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10.エラムの魔王         ◆10の8◆

「ドゥムジ?」

 それはウルクの神殿に祭られている神の名だ。あるいは女神イナンナから神々の知恵メーを与えられ、ウルクの最初の王となった男の名とも言われる。ウルクを他国の侵略から守る戦いの神としてイナンナが位置づけられているのも、このつながりによるものだ。

「お前はウルク神殿の者なのか?」

 グルガル・ダズが疑わしそうに私を見下ろした。だがジェニを知るソンブラの受け取り方は違った。

「ジェニ殿が言われるのは、イナンナの連れ添い(つれあい)である羊飼いのドゥムジのことか?」

 ジェニは肯定も否定もせず黙って唇を噛んだ。

「ライト殿、あなたはなぜジェニ殿に聞けと言われたのか? 説明が必要だろう」

 内輪もめをしている場合ではないと思うのだが、先ほど奴の正体をばらした意趣返しもあるのだろう、ソンブラの矛先は私に向かってきた。だが私は私が誰であるか知らないのだし、ジェニはおそらく知っている。だからジェニに聞けと思わず言ってしまったのだ。しかしそれを、私がジェニを盾にしているとソンブラは受け取ったようだ。

「お前は何者なのだ? ルズ、ゲルマヌス、そして今度はドゥムジだと!」

 さらにグルガルが私を詰問きつもんする。この期に及んで、ただのゆきずりの冒険者、傭兵、流れ者で済むわけがない。ソンブラを幽鬼ラクシャだの魔導師だのと言ってしまった時点で、一緒に行動している私たちもただ者ではないと見られるのはわかりきっていた。ただ困ったことに、ダズやグルガルやソンブラのような規格外を相手にしていると、私の口はどうも滑りやすくなる。


「私たちをここに連れてきたのは、そんなことを知るためなのか?」

 無駄な足掻きかもしれないが、少しでも話題を変えようと私はそう尋ねた。

「ああ、お前らがどんな目的でアンシャンに潜入してきたのか知るためだが、無論お前の正体も確かめねばならん」

 冷酷で少しも揺るがない目でダズ・グルガルが私たちをにらみつけた。壁際に並ぶエラム兵たちは身動き一つしない。だが合図があればすぐさま私たちを取り押さえようとしているのがわかる。どう考えても多勢に無勢だ。ソンブラが暴れればその間に脱出することができるだろうか? いやこの大広間を出られたとしても、迷宮の出口を見つけることは難しい。地上から降りてくる途中にはいくつもの分岐があった。


「ジェニ、君は私が何者であるか知っているのだろう?」

 この窮地から抜け出す方法を思いつくことができないまま、私は時間稼ぎもありそう聞いた。

「私が知ったのはライト様が四つのペルソナをお持ちだということです。それぞれの名は後で知りました」

「それが、ライト、ルズ、ゲルマヌス、ドゥムジの四つだというのですな」

「女、どうやってそれを探り出したのだ!」

 そう尋ねながらグルガル・ダズが双頭の大きな獣のように首を傾げ、両側からジェニの顔をのぞき込んだ。だがジェニは臆する様子も無く、ふてぶてしい笑いを浮かべて答えた。

「それは女の秘密です」

 この表情が誰のものか私は知っている。ソンブラが立てたあのティピィの中で間近に見た女の顔だ。

「ジェニ君は!」


「どうやら図らずもこの場に、転生を果たした者が三人集まったようです」

 ソンブラが私とダズ・グルカルを見比べながら話し出した。

「だがアシュ陛下のは『転生』と言えるかどうかわかりませんな。もっと違った何かかも知れません。それを言えばそれがしの場合も、ライト殿も、いわゆる『転生』とは異なるのでしょうが……」

「お前たちの話が偽りでなければであろう」

 ソンブラは、魔導師として転生を果たした者にとって関心を持たざるを得ない話題をとりあげようとしていた。心ならずもであろうが、グルガル・ダズの意識が当面問いただそうとしていた問題からそらされた。おやこれは、まるで闘牛トゥロマクィヤのようではないか。


それがしは先ほどライト殿が言われたように、キタイの魔導師モル様の一部を抱えております。モル様にとっては満足できる転生とは言いかねるでしょうな、確かに」

「それは転生の過程で、そのモルという者が滅ぼされたからだと言ったな」

「どうやらモル様は、それがしの身体に転生してしばらくの間、魔導師として十分な力をふるうことができないのではないかと恐れたようです。それで最後の瞬間まで転生を引き伸ばしていたのでしょう。それが裏目に出て、それがしはいまだにそれがしです」

「ふむ、いつまでもそのままとは限らぬぞ」

「それがそれがしの怖れていることです。いつ何時モル様が表に浮き上がってきて、それがしが消されてしまうかもしれません」

「あるいは我・我らのようにお互いが融合するかもしれん」

「それが一番無難な形なのでしょうな。まあ、そういうわけでそれがしは今、ほとんど魔導の力を使えぬのです」

 自分は危険な存在ではないと言いたいのだなソンブラ。ずるい奴め。


「さて、ライト殿だが、あなたはそもそも何者なのです?」

 おやソンブラ、今度はこちらか。

「知らん。実は記憶が無いのだ」

「我・我らを誤魔化す気か!」

「いやいや、それがしもそうではないかと前から疑っていました。思いもよらぬ知識を持っているかと思うと、時として子どものように無知でもある。並みの人物のように見えて、隠された知恵(オ・カルト)を口にする。記憶が失われていると言われれば、まあ納得はできます」

「ふむ、だとしたら女、お前はどうやってこの者の正体を見たのだ?」

 ジェニはダズ・グルガルの視線を避けて顔を伏せた。


「ジェニ殿、それがしが思うに、あなたは『恋人たちの死モルテ・デ・アマンテス』を用いたのでしょう。まったく危ないことをする!」

「代償は払いました!」

 ジェニが顔を上げ、ソンブラをにらみつけた。

「心の中に生き、膝の上で死に、瞳の中に葬られる。お互いに、ですか……魔導師にはとうていできぬことです。だが魔導師しか知らない秘儀セクレタだ」

「四度の夜が必要でした」

「四つのペルソナが相手では、さぞかし激しい戦いだったのでしょうな。しかも今やあなたとライト殿のきずなを切り離すことができるのは死だけだ。いやライト殿に関しては、死さえ……」

「アイシャー様もおっしゃいました。ファラオと同じように四つの命を持つライト様は死によっても消し去ることはできないだろうと」

 おやそれではまるで、私が不死身の存在だとでもいうようではないか?


「ああ、だが記憶の無い今の私はそこのソンブラ以上に無害な男だ。無論魔導など使えない」

 ソンブラにだけ無害宣言をさせておくのもしゃくなので私も言ってみた。

「いつ記憶が戻るかわかりませんぞ。それに記憶が無くともライト殿は、獅子三頭に幽鬼ラクシャ二名をお一人で倒しておいでです」

 ソンブラめ! 他人の足を引っ張るな!


「そうか、獅子三頭に幽鬼ラクシャ二名を一人でとな! クックックッ、ハッハッハッハッ」 突然グルガル・ダズが笑い出した。

「おや、それがし面白いことでも申しましたかな?」

 やがて笑いの余韻を残しつつ、ダズは一段高くなった石棺の側へ戻りあの土豚ツチブタの被り物を被りなおし、グルガルは私たちの方を見て腕を組んだ。

「この方がよかろう。どうも我・我らとして話すと、考えが同時にいくつも浮かんでは流れ、取り留めがなくなる」

 なるほど、あの状態は必ずしもいいことばかりではないということだな。


「この身が」とグルガルは自分の胸を叩いて言った。「この身がかってダズという男と出会った時、興味を引かれたのは己をなげうっても同胞を救おうという気概きがいであった。目的も果たせず己の命まで失う可能性の方が高い賭けに挑戦できる、無謀さが目新しかったのだ。それゆえこの身はダズに、その望みと引替えに魂の契約をもちかけた。こうしてこの身の中にいるダズを知ってみると、その気概と見えたものが単なる思い上がりによる愚かさだったとわかるのだがな。だがこの身はすでにダズでもあるのだから、それは己の愚かさというわけだ」

「昔このダズという男を知っていた者から私が聞いた話では、ダズはそんな立派な人間ではなかったということだったが……」

「だから『愚かさ』と言ったではないか。ダズが同胞のために我が身を差し出すことに同意したのは、高潔な思いからなどではなく、己に対する英雄願望に過ぎぬ。かって己が追放同然で逃げ出さねばならなかったロマという同族を救う、英雄になりたかったのだ」

「そのため己のすべてを差し出す自己犠牲は、それなりに崇高なものではないのか?」

「このダズという男は、己が何を失うかよく考えるのを面倒がったのだ」

「魔導とは真逆な男ですな」と、ソンブラ。

「まさにそのとおりだ。だがダズのお陰で、魔導師グルガルであった時には見えなかった世界が、この身の前に開けたのも確かだ」


 グルガルは組んでいた腕を解き、喋りながら歩き回り始めた。

「このダズという男は自分の欲望のままに世界をさ迷い歩き、世界中にある愚かな欲望の溜まり場のよどんだ底に頭を突っ込んで廻ったのだ。だから今最も愚かな欲望が渦巻いているのが世界のどこかをよく知っている、知識ではなく体験としてな」

「それはつまり……」

「ああ、イベリカ大半島、それともイベリカ亜大陸というのが正しいのか、そこにあるフランツ帝国を中心とする国々だ」

 いったいこのグルガルという男は、何を言い出そうとしているのだろう?


「マシーリアのルズに光明主義について知っているかと聞くのもおかしいことだが、諸王国を滅ぼした革命の裏で光明主義とファラメカァニクが果たした役割は認めるだろうな」


 かってイベリカにあった諸王国の王権は長い間旧教権によって承認され支持されるものであったが、近世になって教権の束縛を嫌う王たちによって次第に、王とその一族が神より直接与えられたものであり、王は神からのみ責任を問われると主張されるようになった。だがその背後にはファラメカァニクの次の段階を目指した巧妙な意図が隠されていた。王権が神から直接与えられたという主張を証するものは王自身の言葉しかなく、この王権を否定する革命が起こった場合、王の一族は自分たちの力以外の何者をもあてにできず、単独での戦いをするしかなかったのだ。また倒された王権は神の信頼を失ったのであり、革命は正当だったという論理が成り立つことになった。

 革命の嵐が過ぎ去った後、滅んだ諸王国は統一され、フランツ帝国というイベリカ亜大陸全体とかっての諸王国の海外植民地群からなる大帝国が誕生した。フランツ帝国の帝権は国民との契約によって成立しているという言葉が、光明主義者たちの思想に支えられたフランツ帝国の憲法には記されている。


「だが光明主義の主張は、フランツ帝国の国民が支持しさえすれば皇帝は他国に何をしてもかまわないという政策ポリシィを生み出した。そして国民は『パンと娯楽サーカス』を与えておけば皇帝を支持する。その結果が今の世界の現状だ」

「世界の現状……?」

「大量の施条銃と高性能な大砲による侵略と支配、フランツ皇帝が目指し半ば実現しようとしているのは、世界帝国の建設だ」


本作品に登場する、人物、組織、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。

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