10.エラムの魔王 ◆10の5◆
「ダズがエラム王の使い魔だというのか?」
そう私がささやくとキャステロは一層声をひそめて話を続けた。
「ルズ殿があの『マシーリアのルズ』であるならば世の人の目から隠された技について、わしが説明するまでもなかろう」
「だが人間を使い魔にするとは! それは……」
「さよう、本人が同意したということになる」
使い魔は魔導師が使役する魔物・動物のことで、術者の命令を忠実に実行する主従関係にある存在、というふうに言われている。使い魔は『契約』によって縛られ、主人に決して背くことはできない。また主人は『契約』を通じて使い魔と感覚を共有し、はるか離れた場所から使い魔を通して話したり行動したりすることができる。だがその使い魔がどんな魔物・動物かによってできる行動には自ずから制限がある。
もし人間を使い魔にすることができれば、その魔導師は同時にいくつもの場所に存在し、まるで自分が何人もいると同じような、人を超越した力を持つことができる。
人間を使い魔にするためには一つの障害がある。魂つまり自由意志をそこに残したまま人間を使い魔とすることはできないのだ。魔導師はその技によって人間を苦しめたり騙したり殺したりすることはできても、本人の同意なく人間存在から魂を取り出すことはできない。無理にそうしようとすれば魂は消え去ってしまい、もとの身体は人間として存続することができなくなる。生きている屍とかゾンビなどと言われる、どう見ても人間といえない姿になってしまうのだ。
しかし、ファラメカァニクのグランド・マスターとはいえ、キャステロがどこまで知っているか不明だが、その先があるのだ。私は自分の中から現れてきたこの知識・記憶に圧倒されそうになり、アイシャーが言ったという「その日」が意味するものについて考えた。セルバでダズを捕らえたとき、アイシャーはこのことを見通していたのだろうか?
「王の名は何と言うのですか?」
私が黙っているのを見てジェニが尋ねた。そう言えばこれもトゥーリアを出る時からの課題だったのだ。王の真の名を知ることが。
キャステロは両手の指を組み合わせ、一つ一つの言葉を検討するように区切りながら話し始めた。
「いくつもの名前がある。最初の頃はマンバ・マンバと呼ばれていたが、これはエラム語で『王の王』という意味に過ぎない。その昔フンのエツェルが配下の者に己を『諸侯の王』と呼ばせたのと同じだ。エラムの民は王の名をグロシュランゲと呼ぶ。だがこれも『大いなる蛇』という意味だから本当の名ではないだろう。最も真の名に近いとわしが思うのはアシュというのだが……」
「ああ、それは砂漠の嵐と争いの神セテカァの別名だ」
「王は神の名を名のっているわけですな」
ソンブラが話しに割り込んできた。そういえばこいつも魔導に関心を持っているのだった。
「まあ、人間を使い魔にしようというのだから、自分を神に等しいと考えているのかもしれん」
「それはそんなに大変なことなのですか?」と、ジェニ。
「もし人間を使い魔にすることができれば、その魔導師は同時にいくつもの場所に存在するという、まるで神のごとき超越した力を持つことができるだろうな。だがそのためには、使い魔になる相手の完全なる同意が必要だ」
そう言ってキャステロはため息をつき、葡萄酒をあおった。この男も一度はその可能性を探ったことがあるはずだ。何しろ危険を冒してまで王の真の名を探り出そうとした男だ。
「魔導師になら何とでもなりそうに思えますが」
ジェニはそれがそんなに難しいとは、納得できない顔だ。
「契約するに当たっては、完全なる理解と合意が必要です。そして契約では嘘偽りの無いお互いの魂が晒されてしまう。人間を使い魔にするということは、相手の魂を自分の中に受け入れるということなのですから、嘘やごまかしは通用しません」
ジェニに説明するソンブラの目は私の表情の方をうかがっていた。私がどこまで知っているのかと探るように。そう、これは単なる冒険者や傭兵などが持っているはずのない知識だ。世界の隠された姿を探求する者だけが知っている秘密だ。
「いったいエラムの王はダズにどんな代償を支払ったのだろう?」
私がそう呟くとキャステロが視線を上げ、口の端をつり上げて笑ってみせた。
「それだけはわかっている。ダズの出自はご存知かな?」
私は黙って眉を上げ、続けろとうながした。
「ダズはロマの民の生まれだが、若い頃に仲間から逃げ出し野盗を働く一味に入った」
「ふん、野盗もロマも大差はないだろうに」
茶々を入れた途端、ソンブラの横腹にジェニがひじを打ち込んだ。
「まあ、その後いろいろあったらしいが、そのダズがあることを求めて、五・六年前王の元へやって来たのだそうだ」
「あること?」
「そこからはわしも多少関わりがあることなのだが、ルズ殿はフランツ帝国が白人奴隷の売買に反対していることを知っているだろう?」
「フランツがというより、フラメカァニクがだと思うが」
「まあ同じことだ。実はロマのある支族をまるごと捕らえ、エラム王に売った者たちがいたのだ」
「支族まるごと! いったい誰が?」
「そんなことのできるのは一個人ではありえない。ある国、とだけ言っておこう」
「なるほど、ロマを邪魔に思っている国は少なくないからな。それにロマを嫌う人間も多い。いなくなっても文句を言う者は誰もいないだろう」
「ダズは捕らえられたロマをすべて解放してくれるように王に嘆願したのだ」
「嘆願?」と、ジェニ。
「ダズに身代金が払えるわけ無かろう」
キャステロはもうわかったろうという顔で私たちを見回した。
「ダズはロマたちの解放と引替えに己の魂を差し出したわけですな」
ソンブラがうなずきながら言った。なるほど、ロマの頭目が言った命をかけても返さなければならない『借り』とはこのことなのか。
「アシュは支払いを完了していない」
私が考え込んでいると、そうキャステロが付け加えた。
「どういうことだ?」
「ダズの条件は捕らえられた『すべての』ロマを自由にすることだ」
「ひょっとして、すでに奴隷として売られてしまったロマの自由も含むのか?」
キャステロは黙ってうなずいた。
だとするとダズの魂は完全にアシュのものにはなっていない。条件が完全に満たされるまでダズは、まだいくらか自由意志を持っているはずだ。
「ダズを操っていたのは第三王子ではなかったということですか?」
ジェニがもらしたその言葉にキャステロが眉をひそめた。
「第三王子ですと? どこの国の王子のことです?」
ソンブラが右手を伸ばして首筋に触れるとキャステロは静かになった。騒ぎ出される前に先手を打ったのだろう。ただ気絶させただけのようだったので、私は手を上げて声をかけ、番頭のエラム人を呼んだ。
「おい、お前の旦那は飲みすぎたようだぞ」
大男の番頭は不審な顔をして寄って来た。
「おかしいな、うちの旦那は底無しのはずなんだが」
「体調でも悪かったんだろう。お前一人でベッドに運んでいけるか?」
「ああ、一人で大丈夫だ」
番頭は小柄なキャステロを、子どもでも抱き上げるようにして運んでいった。
「うっかり口が滑りました」
ジェニが謝罪した。ソンブラがニャニャしている。いつもの仇を取ったつもりなのだろうか? だとしたら、大きな勘違いだ。
「ジェニ、第三王子に手を出しているのがメカァニクかどうか試そうとしたな」
「では某は余計なことをしたというわけですか?」
「いや、知りたいことはわかったろう?」
「はい、少なくともキャステロはファルコのことを知りませんでした」
あのやり方で気絶させると多分直前の記憶があいまいになっているはずだとソンブラがいうので、キャステロのことは放っておくことにした。
「そんな方法があるなら、なぜ捕まえた相手を全部殺してしまうのです!」とジェニが責めると、ソンブラは「いや、まあ、確実とは言えぬので……」と口を濁していた。私は単に奴が面倒くさがっただけだと思う。
アシュ王とダズの関係は少し明らかになってきた。ウルクとエラムやフランツとの関係はまだはっきりしない。第三王子のファルコ、本当は贋王子だが、それを操る者の正体は多分アシュ王だろう。それにしてもアイシャーは私に何をさせようとしているのだろうか?
「ところでマシーリアのルズとはどんな人物なのです?」
ソンブラがこの男にしては珍しく真面目な顔で尋ねた。
「教えていただけるなら、私も知りたいです」
ジェニまでが言うのであれば何も話さないわけにはいかないだろう。
「四十年ほど昔にフランツの港町にいた男だ」
「おお、あのポカイア人の町マシーリアにですか」
「それは二千年以上も昔のことだろう」
ソンブラは時々突拍子も無い知識をもらす。
「それでルズとは?」
ジェニがうながした。
「一人でパンテオンを持っていたというメカァニクの伝説の男さ。その男がグランド・マスターで、他には誰もいない。徒弟も職人も親方も。客人だけは受け入れたというがな」
「そんなことが許されたのですか?」
「その男はいろいろ不思議な知識を持っていたらしいからな」
「不思議なとは?」
「世に隠された知識ですな」
ソンブラが納得顔で言った。ジェニはまだ不審顔だ。
「でもキャステロがよく信じましたね」
「信じはしなかったろうが、メカァニクの秘密の合図と問答で、信じたふりをするしかなかったのさ」
「それで偽りの名前を信じたふりをして、あなたが何者か探り出そうとしたわけですね」
「偽りの名ではない。ルズとは光という意味だからな」
本作品に登場する、人物、組織、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




