな」

刺青いれずみなのですか!」

 ドミーナが驚いて後ずさりした。それであればいくら水につかっていても色落ちする心配はなかろうが、全身に墨を入れるとは並大抵のことではない。後で聞いたところでは、ドミーナの養父母が所属していた神殿でも、呪術的目的で簡単な文様を肌に彫り込むことがあるそうだが、苦痛を伴うことから一種の試練や通過儀式とされているとのことだ。

「ダズの場合は頭に入れた人形ひとがたの彫り物を隠す必要もあってな」

 グルガルが笑いながら言った。そう言えばあの文様は何の意味があったのだろう?

 私の疑問を察知したらしいダズが、自分の頭に指を触れて説明した。

「これは、ロマの仲間から脱けるとき入れられた印だった。もうこの身はロマでも、元ロマでもなく、エラムのものだからな」

「そう言えば、トゥランで捕えたロマたちが鉱山から逃亡したと聞きました」

 探りを入れたジェニの言葉に、ダズは平然とうなずいた。

「手引きをしたのは我らだ。それを理由に交渉を打ち切るなどとは言うまいな」

 これには私が答える。

「それが表沙汰になりさえしなければ、大した問題にはならないでしょう」

「それはトゥランを代表しての見解かな?」

 グルガルが口をはさんだ。

「表沙汰にならなければと申し上げましたが」

「公式見解ではないというのか」

 私が黙って頭を下げると、グルガルは薄笑いを浮かべるダズにむけ頭をしゃくって見せる。

「まあ、そのへんで妥協しておこうではないか」

 ダズはそう言って離宮の中に姿を消した。


 グルガルはドミーナの品定めをしていたようだが、声をかけようとはしなかった。エラムでの女の地位は表向き高くない。通常は男の財産として扱われ、家畜のように売り買いされる。ただし奴隷と違うのは、母権の強さだ。母親は息子に対し一定の権力を持っており、例えば婚姻においては拒否権を持つ。ドミーナが後宮に入るためにはグルガルの母親の承認を得なければならない。

「陛下のご母堂様はドミーナ様を受け入れて下さいましょうか?」

 グルガルは私の問いにしかめっ面で答えた。

「この身には母がおらぬのだ。後宮は妹が取り仕切っている」

「それは失礼をお許し下さい。では改めてうかがいます。妹君様がドミーナ様をどうご覧になるとお思いでしょうか?」

「それは後ほどわかるであろう」


 結論から言えばドミーナはアシュ王の後宮に受け入れられた。エラムにとってもこの同盟は必要であり、ドミーナを追い返すなどという選択肢は当面なかったのだろう。ドミーナが後宮の一員となった後、アシュ王グルガルは始めてドミーナに話しかけ、同盟の『しち』としての立場を認めて交渉に同席することを許した。

 交渉の中で私はフランツ軍の捕虜の扱いについて説明した。フランツ帝国が身代金を払わなければ、エラムに奴隷として売り渡すということだ。グルガルはニヤリと笑い、

「なんなら奴らの付値に少し上乗せしてもいいぞ」と言った。

 奴隷以外の産物の海路による交易は問題なく受け入れられ、銅や錫などの鉱石を船で運ぶ方法も検討された。


「フランツはジプトに陸軍を上陸させ、トゥランを攻略するつもりらしいな」

 ダズが交渉の行われている部屋に現れ、そう言った。ダズとグルガルが一つの人格だというのは、なかなか受け入れにくいしわかりにくい。その場その場で別人格であるかのように振舞うこともあり、あるいはアシュという一人の王として振舞うこともあるから、なおさらだ。フランツ陸軍の上陸については、ロマの情報網から何かつかんだのだろう。

「エラムには海軍がちょっかいを掛けてきているようですが?」

「トゥランがあの二隻の戦列艦を始末してくれたおかげで、かなり圧力が下がったな」

「では、こんどはエラムがトゥランを手助けしていただきたいのです」


 私はサトゥースと相談して案出した、フランツ陸軍を迎え討つ作戦について説明した。


本作品に登場する、人物、組織、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。

 2014.04.19.  『文頭の1字下げ』の誤り2ヶ所訂正。

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