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9.港の戦い            ◆9の6◆

 夜明け、ラ・ポルトの港は白いもやに覆われていた。やがて陽が昇り風が暖かくなってくるともやが薄れ、沖合に二隻の軍艦が帆を縮め漂泊しているのが見えてきた。帆を半分も広げていなくとも、陽が高くなるに従って強くなる海風に乗り、二隻はゆっくりとこちらに近づいてくる。

 私とマリンヘ司令官はラ・ポルトの守りである港の砲台にいた。やがて二隻は港から一(リーグ)ほどのところで帆を畳んだ。

「あそこではまだ投錨しても海底に届かないはずだ」

 司令官がフランツ帝国の旗を揚げている二隻をにらみながら言った。

「風に吹かれて少しずつこちらへ流されてくるようだな」

「カッターを下ろしましたぞ」

「軍使というやつだろう」

 今の位置から二隻がこちらの砲台の射程距離に入るまで流されてくるのに一刻はかかりそうだ。その時は向こうの三十二斤砲の射程にこの砲台も入ることになる。こちらの三十二斤砲は八門、向こうは同じ三十二斤砲が五十門以上だ。まあ、片舷をこちらに向ければ反対側の砲は沖の方に向いているから、一度に撃てるのは半分の二十五門程度だろうが、それにしてもこちらの三倍だ。撃ち合ったら結果は見えている。

「軍使殿がどんなことを伝えにきたのか聞きに行くことにしよう」

 私は司令官にそう言って砲台の裏の石段を下り、馬の所へ急いだ。


 私と司令官が船着場に着いたとき、フランツ帝国の士官らしい男がボートから上がってくるところだった。軍服の上着は濃い紺で縦に九個の金ボタンが並んでいた。ただ袖や襟の金モールは控えめで、あまり偉い奴には見えなかった。

いかりに綱で横の金線一本の階級章は、海軍少尉ですな」

 マリンへ司令官がささやいて教えてくれた。

「なんだ、ずいぶん下っ端をよこしたな。誰か適当な奴に相手させてくれ」

 マリンへが指で合図すると後ろにいた若い士官が歩み出て、上陸したフランツ帝国の士官のところに要件を尋ねにいった。


 その士官は相手を連れて戻ってくると私に敬礼し、報告した。

「軍使だと言っています」

「白旗は見えなかったぞ」

 するとフランツの海軍士官が何か早口でしゃべりだした。ん? フランツ語か? こちらの士官が通訳した。

「白旗など必要ないと言っています」

「港に近づくにあたって礼砲の挨拶がなかったな。交戦の意思ありということだろう。撃ち殺されても文句は言えないぞ」

 またもやその男が早口でしゃべりだした。

「軍使を撃ち殺すなどという野蛮なことをするなと言っています」

「国と国との間の礼儀を守らず、武器をかざして他国の港に入ってくるような奴らに、そんなことを言われる筋合いはないな」

「お前は、……申し訳ありません閣下、こ奴がそう言うのです、……お前は何者だと聞いています」

「教えてやれ」


 士官が相手に説明すると、そいつは驚いて私を見た。王の名代というのを士官が間違えて副王ヴァイス・ロイと訳したからだ。どう見ても私はそんな代物には見えない。

 私は通訳をしている士官をたしなめずにはいられなかった。だいたいこいつも何を考えているのだ。ひょっとして何も考えていないのか?


「私は副王ヴァイス・ロイなどではない、単なる王の代理人だぞ? それにそいつはこちらの言葉がわかるのだろう。さっきから私が話す度に、お前の通訳を待たずに聞くに耐えないことをフランツ語でわめき散らしているではないか」

「閣下はフランツ語をご存知なのですか?」

 その間抜けな士官は驚いた顔をして私を見た。

「ああ、多少な」


 私がフランツ海軍の少尉に、お前は単なる馬鹿なのか、それとも無礼な態度をとって殺されて来いと命じられたからそんな態度をとっているのかと、フランツ語で尋ねると、それまでわめいていたその男が黙り込んだ。

「だいたいお前は、軍使だと言ってやって来て、自分の階級や名前も言えないほど馬鹿なのか?」

 私がそう言うと、そいつはみじめそうな顔をしてトゥランの言葉で返事をした。

「じ、自分はフランツ帝国海軍少尉グレノイレ・フォレであります。艦隊司令官テテ・ド・ポイッソン代将に命じられ、軍使として来ました」

「ポイッソン『代将』?」

「えっと、ポイッソン代将は艦隊を率いてますが、戦列艦クレテドールの艦長でもありますので提督ではありません。代将コマンドールです」

「二隻でも艦隊なのか?」

「はぁ、そうであります」

「それでフォレ少尉、お前のような者がなぜ軍使として派遣されたのかな?」

「それはクレテドールの士官の中でトゥラン語を話せるのが自分だけだったからであります」

「それならお前を通訳にして、もっと上の階級の者が交渉に来てもいいはずだが……。だいたいお前いくつなんだ?」

「じゅ、十九であります」


 どうやらフランツ帝国側は交渉などするつもりは無いようだ。でなければこんな若造を軍使としてよこしたりするわけがない。いわゆる子どもの使いというやつだ。


「ああ、フォレ少尉、軍使だと言うからには、何かこちらに伝えることがあるのではないかね?」

 とたんにフォレの顔が明るくなり、言いつけられた用事を果たせそうなので安心した子ども、のような表情になった。


「はい、フランツ帝国を代表してポイッソン代将より次のことを早急に実現するよう求めます。第一に、トゥランがメリカ共和国商人であるマン・シーヘン船長から脅し取った施条銃ライフル五万丁をフランツ帝国に引き渡すこと。これはフランツ帝国がシーヘン船長からの依頼により、強奪された商品の返還を求めるものである。第二に、この不法行為によりシーヘン船長がこうむった損害の賠償として銀二十万(テール)をフランツ帝国の代表であるポイッソン代将を通して支払うこと。第三に、トゥラン王国はラ・ポルトの港とその周辺十里以内の土地をフランツ帝国に割譲すること。第四に、トゥラン王国内の自由通行権をフランツ帝国国民に認め、またトゥラン王国内であってもフランツ帝国民についての裁判権はフランツ帝国側にあると認めること。第五に……」

 内容もさることながら、フォレ少尉が何も見ずにペラペラとしゃべり続けるのにあきれ、私は途中で遮った。

「ちょっと待て、文書はないのか?」

「は、いや、こう見えましても自分、記憶力はいい方でして……」

「フランツ帝国は文書も用意しないで軍使を送ってきたのかね?」

「その、なにぶんトゥラン語の知識のある者が自分だけでして、あまり時間がないもので、文書を作る余裕がなくて……」

「フランツ帝国は文書もなしで国と国との交渉に望むというのか?」

「だ、代将は、これは交渉ではなく、戦時の通告であるから文書は必要ないと……」

「文書に残すと都合の悪いことでもあるのか?」

「都合の悪いこと……とは?」

「例えばだなぁ、賠償金などと言って要求している銀を、ポイッソン代将が自分の懐に入れようとしているとかだな……ひょっとして、お前も分け前をもらう約束なのか?」

「そ、そんなことあるわけない。自分は分け前など……」

「ひょっとして、代将のこの行動を、本国では知らないのではないか?」

「本国が知らない……?」

 フォレはまた、しどろもどろになってしまい、ついには半泣きになった。いったいなぜこんな子守が必要なような奴を軍使としてよこしたのだ? 


「と、とにかく我がフランツ帝国の通告に従わない場合は、我が艦隊はラ・ポルトを砲撃し、廃墟と化すまで打ち砕くであろう。い、以上通告する」


 確か、第五から後があるように思えるのだが、そこは端折って通告してしまうのだな。いいのか、フォレ少尉? ポイッソン代将は本国が遠いことをよいことに、好き勝手やってやろうという考えなのだろうが、万が一失敗した場合、まず詰め腹を切らせられるのはこいつだろう。結局フォレが軍使に選ばれた理由は、使い捨てにしても困らない奴だからに違いない。


「じゃあ、帰れ」

「へ? 帰っていいんですか、自分?」

「ああ、帰っていい」

「返事は?」

「何の返事だ?」

「あの、代将の、通告の、返事……」

「ない」

「ないって……」

「お前は文書を持って来なかった。つまりお前の通告と称するものの内容は未確定だ。未確定の内容に対して確定した回答は不可能だ。従って返事などない。以上」

「それじゃあ困ります。自分は返事を貰って帰らないと……」

「無理なものは無理だ。帰れ帰れ」

「そんな、それじゃ代将は砲撃しますよ、この港を」

「それは海賊行為だ。そんなことをしたらトゥラン王国はフランツ帝国に対し、責任者の処罰と損害の賠償を求める」

「責任者?」

「そりゃぁ、ポイッソン代将かな。代将はお前だと言うかもしれんが」

「え、え、えっ、そんなぁ」


 今度こそ本当に泣きべそをかいたフォレ少尉にお引き取り願うよう、私はさっき通訳をした若い士官に指示した。


本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。


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