8.銀の旅、鉛の雨 ◆8の7◆
巨額な銀を長距離に渡って護送していくという今回の任務にあたって、下士官やそれ以下の兵たちのほとんどは、これだけの大部隊が付いているのを目の当たりにすれば、誰であろうとこの隊列を襲おうとなどしないだろう、と考えていた。これが大隊の中隊長クラスになれば、途中襲撃を受ける可能性を考えないではなかったが、可能性はあくまで可能性でしかなく、準備期間が短かったこともあり、そのためにあらかじめ自分の中隊を訓練しておくというようなこともなかった。
ただサトゥースの中隊だけが、クフナ・ウルから帰還した後の二ヶ月ほどの間、狩猟行動という名目で王都を囲む山岳地帯に入り、徒歩や乗馬での戦闘訓練や射撃の練習に励んでいた。
中隊の狩猟の成果として険しい場所に生息する羚羊や猪などを持ち帰り、その肉は他の中隊にも分けられていた。土産をもらった部隊の士官たちはその場では礼の言葉を口にするものの、陰では『獣狩り部隊』とか『目立ちたがりの奴ら』などと呼ぶこともあった。
その羚羊が、施条された銃により千碼もの距離から一発で撃ち止められた事を知ったら、彼らはどう受け取ったであろうか?
「現時点では施条銃はアイシャー様に買ってもらった十丁しかない」
サトゥースが話しているのは襲撃を受けたときの対応だ。
「せめて百丁あれば別の使い方が出来たんだが、今回この十丁は相手の指揮官を狙撃するのに使いたい。ダズの外見は知っている。問題はロマの頭目とかいう奴だが……」
「いざとなったらあの子どもをわざと逃がそう。美味しい情報を気づかないふりしてもらしてやれば、一直線に頭目のところに知らせに行くだろう」
私の提案にジェニが眉をしかめて言った。
「多分あの子は死にますね」
「仕方ないだろう、謀反人の一味だ」
サトゥースが嫌な顔をした。今度は私が眉を上げてみせる。
「あー、わかった、しくじらないでやれよ。俺は忙しいと思うので、任せるからな」と、そっぽを向いた。
「すねるなサトゥース。おまえこそ失敗するなよ。汚れ仕事は引き受けてやる。狙撃部隊の指揮は誰だ?」
「アティランド伍長だ。羚羊の角を千碼離れて撃ち落とす射撃の名手だぞ」
「その他の兵は?」
「今回はフリント式のマスケットを九十丁そろえて残り全員に持たせた。こいつはアイシャー様じゃなくて、王様の武器庫からだ。まあ、前回の任務のご褒美というやつだな。半月前から射撃訓練をしている」
「マスケットなら前から使っていたろう」
「ああ、だが三十丁と九十丁では運用の仕方が違う。制圧力は三倍ではなくて十倍近い。今回は射撃が中心だから銃剣も簡単に着脱できるものに変更した」
「前の肉切り包丁みたいのは頑丈だが取り外しに手間がかかるからな」
「ああ、そして銃剣を付けたままマスケットに装弾するのは難しい」
「他の中隊は?」
「今回は出発前に全員マスケットを持たされている。なに、銃の数だけはあるのさ。ただ、他に予算を回されて射撃訓練がおろそかになっている。火薬や弾丸だってタダじゃないからな」
結局マスケットは大隊全員に当たったらしい。早目に渡されたのがご褒美なのか? それとも射撃訓練の方か?
「それだけ平和が続いたってことなんだろうな」
「これからも続くんだったらよかったのに……」
「そいつは無理だろう。あきらめろサトゥース」
戦術としては騎馬の機動性を活かしてサトゥースが主敵に向かい、狙撃部隊は私の指示に従うことになった。
「でもそれは行軍中に襲撃を受けた場合ですね」とジェニ。
「大隊長の副官でラボ・デ・キャバロという人が野戦陣地の研究家だ。大隊長とも相談した結果、野営地の設営はキャバロ副官が仕切ることになってる」
「野戦陣地?」
「ああ、砦のような固定したものじゃなく、機動的に動きながら戦う場合の陣地のことだ。トゥランは馬を他国に輸出しているくらいだからな、軍の保有している馬の数も多い。機動性を生かした戦術を重視するべきだと言っていた。外国には騎馬砲兵というものまであるそうだ」
「大砲を馬に乗せるのか?」
「いや、砲架に載せて何頭もの馬で引っ張ると言っていた」
「そんなものがあったら大変なことになるぞ」
「我が国も含めて、近隣の国にはまだないようだがな」
「話がそれていませんか?」
ジェニが冷たい声で遮った。
「ああ、とにかくその副官の立てた計画に従って野営地を設営する」
「信用できるのですか?」
「キャバロ副官はこの街道沿いの地形についてはかなり詳しい。俺が作るより何倍も効率的な守備計画を立てられるはずだ。それに何もかも俺たちだけでやるのは無理がある」
「まあ、そうだな」
「それにキャバロはアイシャー様の遁甲陣にも興味を持っていたぞ」
「話したのですか?」
口では責めているようだが、ジェニの機嫌が少しよくなった。
「大隊長との打ち合わせの時に少しな」
「では、私は私でハサスに警戒線を引かせましょう」
運のいいことに天候は晴れ続きだ。ただしその分、夜は冷え込むことになる。野営地には警戒線に沿って何ヶ所もかがり火が焚かれ、歩哨はお互いの姿を常に目視できるように配置されていた。明かりがあると光の当たらない場所の闇はさらに濃くなる。だがその闇の中にはハサスが潜んでいた。
「まだ休まないのですか?」
私が焚き火を見つめているとジェニがやって来て側に腰を下ろした。
「星がきれいなんでな、見ていた」
「本当は誰も殺したくないのでしょう?」
「ああ」
「クフナ・ウルからの旅を思い出しますね」
「あの時私は何も知らなかったんだなあ」
「何をです?」
「君の仲間が闇の中で見張っていたことも、そこで人知れず闘いがおこなわれていたことも」
「知らなくてもいいことでした」
「そうかな?」
「本当にロマだと思いますか?」
「いや、ロマが軍を相手に戦いを挑むとは思えない。せいぜい偽装に使われているだけだろう」
「ではダズを操っている第三王子でしょうか?」
「その第三王子を操っているのは何者だ?」
「ソンブラが探し出すでしょう」
「誰であろうとそいつは後悔することになるさ」
「多分そうなります」
私たちの上で無数の星が瞬いていた。
本作品に登場する、人物、国家、民族等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




