2.夢見る人《フール》 ◆2の4◆
「ライト、お前今、笑うたな」
「……」
「お前、妾の手の内を見たと思っておろう」
「いえ、とんでもない」
「はて、お前は妾がサトゥースを手妻に掛けたと考えているようだが……ふっ、それを確かめる術がお前には無いではないか」
確かにそのとおりだが、それ以外の何だというのだ。
「それで、お前はサトゥースが私腹を肥やすために妾を危険にさらしていると、何時言い出すのかな?」
「アイシャー様、誓ってそんな真似はいたしません」と、私をにらみ声を荒げるサトゥース。
「隊長殿を非難するつもりなどありませぬが、姫君がすでにお気づきのとおり、ご一行の後に付きまとっている者たちは、いざという場合、足でまといというだけではすみません」
「たかが斥候ごときに何がわかると言うのだ!」
「まあ待てサトゥース。ライトよ、話してみよ」
「獅子たちは必要があって馬を脅かすのでもなければ、襲撃の直前まで唸り声一つ上げることはありませぬ」
「獲物を狙う狩猟者とは常にそうあるべきじゃな」
「理由なく風上に立つことさえしないでしょう」
「ああ、それは妾の下僕たちと同じじゃ」
口の端に笑いを浮かべながら姫君が呟いた。
「獅子の気配が感じられないと言って狙われていないと言うことはできません」
「くっ、くっ、まともな敵ならばそうあるべきではないか」
姫君が喉を鳴らして僅かに笑い声を上げた。それだけで私は背筋に鳥肌が立ち、口の中には硝煙の味のようなものを感じた。
これは、恐怖だ……、久しぶりのことで思い出すのに時間がかかった。遥か昔、私が駆け出しの偵察者だった頃、たった一人で突然獅子と対決しなければならなくなった時、あの時と同じ味、同じ感覚だ。
私は思わず、自分の武器を探して手を動かし、銃を置いてきたことを後悔した。
「ライト、今にもとって食われるのではないかと言う顔つきをしているぞよ」
いや、銃があってもこの窮地を脱することはできない。
「お前、キタイについて何を知っている?」唐突に姫君は問いかけた。
「……。多分、そこにいる隊長殿と同じ程度のことは……」
「そうであろうな……。そもそも帝国がどれほど広いか、どれほど古いか、この国で知る者は僅かだ」
「どれほど古い……と言われる……」
「今読み解くことのできる文字で書かれた史書でさえ四〇〇〇年を超えるのじゃ。読み解くことができた記録でさえ、そのすべてをよく知る者はいないであろう」
「何かまるで、姫君の国ではない仰せようですな」
「四〇〇〇年のさらに昔から帝国は、中つ国の帝権は存在した。……妾の国とな……確かに妾の血は帝権を持つかの者の血統といくばくかの継がりを持つ。ほんの一〇〇〇年程前、かの者の一族の騎馬軍団が来たり、黒蓮の離宮を蹂躙した時その血が入ったのじゃ」
「妾の髪の色は黒く、かの者たちと同じだが、肌の色はそれほど黄色くない。瞳は……瞳は異なる。妾は黒蓮の血筋だからな」
「アイシャー様」私は初めて姫君の名を口にした。「私ごときに何を仰せられようと言うのでしょう?」
これは呪なのだろうな、これを聞かないわけにはいかないのだろう。そう思っても逃げられないから呪なのだ……。
「お前たちトゥランの者が知っている都クズ・オルドは、カラ・キタイ即ち黒いキタイの王都じゃ。帝国の辺境に配置された六つの王国の一つ、その都というに過ぎない」
「しかし、クズ・オルドには八〇万を超える民が住まうというではありませんか」
「さよう、商いのために出入りする諸国の民を含めれば百万にも達するであろうな」
「それが一地方の都に過ぎぬと言うのですか!」
「然り、トゥランの王が交渉している相手は貴い血筋であるとは言え、地方の首長でしかない」
「ということは、それを……」
「無論、トゥランもそれを知らぬわけがない。知っていると認めることはなかろうがな」
「隊長殿、あなたは知っていたのか?」
「さて、ライト、どう思うね?」もっともらしく顎髭をいじりながらサトゥースが聞き返した。
「なるほど、隊長殿も見かけ通りではないということか……」
「見かけと違うと言えば、お前の気にしておるあの者たちじゃが、あれは妾がサトゥースに命じて隊列の後ろに付けた者たちゆえ、そのつもりでおるがよい」
何と、私も虚仮にされたものだ。
2013.09.18. 一部訂正
2014.02.20. 改行部分訂正。