10.エラムの魔王 ◆10の7◆
あの被り物を取ってしまうと男の身長は六尺半程度、確かに大男だが驚くほどではない。私たちと一緒に来たあの番頭とたいして違わなかった。
「これはこれはダズ様じゃないか。某にセルバで会った時のことを憶えているかな? あの時とはずいぶん色艶が変わったようだが」
ソンブラが相手を挑発するのは戦いたいからだ。すなわち相手を戦うに値すると認めていることになる。今ここにいるダズはセルバで簡単に手取りにした相手とは異なると、本能的に感じ取っているのだろう。一方ダズの方は、ソンブラの戦闘能力を十分承知しているはずなのに、少しも臆する気配がなかった。
「グルガル、どちらの男がルズを名乗っているのだ?」
ダズがわざわざシュバール語で番頭に尋ねた。どうやらこちらの大男はグルガルと言うらしい。グルガルは私を指して言った。
「こちらです。マシーリアのルズだと言っていました」
「ほぉ、それは興味深い」
「ルズはマシーリアでオーセルの僧正だったゲルマヌスだとか、あるいはその生まれ変わりだとか称していた男です」
「するとこの男は千四・五百年も前から生きているわけだ」
「ゲルマヌスはエツェル大王を説得してトロワの町を救ったループス僧正の友人だったそうですからな」
ダズとグルガルが顔を見合わせ、咽を鳴らして笑う。どうも変だ、二人の笑いはまるで互いに鏡に映したようだ。
「さてマシーリアのルズといえばかってはファラメカァニクの賢者として名を知られたお方だ。それがどうしてアンシャンなどという地の果てに来られたのかな?」
笑い終わって私の方に目を向けたダズが聞いた。
「エラムで興味深い実験が進行中と伝え聞いたのでね」
何も考えず浮かび出てくる言葉のままに私は答えた。ここに来て見るとアイシャーが私をここに派遣した第一の理由はこれだろう。
「興味深い実験とは?」
「転生による不老不死」
「何を馬鹿な!」後で罵ったのはシュバールの『将軍』だった。「こんな頭のおかしい流れ者にジョヴェムは殺されたのか……」
「何度でも申し上げるが、あれは不幸な事故だったのだ。私たちはたまたまその場に居合わせたに過ぎない」
「ではなぜあの文書だけを持ち歩いていたのだ! 貴様たちがキタイかトゥランの間諜だからだろう」
その点だけは大きな失敗だった。あんな書類などすぐに捨ててしまうべきだったのだ。完全にごまかすことができない場合はいくらか真実を混ぜた嘘をつくしかない。
「まあ、私たちがトゥランやキタイと関わりがあることは否定しない。そちらの人物とかって出会ったのもトゥランだった」
「やはりそうではないか!」
「まあテイモソ将軍、この者たちと朕は、いやこのダズという身体は、顔見知りだ。この者たちが言うことにも多少の真実は含まれていよう。少し落ち着いてはくれぬか」
「替玉の言葉など聞けるか!」
テイモソと呼ばれた将官はいきり立って足を踏み鳴らした。すると次の瞬間、グルガルがテイモソの胸倉をつかみ片手で高く持ち上げ、まるで子猫を捕まえたようにしてゆすぶった。そこへダズの野太い声が響く。
「お前は考え違いをしている。この身は替玉などではない。この身の言葉はエラムの王たるアシュの言葉だ。この身を通して話しているのはエラムの王である」
ダズが語り終えるとグルガルは手を離し、テイモソはボロ布の塊のように石畳の上に落とされた。
「いやはや、某は今とんでもないものを見ているようですな」
「わかるのか?」
「あのグルガルというのが元々のエラムの王なのでしょう。だが今はダズの身体と元の身体の二つを同時に使っている。朕という言葉が文字通り当てはまるとは!」
王の一人称である『朕』はどの国の言葉でも複数形である。本来は国の民全体を一人で体現する王であるから『我ら』を一人称で用いるのだが、この場合は二人で一つの人格を持つ存在なのだ。
「人格、つまり魂を共有しているとすれば、二人の知識も共有していることになる。これを繰り返していけば、無限の叡智を体現することも可能だ」
「それは神への道ではないですか! しかし、どうしてこのようなことが起こったのでしょう?」
「アシュがダズにまだ負債を抱えているからだと思う。すべてのロマに自由をという条件を満たしていないからだ」
「ではその条件が満たされた時、この状態は解消されるのですか?」
「いや、このダズだかアシュだかわからないものは、もうそれを望んでいないだろう」
「お二人とも、何をのんびりと話などしているのですか! こんな、こんなおぞましい物は滅ぼしてしまわねばなりません! アイシャー様もそれをお望みです!」
ああなるほど、この存在は『女の原理』に真っ向から対立する。激高するジェニを見てそう考えた。アイシャーの憂慮したのも、この存在が生まれ、増殖して力をつけていくことを怖れてだったのだろうか? ファラメカァニクが探り出そうとした秘密というのもやはりこれか? それにしても、私ごときに何ができるだろう?
ふと気がつくとソンブラもまた、私の側で何やらわけのわからぬことをつぶやき続けていた。馬脚を現すという言葉があるが、多分こいつの正体の方がよりわかりやすい『謎』だろう。そう思った私は、つい言わないでもいいことを口にしてしまった。
「どう思う、ソンブラ? お前の転生もこんな結果になったかもしれないと思わないか?」
ハッとした顔になって我を取り戻し、ソンブラが目を上げた。
「何をおっしゃっているのか某にはとんと……」
一度口にしてしまった以上、途中でやめてしまうわけにもいくまい。
「いや、お前の場合はひとりなのだから『モル』という真の名で呼んだほうがいいのか?」
ソンブラはしばらく黙って私の顔を見つめていたが、やがてフフンと鼻で笑うと言い返した。
「であればライト殿、あなたの正体こそ何者なのです? 『マシーリのルズ』ですか? それとも『聖ゲルマヌス』様ですか? あるいは、もっと別の誰かなのですか?」
まあ一度ソンブラの正体を口にしてしまえば、話がそちらに飛び火することはわかりきっていたのでこれまで黙ってきたのだが、今そのことを話す暇はなさそうだ。
「ジェニに聞け」
私はそう言って跳び退いた。テイモソが起き上がりざま、腰の短剣を抜いて私に向かってきたからだ。息子を殺されたと思い込んでいるにしろ、あれで戦意を失わないとはしぶとい奴だ。さすがは歴戦の将というべきだ。ダズとグルガルはそれを面白そうに見ている。きっと子どもの喧嘩ぐらいにしか思っていないのだろう。先ほどはダズに対する無礼をとがめたに過ぎないのだ。
ジェニが自分も剣を抜こうとするテイモソ将軍の部下に一撃を加え昏倒させた。私とテイモソは向き合い、お互いの動きを牽制しながら位置を入れ替えた。
「なあ将軍、さっきから言っているとおり誤解だ。私たちはあなたのご子息を殺めてなどいない」
「うるさい! 犬の息子め! ギャンギャン吠えるその口を黙らせてやる!」
「頭を冷やせ、こんなことであなたに怪我をさせたくはない」
「駱駝のヨダレめ! 糞にたかる蝿のようにブンブンいうその口にこの刃をねじ込んでやる」
この男の悪口はかなり豊かな備蓄があるようだが、感心してばかりいるわけにもいかない。私はため息をつき、ちょうどテイモソの後の位置にきたソンブラに目配せした。
ほんの一歩前に出たソンブラが奴の首をつかむと、糸の切れた操り人形のようにテイモソは石の床に崩れ落ちた。
「ほぉ、面白い技を使うな」
グルガルが笑いながらそう言った。
「それはセルガで我・我らを縛り上げたときに使ったのと同じ技か?」
グルガルとダズが声をダブらせて聞いた。それからまたお互いを見つめ合い、咽を鳴らして笑った。
「何が可笑しいのか教えてもらえるか?」
私が尋ねると再びグルガルとダズが笑う。見ていて気持ちのよいものではなかった。
「いや、我らだけでいるとこのようなことはないのでな。我ら以外に語る相手がいないと、我らは声に出さずともわかり合えるゆえ、こんなことは起こらぬのだ」
「なるほど、新鮮な体験というわけだ」
「そうだ、体験、『我ら』という新たな体験だ!」
「今まで二人同時に人前に出たことがなかったのか?」
「このように語る機会はなかった」
「ダズの記憶を共有しているなら、私たちがあの宿に泊まろうとした時から、私たちの正体はわかっていたのだろう」
「我・我らの意識・記憶の融合はそんなに簡単なものではない。多分何年か何十年かはかかるだろう。今はこうして同じ場所にいるから、すぐに呼び出しすることができるが……」
「ああ、埋もれている記憶のようなものか?」
「なるほど! 某の場合ともちがうのですな」
「妙な技を使うようだが、お前は何者なのだ?」
ダズ・グルガルがソンブラに向かって言った。
「キタイの幽鬼にして転生者、ソンブラことキタイ帝国魔導院の魔導師モルさ」
私が代わって紹介してやるとソンブラが嫌な顔をした。自分の名前や正体をできるだけ隠しておきたがるのは魔導の性というやつだろう。
「某はソンブラでありますよ、ほとんどの部分は。モル様が某に成り代わる前に、ライト殿が焼き滅ぼしてしまったではありませんか」
「どこからどこまでがソンブラでどこがモルなのかわかるものか!」
「あの炎に焼かれながら、僅かな記憶だけを某に移されたのです」
「信用なりません」
見知らぬ相手を見る目でソンブラを眺めながらジェニが言った。まあ蛙だと思ったら実は毒蛇だったというところだろうか?
「それではもう一人は何者なのだ?」
アシュであるダズ・グルガルが尋ねるとソンブラはジェニの方を見た。
「さっきから某もそれを知りたいと言っているのです。ジェニ殿あなたはご存知なのでしょう」
ジェニは何と答えるだろうか? 実は私もその答えを知らない。ライト、マシーリのルズ、聖ゲルマヌス、どの名が私の真の名なのだ? だが三方からの視線に晒され、搾り出されるようにジェニの口から漏れたのは別の名だった。
「ドゥムジ」
本作品に登場する、人物、組織、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




