8.銀の旅、鉛の雨 ◆8の9◆
大隊の隊列は両側からの襲撃に対処するために停止していた。銀を積んだ十八台の荷馬車は一ヶ所に集められ、一個中隊がその周囲を固めている。その場所の両側は険しい崖になり、さすがにその位置では賊たちが攻め降りてくるのは不可能に見えたので、前後を守りさえすればよいと判断したのだろう。もし相手の意図が運んでいる銀を強奪することにあったなら、悪い作戦ではなかった。だが、奴らの考えは別のところにあったのだ。
最初に、左側の崖の上で大きな爆発音が生じた。ズズーンという豪音と共に真っ黒い煙が上がり、崖の上部がまるごと落ち始めた。続いてそれに巻き込まれるように、大量の岩と土砂が崩れ落ちてきた。それらは狭い場所にひしめき合っていたあの馬車の上に降り注いでいった。悲惨な運命を嘆くような馬のいななきと人間の悲鳴が聞こえた。だがそれも、岩と大量の土砂が人と馬と馬車を押し潰す音にかき消されていった。そこから逃れることができたのは、早目に事態に気づいたほんのひと握りの人と馬だけだった。
私は目をひん剥いてその光景をにらんでいるサトゥースの方に馬を駆けさせた。
「サトゥース! 救援は後だ、まずあいつらを片付けろ! お前が指揮をとるんだ!」
横隊を作って斜面の中頃まで降りてきていた敵のマスケット部隊は、撤退戦に入ろうとしていた。隊列を止め、罠が閉じるまでその位置に釘付けにするという任務を果たしたからには、私たちと戦闘を交える必要はない。こちらが指揮系統の混乱で停滞しているうちに無傷で戦場を去ろうという、見事なまでに合理的な判断だ。
「見ればわかるように、大隊長はいま指揮を取れる状況じゃない。救助に向かいたい気持ちはわかるが、あいつらを始末しないと厄介なことになる。お前が指揮をとって奴らを追撃するよう、王と后妃の名代として私が命令する」
サトゥースは私の顔を見、次に斜面の下に見える惨状を、最後に後ずさりしながら撤退していく敵を見た。奴の口が歪み、それから吐き出すように声を出した。
「命令確かに承った」
「よし、いけ!」
私も叩きつけるようにそう言った。奴は踵を返すと自分の中隊を率い、斜面の途中で足を止めていた味方の三個中隊の方に馬を走らせていった。あの三個中隊を掌握するには自分で出向く必要があると判断したのだろう。
私は自分の手元に残された十人の小隊をまとめるアティランド伍長に、下馬して斜面の上の敵を狙撃するよう指示した。
「撤退を指揮している士官か軍曹がいるはずだ。できるだけそれらしい奴を狙え。だが、見つからなければ誰でもいいから遠慮せずに撃て」
距離は三百から四百碼の間、敵のマスケットでは到底届かないがこちらの施条銃では撃ち頃だ。奴らの足を止めてやる。
私が伍長たちの馬をまとめて繋いでいると、施条銃隊が撃ち始める銃声がした。軍馬は訓練されているので、耳の側でなければ銃声がしても暴れはしない。
パパン、パンと、最初の銃声はほぼ揃っていたが、やがてパン、パン、パンと、個々に狙って撃ち出した。見上げると、敵の横隊のあちらこちらで倒れる人影が見えた。
その間に馬から下りたサトゥースはあの三個中隊と自分の中隊をまとめ、少し間隔を空けた横隊で斜面を登らせ始めた。それを見た敵の下士官らしい男が大声で叫ぶと、敵の兵士たちはマスケットの銃口を斜面を登ってくるトゥランの兵士たちに向けた。先ほどの下士官が射撃の号令を掛けたと同時に、サトゥースが何か喚いた。すると驚いたことに、トゥランの兵士たちは銃を持ったまま一斉に身体を斜面に投げ出した。敵の一斉射が放たれ、鉛の弾丸が雨のようにトゥランの兵に向かって降っていった。だが弾丸を食らった兵はほんの一部であり、ほとんどの弾が伏せた兵士たちの頭上を通り抜けてしまった。サトゥースが再び何か喚くと、トゥランの兵士たちは跳び起き、斜面を駆け登った。そして三十碼の距離で立ち止まると、一斉射を放った。
敵の兵士たちがバタバタと倒れた。斜面の下からの一斉射には、身を伏せて弾を避けるということも難しい。私はあの短い時間の中でこの戦術を考え出し、四百人近い兵たちにそれを実行させたサトゥースの手腕に驚かざるをえなかった。
その後は掃討戦だった。もともと戦力は相手の二百に対しこちらは四百と、圧倒的にこちらが多かった。それを奇襲と山の上からの攻撃という地形的条件でひっくり返そうというのが敵の作戦だった。その作戦を実行するだけの指揮能力も、また兵の練度も敵は兼ね備えていた。いや、こちらの兵力は本来であれば千なのだから、敵の指揮官はよほどの自信家だったのだろう。そしてもう少しで、寡兵よく大軍を制すという言葉を実現するところだった。こちらにサトゥースという指揮官がいさえしなければ、そうなっていただろう。
敵の計略でトゥランの側も大隊長を含む一個中隊を潰されたばかりだったので、敵に対する攻撃は容赦がなかった。武器を捨てて投降しようとする敵兵を銃剣で滅多刺しにする光景があちらこちらで見られた。私は情報を得るために捕虜を確保するよう、サトゥースにたのまなければならなかった。
戦況が落ち着いたので二個中隊を岩と土砂に押しつぶされた味方の救助に向かわせた。ジェニがやって来てロマたちと戦った隊列の後半もほとんど被害なく勝ちを収めたと知った。武装も整わず人数も百五十程度のロマたちに初めから勝ち目はなかった。最初の一斉射を食らった後は、ほとんど壊滅状態で散り散りに逃げ出していったようだった。
それにしてもどんな口車に乗せられてロマたちはこの襲撃に加わることになったのだろうか? 多額の取り分を約束されたのか? それとも他の理由からか? 間違いなくあのダズという男が関係しているはずだった。
大隊の死者は結局五十二名にのぼった。大隊長のグスマンは重傷だが生きていた。副官も重傷を負っていたため、グスマンは大隊の指揮をサトゥースに委ねた。
サトゥースは少し離れた水場に野営地の設営を命じた。街道の土砂で埋まった部分を越えてきた輜重部隊を中心に野営の準備が始められた。
そこに重傷を負って捕らえられたロマの頭目が引きずられてきた。
「お前がロマの頭か?」
浅黒い顔をして鼻の下に髭を蓄えた男はギョロっと私をにらむと唾を吐いた。
「親爺!」
そう叫ぶと走り寄って男に抱きついたのはペジナというあの少年だった。
「お前はこの子の父親なのか? 拐われてきたと言っていたが」
「俺が拐ったのはこいつの母親さ。ちっとも嫌そうじゃなかったがな」
そう言うと男はニャリと笑った。傷は相当ひどく、並大抵の痛みではないはずなのにたいした奴だ。
「お前、何でこの襲撃に参加したんだ? こうなるのは目に見えていたろうに。金か?」
「金だけじゃない! 俺たちは奴に、ダズに借りがあった。借りは返さなきゃならん。危険は俺たちの生き方に付き物だ」
「お前たちロマが他人に借りた物を返したなんて聞いたことがないぞ」
「借りたのは『物』じゃない! 俺たちは『借り』を誇りをかけて返す。誇りは命より重い! 俺たちは物に支配されるお前たちとは違う」
「ダズはどこだ?」
「知らん! それに」
「それに?」
「俺たちはダズにまだ借りを返し終わってない」
本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。
2014.04.18. 『改行後の1字下げ』1ヶ所訂正。




