10.エラムの魔王 ◆10の6◆
「さて、このまま夜更かしして起きて待つか、それともひと寝入りするか、どちらがいい?」
私がそう聞くとソンブラは口の端をつり上げて笑いながら答えた。
「せっかく寝入ったところを叩き起こされるのは本意ではありませんな」
「じゃあ、このまま飲み続けるか?」
「しかしあの番頭、出て行ったきりですぞ」
「アシュ王の迷宮まではどんなに急いでも往復半刻はかかろうさ」
ジェニはあきれたように言う。
「あの番頭が王とつながっているのを承知の上で放っておいたのですか?」
「ジェニ殿とて、あの大男が騒ぎ出さぬのを不審に思っておられたでしょう」
ソンブラが丁寧な口をきくのは腹に一物ある時だ。まあ、他人をおちょくっていると考えて間違いない。ジェニもその辺は心得ていてまともに取り合ったりしない。私に向かって話を続けた。
「王の手の者がやって来るなら、こちらの出方を話し合っておかねば……」
「そんなの、行き当たりばったりでよいではないですか」
ああ、うるさい! ソンブラ、そんな風に他人にからむ奴は女にもてないぞ! 私の心の声が聞こえたのか、ソンブラが突然黙った。いやジェニも何かに耳を傾けている。どうやらここにもお仲間のハサスは来ているらしい。
「宿が囲まれています」
「普段からこの宿は見張られていたようだな」
「そんな様子は見えませんでしたが」
ジェニは誰もハサスの警戒線に引っかからなかったと言いたいのだろう。
「メカァニク相手にあからさまなやり方はしないだろう。多分近くの店か家が丸ごと監視所なのだ。普段は当たり前の営みをしながら、抜け目無く見張りを続けていたのだろう」
「それはまるで『草』ですね。私どもハサスも敵地や出先ではそのような方法を取りますが、ここはエラムの王都ではありませんか」
「番頭はその監視所に駆け込み、この宿が包囲されたわけですな」
「脱出するなら、陽動で騒ぎを起こします」
ジェニは監視者を見つけられなかったことをハサスの失態と思っているのか、少しせいた口調になった。
「いや、せっかく迎えに来てくれたのだから、迷宮にお招きいただこうではないか」
「さすがはライト殿だ」
ソンブラがいかにもうれしそうに言った。ああまったく、こいつの好きそうな展開になってきた。
番頭と一緒に入ってきたのは肌の黒いエラム人ではなく、私たちと同じような黄色い肌で頭帯を頭に巻きケープをまとった初老の男だった。がっしりとした身体つきで髭をはやし、いかにも傭兵然としている。ケープの意匠から考えて軍用飛脚を務めていたあの男と同じビロンの傭兵だろう。
その後から入ってきたのも、同じケープを身に着けた男たちだった。数人が番頭と一緒に二階に上がっていき、やがて私たちの荷物を持って下りてきた。
「荷物の中に後装式の施条銃や弓矢までありました。それからこれが」
下士官らしき男が最初に入ってきた男に差し出したのは、旅嚢の中にあったあの報告書だった。佐官か将官に違いない男はその文書をしげしげ見ると、私に向かって厳しい顔で言った。
「これがここにあるということは、ジョヴェムは生きてはいまいな。お前が殺したのか?」
「いや、不幸な事故があったのだ。多分そのジョヴェムという男だと思うが、私の前で落馬したのだ。私はまったく手を出していない」
「そんなことが信じられると思うか!」
「信じようと信じまいとそれが真実だ。曲がり角から曲がって姿を現したと思ったら、馬が棹立ちになり、振り落とされたのだ」
「ジョヴェムは乗馬の名手だった!」
「どんなに馬の扱いが上手くても、不幸な事故というものは起こるものだ」
「クソッ、この人殺しめ!」
私にとびかかり、押し倒そうとしたその男を引き止めたのは意外にもあの番頭だった。
「お待ちください将軍、息子さんのことはお気の毒ですが、この男は王のところまで生きたまま連れて行かねばなりません」
その物言いはあの凡庸な大男ではなく、シュバールの上級士官を一言で制止することのできる権威が含まれていた。この番頭何者だろう? 流暢にフランツ語もシュバールの言葉も話す時点で、ただ者ではないと考えなければならなかったのだが、あまりにのんびりした話し方に騙されてしまったようだ。
「さて旦那、ルズ様でしたかな? それにそちらのお二方にも、ご同行願います」
このままビロン兵たちの中に置いておくのは賢明でないと考えたらしく、大男は尋問を後回しにして私たちを連行することにしたようだ。
「将軍はどうされますか?」
「無論一緒に行くとも、王がこいつらをどうするか見逃すわけにはいかないからな」
「ではご随意に」
私たちの荷物を持った数名のビロン兵を付き従え、一同は宿の外に出た。そこには武装した数名のエラム人が待機していて、大男の命令で私たちを取り囲んだ。これで私たちは、正式にビロン兵からエラム側に引き渡されたことになったらしい。
「多分手近に宿を包囲するだけの人数がいなかったので、拙速を選んでビロン兵に助勢を求めたのでしょう」
ジェニが私にささやいた。私は周囲を見回し、驚くべきことに気付いた。
「これほどのビロン兵士が駐留しているとは! 普通では考えられん」
他国の軍を自分の国の王都に置かせるなどということは、よほど立場の弱い属国でもなければありえないことだ。今目にしているビロンの兵だけで少なくとも中隊規模、もしあの男の『将軍』という呼称が実質を伴っているならば、千に近い兵が指揮下にあるはずだ。
だがビロンがアンシャンを占領しているとしたら、大男はずいぶん強気であり、あの『将軍』の態度も解せない。
両側に並んだ巨牛の石像に守られた真っ直ぐな石畳の路の奥に、迷宮の門はあった。中に入ると石造りの大広間の正面に牛頭の巨人の姿が浮き彫りにされており、その両足の間に青銅の扉が開かれている。私たちは松明の明かりに照らし出された大広間の奥に進み、青銅の門をくぐった。そこからは松明を持ったエラムの男たちが先導し、大男と私たち、そして将軍と下士官らしい男が続いた。折れ曲がった石の階段を下り、地中深く降りていくのがわかった。階段や廊下の天井は高く、松明の光がとどかないほどだったのだが、かえって上から何かが下がってきて押し潰されるような気がして、息が苦しくなった。
感覚が鈍り、どれだけ歩いたのかわからなくなってきた頃、前にまた青銅の扉が現れた。
その両側には三脚に載った鉄の籠があり、篝火が焚かれていた。
その前には二人のエラム兵が立っていて、大男が近づくと互いが持っていた槍の穂先を打ち合わせ、交差させて前を遮った。
大男がエラム語らしい言葉で何かを叫んだ。大方「王の命により捕らえた不審な異邦人を連れてきた」とでも言ったのだろう。二人のエラム兵は再び槍の穂先を打ち合わせると両側に別れ、青銅の扉が重々しく軋んでゆっくりと開いた。
扉の中は幅三十尺、奥行きは百尺もありそうな石造りの広間だった。壁際に三脚に載った篝火の鉄籠が並び、篝火の後には金属の大きな鏡が置かれていた。この鏡のおかげで光が広間の隅々まで行き渡り、高さ五十尺はありそうな天井まで照らし出されていた。
大広間の奥の一段高くなったところに巨大な石棺と思われるものがあり、その前に異形の人影が立っていた。身長は七尺近くあり、エラム人らしい漆黒の肌。だがその頭は、大きく突き出し少し下に曲がった鼻面と菱形で後にとび出した両耳、重たげにかぶさった目蓋まで、黒い土豚の頭部そのままだった。
「なるほど、アシュか!」
「そうだ、それが我が君の名、偉大なる強さのアシュ、大地の神ゲブと天空の神ヌトの子、砂漠と嵐、争いの神、異郷からの来訪者アシュ」
「あの被り物を取った顔を拝みたいものだ」
大男の言葉をソンブラが途中で遮った。
大男はソンブラをにらみ、「不敬者め!」とののしった。
すると石棺の前にいた異形が喉を鳴らして笑い出した。その異様さにソンブラまでがギョッとしたようだった。異形は私たちの方に近づき、野太い声で話しかけてきた。
「この下の顔が見たいのか?」
「その被り物と、下の顔のどちらが麗しいか知りたいな」
ソンブラが言い返した。挑発してはダメだろう!
「いいだろう」
野太い声がそう言って土豚の頭に手をかけた。ズボッっというように大きな頭が外れ、その下から漆黒の肌をした顔が現れた。その顔としばらく見合っていたソンブラの顔に驚きが浮かんだ。
「おやぁ! これは、どこかでお目にかかったことがあるなぁ」
突拍子も無い声を上げるソンブラに、何を言っているんだと言いかけた私は、思わず目をこすりそうになった。
「ライト様、この者は!」
ジェニが私の腕をつかんだことにも気付かず、私は一歩前へ出た。
「そうか、見覚えのある顔だと言うのだな」野太い声が笑いを含んでいった。
それは肌の色こそ違え、あのダズの顔だった。
本作品に登場する、人物、組織、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




