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10.エラムの魔王         ◆10の3◆

 私がとっさにとった行動は自分でも説明できない。両手を広げて道の真ん中に立ちふさがった。乗り手が一瞬手綱を引き、次に緩め、私を踏みにじって駆け抜けようとするのがわかった。馬は目の前の障害物と引かれた手綱に反応して踏鞴たたらを踏んだが、緩んだ手綱に再び走り出そうとしていた。次の瞬間私は跳躍し、持っていた銃の銃床の腹で馬の鼻面を引っ叩いた。驚いた馬は前に進むのを怖がり棹立さおだちになった。

 乗り手は鞍頭にすがろうと手綱から手を離したが空をつかんでしまった。後に投げ出された乗り手は頭から地面に落下した。馬が前足を着けたのを見た私は無意識に銃を持ち替え、右手でくつわに手を伸ばした。後で考えると馬が暴れだすのをとめようとしたのだとわかるが、無謀なことだった。馬はよく訓練されていたらしく、なれた手で手綱を押さえられると素直に従って動きを小さくした。しばらく足掻いていたがやがて荒かった鼻息も静かになった。


「馬が手に入ったようですね」

 ジェニが落馬した乗り手の脈を確かめてから言った。どうやら絶命しているらしい。

「肌の色から見るとエラムの者ではない。シュバールから来て帰るところだったようですな」

 ソンブラが乗り手の身体を引きずって道の片側に寄せ、持ち物を調べ始めた。男はシュバールの傭兵がよく着ているケープのようなものを肩にかけていた。これと頭帯ターバンを身につけることで、下の服装がまちまちでもどこの都市に雇われているかわかる、いわば簡便な制服のようなものだ。

「このケープはウルへの街道の途中にあるビロンという町のものらしい」

「よくそこまで知っているなソンブラ」

「いや、それがしにも字は読めるのですよ。そら、ここに縫い取りがしてある」

 ソンブラは笑ってケープを裏返して見せ、それからそのケープを男の身体から脱がせはじめた。

「何をするつもりだ?」

「エラムで馬に乗って怪しまれないのはシュバールの傭兵ぐらいなものです。ライト殿がこのケープと頭帯ターバンを身につければ、ビロンの傭兵の出来上がりっと」

 ソンブラがそう言って私の肩にケープを着せかけると、ジェニも笑って付け加えた。

「中身も本当の傭兵ですからね」


 それで私は男の頭から飛ばされていた頭帯ターバンまで頭に巻きつけることになった。私はジェニにも一緒に馬に乗るようすすめたが、遠慮というより拒否されてしまい、結局荷物だけは馬の背に載せることにした。ジェニの複合弓コンポジットボウは弦を外すとほとんど棒のようにまっすぐになってしまうので、矢筒と一緒に荷物の中だ。ジェニは今、細身の柳葉刀を背にかついでソンブラと並び、前を歩いている。馬に乗ったため、さらにジェニと話しづらくなってしまった。そのせいで、身元のわかりそうなものを剥ぎ取られ、道の側の林の中に放り込まれた男のことを恨みがましく思っている自分に気づき、私は愕然がくぜんとした。普通恨むのは私たちに出会ったせいで命を落とした男の側だろうと思ったからだ。


 日没の少し前に間道から外れ、離れた場所に馬を引き込んで野営の準備を始めた。と言っても、間道から炎も煙も見つからないような場所に小さな火床を作って火をおこし、行軍用の鍋をかけただけだ。風向きを考え斜面に寄せて作った火床から煙は斜面にそって昇るので、遠くから見つかることはない。ただ煙の臭いだけは隠しようがないので、夜の見張りは必要だ。馬は少し離れた場所につないでおいた。

 ソンブラが先ほどの傭兵から奪った旅嚢りょのうの中身を調べていた。

「どうやらあの男は軍用飛脚の任務についていたようですな。これはビロンの将官あての報告書ですぞ」

「暗号で書かれているのではないのですか?」

「そんな高等なものではないな。符牒ふちょうを使っている程度だ」

 なぜかソンブラのジェニに対する言葉遣いが最近ぞんざいな気がする。どういう関係になっているんだ?

「どんな符牒ふちょうだ?」

「このFRというのがフランツでしょう。ERがエラム、BRがビロン。ということはTRが」

「トゥランですか」

「そうだろな。つまり『FRの木の葉二枚はTRから帰還せず。FRから新しい木の葉一枚がASに届いた。積荷は銀と剣。BRの指示を待つ』というのは」

「フランツから身代金と武器を積んだ船がASつまりアンシャンに着いた、ビロンからの指示がほしい、という意味です。木の葉二枚というのはラ・ポルトにやって来た二隻の戦列艦です」

「身代金はわかるが、武器とは何のことだ?」

それがしもそれが知りたいですな」

「この文書を見ると、アンシャンにビロンの拠点があるのでしょう。あるいはシュバールのかもしれませんが」

「大使館か商館があるはずだ」


 エラムが奴隷貿易を始めたのは三十年ほど前からであり、それまでは陸路シュバールを経て運ばれてくる香辛料などを産出する遠い国ということしか知られていなかった。無論、真黒な肌の人間が住んでいるとか、牛の何倍も大きい象という生き物がいるとか、どれだけ本当だかわからない話をする者はいたが、エラムと直接関わるトゥラン人はいなかったのだ。

 このため乱波でさえエラム方面に入り込んでいる者はなかった。乱波が活躍する国との関わりもせいぜいシュバールまでであり、エランまで手を伸ばす必要がなかった上、肌の色の問題から異分子であることがすぐにわかってしまうからだ。ハサスの活動はカラ・キタイが中心であり、こちらもエラムにはつながりがなかった。それに肌の問題はハサスも同様であり、たとえばエディの褐色の肌色とエラム人の真黒な肌はまったく異質だった。


「エラムが『国』として認識されるようになったのは、今の国王が玉座に付いた頃からですから、商館などを置いているのはシュバールくらいなものでしょう」とソンブラが言うと、すかさずジェニが問いかける。

「三十年前、何があったのでしょう?」

 何か私が置き去りにされているような気がして会話に参加しようとするが、それより先にソンブラが答えてしまう。

「シュバール人は今のエラム王のことを『魔王』と呼んでいる。それが単に王の残虐なやり口のことを言っているのか、それとも……」

「それとも、何なのだ?」

 私が尋ねるとソンブラは黙り込み、焚き火の炎を見つめた。ジェニも同じように黙り込むと、私はどう言葉を続けてよいのかわからなくなった。

 しばらくするとソンブラは自分の雑嚢ざつのうの中から、手の平にのる大きさのボタンのようなものを取り出した。

「ライト殿はこれをご存知か?」

 私が手に取るとそれは金色の金属に青い七宝で象嵌ぞうがんされたバッジだった。中央に正位置と逆位置の正三角形を重ねたいわゆるダビデの星があり、その中に左目を表わす形、これはウジャトの目と言われるものだろう、がある。星の周囲は二重の円になっていてその外側は歯車の歯が取り巻いている。数えると歯数は二十三だ。円と円の間は青い象嵌で埋められており、金で文字が浮き出している。

真実ヴェンタ自由リベルタ友愛フラテそれにGOdF。これは神の目(クオ・モド・デウム)と言われるファラメカァニクの徽章きしょうではないか! GOdFはグランデ・オリエント・デ・フランツの略だ。これをどこで?」

「ポイッソン代将の治療をした軍医が、代将の軍服に付けられているのを見つけ、私のところに持ってきました」

 ジェニが焚き火の炎を見ながらそう言った。

「なぜ黙っていた?」

「ライト様は魔導がお嫌いなのではありませんか?」

「ライト殿はファラメカニクに詳しいのか?」

 重なった二人の質問に私は考え込んだ。


 ファラメカニクはその起源がはっきりしない友愛結社だ。設立されたのは数千年前のジプトだとか、九百年ほど前に異端として滅ぼされた聖地騎士団の生き残りが組織したとか、三百年前の時計職人のギルドから発展したとか、諸説がある。近代になって貴族・紳士・知識人が加入するようになると、彼らは思弁的メカァニクと呼ばれ、フランツ帝国成立の元となった旧諸王国での革命に関わるようになった。光明主義の背後にはファラメカァニクの知識人たちがいると言われていた。


「いったいファラメカァニクとエランのその魔王と、どういう関係があるんだ?」

 『人間は神の機械である』というのがファラメカァニクの理念であり、理性は人間に与えられた神の業だと称している。その理性を超える魔導を認めるメカァニクなどいないはずだ。

それがしも今回初めて知ったのですが、フランツ帝国の霊的守護を務めているのが、ファラメカァニクのグランド・マスターたちなのです」


 私はセルバの宿場でダズの率いる野盗たちの身に降りかかった恐怖を思い出した。もし国の中枢にあのような出来事が起こったら、その国はひとたまりもないだろう。下々の者は知りもしないが、水面下の国と国との争いにあのような技が使われる可能性が無視できないとすれば、国が存続するために『霊的守護』は不可欠なのだろう。だがファラメカァニクがそれに関与していたとは!

 そしてジェニに言われ、私はずっと魔導を避けるような態度をとっていたのかと自分をふり返った。まあそう言われれば、ジェニにアイシャーの力にたよるなと言われて以来、魔導に関わらないで解決策を見つけようとしていたとは思う。それがジェニには、魔導に嫌悪感を抱いていると見られたのかもしれない。

「メカァニクが『霊的』なものに関わっているなんて知らなかった。それに、好きも嫌いも、魔導のことは私にはわからない」


「そんなことは信じられません。アイシャー様は言われました。エラムの魔王に対抗できるのはライト様だけだ、だから必ずその日までにアンシャンにお連れするようにと」

本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。

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