2.夢見る人《フール》 ◆2の6◆
この期に及んでもこの姫君アイシャーが、私に何を求めているのか分からなかった。
単純に聞けば、アイシャーは殺されるのが嫌でトゥランの後宮に、逃げ場を求めたということになる。その背後では複雑な権謀術数が存在したはずだが、この姫君の器から思えば不可能ではなかったろう。
だが、あまりにも途方も無い状況の中で、私の果たす役割など思い当たらなかった。
「先ほどのお話から、アイシャー様の身を傍にいて守れということとは違うのですね」
「分かりの良い男は好ましいぞ」
この姫君に好かれることほど恐ろしいことは無いにもかかわらず、その言葉をかけられると不思議な快感があった。
「ライト、何故かは分からぬのだが、お前には天賦の賜がある」
その言葉を聞くと、さらに気分が高揚した。
「まこと、お前には四つの魂がある、いやあるらしい」
「……あるらしい……のですか?」
「妾には二つまでしか見えぬのだ。だが、それは帝室が抱える魔道士にも見透せぬということだ」
「ではなぜジェニはそれを知っているのです?」
「それはジェニがお前に『触れた』からだ。だが帝室の魔道士はそのような危険なことはせぬよ。一瞬で魂のすべてをお前に蹂躙され、奪い取られる危険を犯すなど、愚か者のすることじゃ」
「あなた様はそれをあの娘に命じられた」
「ジェニが自ら望んだことじゃ」
「あなた様の命に従うことがあの娘自身の望みというわけですな」
「そのお言葉通りでございます」
突然聞こえた澄んだ声。それを発したのが、あのジェニという娘だと私が気づくまで、一瞬の間があった。
「ジェニ……お前、いや君は……喋れたのか!」
「ハサスの民はあなた様と同じようにも話すことができます。ハサスとハサスが話すのとは違いますが、このように必要があれば話すことができます」
「今まで何故一言も声を出さなかった? 今になって何故?」
「必要があればと申しました。そしてアイシャー様のお許しがあれば、ということでもあります」
「必要?」
「今のライト様は私のことを操られる人形のように見ておられるようです。私、いえ私共ハサスは、自ら望んでアイシャー様にお仕えしているのです。それを嘲ることは、ライト様であればなおさら……許せません」
「いや、嘲るなどと……」
「ライト、すべての者をお前の升で量ることなどできぬ。すべてを数えるには、お前の両手と両足の指では不足だ。ハサスの民の誇りを理解するには、お前の知恵ではまだ足りぬ」
「それに」とアイシャーは続けた「女心も理解できないようじゃ」
私は絶句せざるを得なかった。
だが、言葉の流れが止まったことで、もう一度アイシャーの言葉を考え直すことができた。
「アイシャー様。あなた様は帝室の血筋に連なるとおっしゃいました。それでも皇帝はあなた様を亡きものにしようとするのですか?」
「然り、妾の血は母上から皇統に継るものだからな。所詮、姻戚は辺境王や長官を繋ぐ手綱や轡に過ぎない。妾ではその役に立たぬ」
「しかし、ここはすでにキタイの地ではありませぬ。それに父上はまだカラ・キタイの王座にはついておられぬのでしょう」
「瓶の中が空になってから水汲みを考えるようでは、帝権がどれだけ続いたはずもない。ただ、帝都までは確かに遠い。それが妾の持つ強味じゃ」
「軍勢が派遣されるわけではないということですな」
「多くてせいぜい百というところだろう。サトゥースの手勢だけでは心もとないが、殿につけた乱破者たちが罠に追い込む。勢ならば遁甲式からは逃れられぬ。これを破ることができるの
は武あるいは呪のみじゃ。武はハサスが、呪はライトお前が防ぐのだ」
「アイシャー様が五日間もあのオアシスに留まっていたのは、あの者たちが集まるのを待っていたというわけですな」
「そう見えるであろう。だが、本当はお前の準備ができるまで、五日間待ったのじゃ、ライト」
「私の準備ですと?」
「まことお前は拾い物じゃ。お前がいるおかげで、妾はあの魔道士たちと、自ら相対さずにすむのだからな。ジェニ、お前はこれから朝も晩もライトと一緒に過ごすがよい。そしていざという時になったら、この男に必要なことを思い出させるのだ」
ジェニは両手の指先を額に付け会釈し、それに応えた。
2013.10.16. 訂正「導師」→「魔道士」
2014.02.20. 改行部分訂正。