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10.エラムの魔王         ◆10の2◆

 ソンブラとジェニそれに私の三人は海路をたどってエラムの王都アンシャンに向かっていた。乗っているのは長さ二十(フート)ほどの帆走カッターだ。船体のほぼ中央に帆柱が立ち、縦帆二枚とバウスプリットに三角帆一枚で快速で走る。しかしこういう小型のボートで外海を、しかもほぼ追い風で帆走するということはそう簡単なことではない。操船についてはペスカドル艦長が腕利きの下士官をつけてくれたから心配はないが、波を乗り越える度に大きく揺れ水しぶきをかぶる。私はこんな小船に命を託すことになるなら、素直にアイシャーの命令にうなずくのではなかったと後悔していた。陸路で行くことも検討してほしいと言ったのだが、ソンブラの「ライト殿の足では日数がかかり過ぎます」の一言で却下されてしまった。

 実際、ソンブラが前回使った陸路の行程を普通の人間が踏破するとしたら片道で一月以上はかかるに違いない。今回は王都からラ・ポルトまで馬を飛ばして五日かかったが、これでも普通の倍は早い。だがラ・ポルトで船に乗ってからがもっと早かった。右舷スターボードにスリスタ岬、鎮南軍第四駐屯地があるモ・ナビオの港を見て、遠見の岬を過ぎるのに実質半日、さらにトゥランとシュバールの境であるシャロイ山脈の海側の端を見るのに一日だ。早いのはいいが、私は慣れない航海でヘロヘロになっていた。

「あと一日もすれば目的地に着きますから、もう少しの辛抱しんぼうです」

 艇長を務める下士官がそう言って私を励ました。実は参っているのは私だけで、どういうわけかジェニもソンブラも平気な顔をしている。私はどうも固い地面がないと、はらわたが落ち着かずどんどん疲れがたまってくる。

「目的地ってどこの港だった?」

「あれ? 聞いていませんか? 港ではなくて牙の岬です」

「牙の岬?」

 どうにも不吉な名前だ。それに港ではないというのも気になる。

「そこにこの船が着くのは昼間か? それとも夜なのか?」

 シュバールの奴らに見つからないよう港以外の場所に船を着けるということなのだろうが、足元の見えない時刻に上陸するのはできれば避けたい。

「このボートを牙の岬に着けることはできません」

「え? どうして?」

「みんなどうして海路を使わず、苦労して陸路を行くと思っていたのですか! ホロから先、ジャンブの付近からデデンのあたりまでシュバールの海岸は岩礁が続き海側から近づくことができません。特にヘロから突き出ている牙の岬の周りはずっと沖まで暗礁が続いているので、船が近づくと噛み砕かれてしまうと言われ、その名が付いているのです。このボートでできるだけ近くまで寄せますが、さすがに接岸は無理です」

「接岸は無理?」

「はい、ですから最後はあのコルクでできた筏で上陸してもらいます」

「……武器とか食料は?」

「防水布で包んで上からタールを塗って縛り付けてありますから大丈夫です」

「……」


 ジェニとソンブラが船出前に何かと話しかけ、私が船乗りたちと会話するのを邪魔しているような気がしたのはこれが理由だったのか。まさかこの下士官に、聞いていないから引き返してくれとは言えないだろう。今でさえ、何を今さら聞くのだという眼でみられているのに、これ以上恥をさらせない。私はソンブラのところにいき、文句を言おうとした。ところがいつもはあまり仲のよくないジェニがソンブラの側に座っている。確かにボートの上は狭いが、いかにもわざとらしい。二対一でそのうち一人がジェニでは勝負は見えている、私はこの件の処理を上陸後に延期した方がいいような気がしてきた。


「ライト殿、上陸後の打ち合わせをしておきたいのだが」

「ソンブラお前……、だいたい何で牙の岬なんて危険な場所を選んだんだ?」

「確か侵入経路はそれがしに一任すると、これは了承していただいたと思うが」

「それはお前が一度アンシャンまで偵察してきたと言うからだ」

「左様、だからこそそれがしは上陸地点をあの場所にしたのですよ。岩礁に囲まれているあの岬から上陸するなどと思う者は誰もいません。岬の根元にあるヘロの町からも、巡視隊が出ているのは街道沿いだけで、岬の方へは目も向けていないのです」

「他の場所はなかったのか?」

「上陸しやすい所というのはそれだけ監視の目も厳しいのです。今回は隠密裏にことを進めるのが一番重要ですからな」

「そうです。シュバールとエラムはつながっていると考えねばなりません。どちらに見つかるのもまずいです」

 ジェニにまで言われてしまってはもう降参するしかない。だがやがてその牙の岬という場所に近づいてきて、ずっと沖まで続く岩礁に白波が砕け散っているのを眺めると、やっぱり引き返したくなった。敵と戦うのに命をかけるのとは違う恐ろしさに、私は尻込みしないではいられなかった。

「ライト様、別に必ず死ぬときまったわけではないのですから、気を楽にしていきましょう」

 ジェニがそう言ったが、それは死ぬこともあるということになるのじゃないのか?


 ボートから海に入って泳ぎだしてから一時間後、なんとか岬の下にすがりつき、先に登っていったソンブラが下ろしてくれたロープにつかまり、崖の上にはい上がった。一時間と言ったが、それは後で教えてもらったから知ったことで、私にはもっとずっと時間がかかったように感じられた。コルクの筏がなければ、あるいは私一人であったなら、確実に死んでいたはずだ。

 岩陰に身を隠し火を焚いた。ソンブラによると風が強いので煙が吹き散らされ、遠くから見つかることはないと言う。身体には油を塗ってあったが、一時間の波との格闘ですっかり冷え切ってしまっていた。それでも命があるのだから良しとしなければならないのだろう。

「アンシャンへの間道がある国境までロクアとモアクという二つの町があるのですが、岩礁海域のおかげで海側の警備は手薄です。夜なら見つからずに通り抜けることができるでしょう」

 防水布の荷物を開きながらソンブラがそう言った。私は身体を拭いて、いつもの服装に着替えた。乗馬用の半長靴は馬に乗らなくても荒地で足を守ってくれるので持ってきた。ただ何日も歩くのには実は向かない。なんとか馬を手に入れたいものだが、馬泥棒は多分この辺でも縛り首だと思う。

「ここからロクアまで歩いて一日、ロクアとモアクの間は一日、モアクからアンシャンまでは山道ですので三日、つごう五日間かかると見ています。ま、それがしなら一日で走り抜けられますが」

「馬を手に入れるのは無理なのか?」

「エラムでは森の中の狭い道を行き来することが多いので、馬に乗る人間が少ないのですよ。シュバールの街道なら馬車の往来もありますが、あまり危険を冒したくはありません。ま、それがしのように自分の足で頑張ってください」


 お前の足は特別製だろうと言いかけて思い出した。ジェニもいるのだった。まさかジェニの前で泣き言は言えない。男というのは因果なものだ。

 ジェニが淹れてくれた茶を飲み干すと、私は荷物を両肩に背負い、山刀を腰に自分の銃を右手に持って立ち上がった。真鍮のカップは荷物のポケットの中に入れる。

「じゃあ、あまりのんびりもしていられない。出かけよう」

「いやぁ、その意気その意気」ソンブラが調子のいいことを言う。ジェニも黙って立ち上がり、焚き火に土をかけた。


 それから二日間、たまに近づく人影を避けて隠れるほかは街道を歩いた。ロクアの手前で野営し、モアクは夜の内にすり抜けた。モアクまでの道は両側が荒地だったが、エラムに入ると森の中を切り開いた道になった。ソンブラによるとこの間道の通行量はそれほど多くなく、エラムの中の行き来は主にセテ河を利用して行われているそうだ。 

「河口付近のバザから王都アンシャンまでは夏の間、一定の風が吹いていて、帆を張ると河をさかのぼることができるし、下りは流れに乗ればいいのだ。アンシャンから上流のトンシャまでは少し風向きが変わることがあって、そのときは人の手で漕がなければ進めん。だから、大きな船が入るのは王都までだな」

 身振りを交え、ソンブラがエラム国内の様子を説明している。

「するとエラムの物の流通というのはそのセテ河にたよっているのですか?」

 ジェニがソンブラの側を歩きながら尋ねた。

「ああ、主な町もすべて河沿いにある。ザールやルガルのような奴隷市場の町からは、海岸沿いに船で来て河口のバザから河に入る」

「フランツの戦列艦もアンシャンまで行けたそうですね」

「考えていることはわかるが、毎年砂州の位置が変わるから、水先案内人なしでは途中で立ち往生してしまうだろうな」

 どうやらジェニはススピロ・デ・レイン号とソリッソ・デ・シャメルネ号に河を遡らせ、エラムの王都アンシャンを砲撃しようと考えたようだ。これはサトゥースの悪影響と言っていいだろうか?

 それにしても、ソンブラとジェニがいやに仲良く話しているような気がして、腹立たしくなってきた。私も何か話しかけようと考えた時、突然前のほうから道を曲がって駆けてくる一頭の馬が目に入った。ソンブラとジェニはとっさに横の樹林の中に身を隠した。残された私に向かい、馬が突進してくるのが見えた。

本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。

 2013.12.06. 19:35 買い物から帰ってきて見直し、冒頭から間違えているのに気がつき、訂正しました。「サトゥース→ソンブラ」 まだ、ありそうです。見つけたら、教えてください。お願いします。

 2013.04.19. 『シャメルネ号に河を遡らせ、』と『エラムの王都』の間に誤って挿入された改行を削除。

 2014.04.19. どちらでも正解のようですが、この方が現代人には分かりやすいという意見もあるので『その息その息』を『その意気その意気』に訂正。

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