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9.港の戦い            ◆9の9◆

 砲門が三層に並んでいる巨大な戦列艦に近づくにつれ、その上から不審そうにこちらを眺めているたくさんの顔が見えた。その中に私は都合の悪いものを見つけ、あわてて顔を伏せた。フォレ少尉だ。あの男のことをすっかり忘れていたのだが、そう言えばこの艦に乗っていると言っていた。


「ソンブラ、まずい! 私の顔を知っている奴がいる」

「なんと! 誰です?」

「軍使として上陸してきた若い少尉だ。直接言葉を交わしたから、見忘れるとは思えん」

「近くに寄ってこなければなんとかなるでしょう」

「いや、トゥラン語がわかるのはそいつだけだと言っていた。通訳として出てくるだろう」

「厄介なことです。とにかくずっと下を向いていてください」


 私とソンブラが乗っているボートには、三十余りの酒樽が二列に積んであった。ソンブラが帆を畳んで帆桁ブームに縛りつけ、惰性で進むボートをその大きな戦列艦と平行になる位置に持っていく間に、私は後甲板から見下ろしているフォレの視線に入らぬよう、その酒樽の陰に隠れることにした。


「アッホイ! そこのボート、それ以上近づくな!」

 拡声管メガホンを口に当てたフォレ少尉がこちらに向かって叫んだ。ソンブラは帆柱マストの側で立ち上がり、右手を振った。

「聞こえたのかぁ? それ以上近づくとこっちの大砲が火をふくぞぉ」

 後甲板の上から、旋回砲架に載った小型の軽祢吐(カロネード)砲がこちらを狙っていた。

「こちらのボートが臨検するから、そこにとどまれぇ」


 戦列艦からボートが下ろされ、海兵隊の制服を着た男たちが乗り込む間に、私は船底に手を突っ込み、そこに溜まっている汚れた海水をすくって顔やシャツになすり付けた。いざというとき直ぐ飛び込めるように上着はボートに乗る前に脱いで来たし、いつもの半長靴ブーツもはいていない。あとはフォレが私に気づかぬよう、精一杯目立たないようにしているしかない。

 ボートが近づいてくるとソンブラは大げさに腕を振り回し、片言のフランツ語で話しかけた。

旦那方メセニョールス戦わない(コンバッツ・パス)商売コメルセね。私売るよ(イェ・ヴェン)樽一つ銀十両ウン・バリル・ディックス・アルゲンね」

「何か売りたいと言っているようです」

 ボートに乗ってきたフォレ少尉がフランツ語で後にいる海兵隊の士官に言った。

「そのくらい自分にもわかるわい」

 その士官はむっとしたようにフォレを怒鳴りつけた。怒鳴られたフォレはあわててソンブラの方に顔を向け、トゥラン語で話しかけた。

「その樽の中身は何だ?」

葡萄酒ヴィンね、最高の(ルプルス)葡萄酒ヴィンね」

「ワインだと言ってます」

「だから、自分にもわかると言ったろ!」

 ソンブラはあくまで片言のフランツ語で押し通し、それをわざわざ通訳しようとするフォレ少尉に、海兵隊を率いてきた中年の士官は腹を立てていた。フォレにしてみればこの機会に自分の存在価値を示そうと思っているのだろうが、この場合は逆効果だった。

「軍曹付いて来い!」

 士官はそう言うといきなりむこうのボートからこちらに跳び移った。ボートが大きく揺れ、ソンブラが尻餅をついた。むこうの軍曹は士官が帆柱にしっかり手をかけたのを見定めてから跳び移って来た。

「どう思う、軍曹? 毒でも入った酒を売りつけるつもりで来たか?」

 士官は腰から短剣を抜くと逆手に握って樽の鏡板に突き立てた。何度かえぐるように繰り返すと小さな穴が開き、そこからチョロチョロと濃い紫色した液体が流れ出した。軍曹がそこに指先を浸し、舐めてから答える。

「悪い酒じゃなさそうです。これが毒なら港の酒場の酒は猛毒ですぜ」

 ソンブラがそこに割り込んだ。

ポイゾン? 毒じゃない(パス・ドゥ・ポイゾン)! 私、毒見する(ゴウテ)よ」


「毒見すると言ってますぜ」

 軍曹がそう言っても、フォレの時と違い士官は腹を立てず、木屑で鏡板の穴をふさぐと上機嫌で命令した。

「よし、このボートをクレテドールまで引いていかせろ」

「このワインを買い取るんですかい?」

「何でそんな必要がある? 没収するだけだ!」

「自分はどっちでもかまいませんがね」

 軍曹はニャリと笑ってソンブラを押しのけ、ボートの舳先へさきに結びつけたロープをむこうのボートに投げた。

 十人の男たちが漕ぐオールでむこうのボートが動き出すと、こちらのボートもグンと引かれて動き出した。軍曹はボートのともに移動してかじを握っている。やがて緩やかな曲線を描いて私たちの乗ったボートは戦列艦クレテドールの巨大な船腹に近寄ってゆき、酒樽が荷崩れしないようにと配慮した軍曹の注意深い操船でゆっくりと接触した。

 船の上からフランツ語の声がかかり軍曹がそれに何か答えると歓声と笑い声が聞こえた。そこへ私たちをこの船まで引いてきたボートが大回りして帰ってきた。水上の船というのは直角に曲がることなどできず、こういう緩やかな動きしかできないのだ。

 むこうのボートに乗っていたフォレ少尉がこちらを見て私と眼を合わせた。その視線が一度外れ、もう一度私の顔に戻った。口が開いたがまだ声が出ないようで、指だけが私を指し示している。

「ソンブラ!」

 私が叫ぶと奴はマストの側に隠しておいた金槌を取り出し振り上げた。海兵隊の士官と軍曹が驚いて振り返る。ソンブラは酒樽の隙間に隠してあった雷管に金槌を打ち下ろした。パァンという小さい破裂音がし、次に導火線の燃えるシャーッという音がして、白い煙がその位置から四方に走った。

「飛び込め!」


 ソンブラに言われる前に私はボートから身を躍らせていた。叫び声がして、やがてマスケットの発砲音がしたが、その頃には私たちはボートと戦列艦から離れようと必死になって泳いでいた。

 やがてグォーンというような爆発音が聞こえたので、あわてて息を吐き、できるだけ深く潜るため手足を動かした。何か大きなものが水面に落ちる音、沈んでいく時の泡の音が聞こえた。

 息が続かなくなって浮き上がると、戦列艦クレテドールの左舷が炎を上げ黒い煙に包まれていた。索具や縛り付けられた帆布に炎が燃え移るのが見えた。船上は大騒ぎで、逃げ出した私たち二人を捜索するどころではないようだった。


 二重底になった酒樽の、鏡板に近い部分には葡萄酒ワインが、その内側には油脂と硫黄が詰められ、さらに積み上げられた酒樽の下には火薬と導火線が隠されていたのだ。問題は、どうやって敵の船の側までこの爆弾船を運び、ちょうどよい瞬間に爆発させるかだった。

 ソンブラはそれを、いかにも奴好みの作戦でやってのけた。ところが私と言えば、フォレがあの船に乗っていることをすっかり忘れ、危うくその作戦を失敗させるところだったのだ。このことがジェニにばれたら、何と言われるだろう。

本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。

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