7.王の夢、王城の罠 ◆7の6◆
トゥラン王国の第一王子ギューク・オゴディ・ドレゲウスは困惑していた。たかが一介の百人隊長に過ぎないサトゥースが、王都第一竜騎兵隊の千人隊長であるばかりでなく王族でもあるギュークの要求に抵抗するなど、本来であればあるはずが無かったからだ。
「何もお前たちの馬すべてを召し上げるというわけではない。新しく厩舎に入った駿馬十二頭を我が千人隊に回せと言っているだけだ。だいたい、お前の隊は先の任務でも馬を失ってはいないと聞いている。任務を達成できたということは、人だけでなく馬匹の定数も足りているのだろう。新たに入れた分の馬は、こちらに差し出しても困らぬはずだ」
ギュークの副官が言っていることは完全に横車なのだが、相手が第一王子ということになればサトゥースの上司である千人隊長のグスマンでも嫌とは言えそうもない。だがサトゥースには退く気が無いようだった。
「この十二頭の駿馬は、うちの隊が后妃様からお預かりしている大切なものだ。俺の一存で譲るわけにはいかないな。いや、うちの千人隊長にもそんな権限は無い。諦めて帰ってくれ」
「后妃様だと! 偽りを申すな!」
ギュークの手前退くに退けない副官はサトゥースの執務室の床を蹴って怒鳴った。
「ほー、嘘つきだと言ったな。軍曹、お前も聞いたな」
「はい、確かに」
「一度吐いた言葉は飲み込めないんだぜ、分かっているだろうな。獅子殺しに喧嘩を売ろうとはいい度胸だ。買ってやろうじゃないか」
サトゥースが部屋の奥の壁に飾ってある雄獅子の頭に顎をしゃくると、副官の顔が青ざめた。何と言っても軍隊では実戦経験の多寡がものを言うのだ。実物の獅子頭を見せ付けられると、七頭殺しの噂も信憑性が高まる。しかもサトゥースの部隊からは、直近の遠征の帰途三百以上の野盗を討伐したという報告も上がっていた。
ふと振り返ると執務室の扉は開いたままで、兵たちが中の様子を伺っているのが見える。常日頃であれば兵卒など、ギュークの威光を振りかざして追い散らすことができるのだが、獅子との戦いをくぐり抜けてきた男たちににらみ返されたらと思うと、それまでの副官の勢いが急に萎えた。
「待て、サトゥース隊長。この馬の所有者は后妃だと言ったな」
「はい、十二頭すべてが后妃様のものです、王子」
サトゥースの言葉は、少しは礼儀にかなったものになったが、頭を下げる気配は無かった。
「そもそも何で后妃がこれだけの駿馬を購入したりするのだ? あれは、軍用馬だぞ!」
「それについちゃ后妃様に直接お尋ねください。俺たちのような下々には高貴な方のお心などわかりかねます。俺たちはただ馬を預かって世話してるだけでして。飼葉代を頂いてはおりますがね」
無愛想な受け答えにギューク王子は首をひねった。この男が副官に喧嘩を売っているように見せて、本当のところは王子自身に歯向かっているのは、誰が見てもわかる。問題はサトゥースの後ろに誰がいるのかだ。新しく後宮に入った后妃か、まさかコデン王ではあるまいが……。この隊がキャバロで入手したという十二頭の駿馬の噂を耳にした副官の口車に乗り、全部とは言わずとも何頭か召し上げてやろうと同行して来たことを、ギュークは後悔し始めていた。
ギュークとしては、それらの馬を私するつもりは無論無かった。ただ、軍用馬は高価で、兵の数以上に定数に足りていないのが常である。王から下賜される費用だけでは兵の数を維持するだけで精一杯なのはどこも一緒である。王都の第一竜騎兵大隊であるギュークの千人隊でも、軍用馬は定数に達していなかった。日頃からそれが気になっていたギュークは、サトゥースの隊が新たに馬を購入したとすれば、それは公費ではなく、表に出せない金をため込んでいて、それを使ったに違いない、だからギュークがその馬を取り上げても、サトゥースはどこにも訴え出ることができないはずだ、という副官の目論見を安易に受け入れてしまったのだ。
「サトゥース隊長、何か揉め事か?」
それまで兵の陰に隠れていた私は、頃合を見計らって執務室に入っていった。
「誰だ、お前は?」
「私はつい先頃、陛下のお側に仕えることになったエンテネス・ライトと申す者ですが、あなた方は?」
「陛下の……?」
副官はうろたえてギュークの方を見た。
ギューク王子は私をにらんだが、勿論私とは一面識もない。
「知らんな。陛下の近くにいる者はたいてい見知っているが、お前の顔は見たことがない」
「最近、と申し上げたはずです。先週陛下のお呼び出しを受け、仕えることになりました。ただ今は白宮の十一階層に住まいを与えられております」
「何! 十一階にだと!」
白宮の最上階である十三階層には、儀式を伴わない内輪の謁見や後宮を利用しない時の寝室など、王の表向きな日常生活の場である『光明殿』がある。光明殿の下の十二階層には書庫や宝物の保管庫があり、十一階層では護衛官や侍従など王が身辺に置く信頼の厚い者が寝起きしている。本来であれば私のように突然現れたどこの馬の骨ともつかぬ者が、狭いとはいえ十一階に一室を与えられているのがおかしいのである。当然、ギュークばかりか副官までもが私を半信半疑の眼で見ることになる。
「陛下のお側に仕えるの者がなぜこのような所にまいったのだ?」
及び腰の副官が、それでも去勢を張って尋ねた。
「それにお答えする前にご身分を明かしていただけますか。もしご都合が悪くなければですが」
「聞き捨てならんな、都合が悪いなどと! どう言う意味だ?」
「いや実は、私はこちらのサトゥース隊長に十二頭の駿馬を預けたさるお方の代わりに、預けた馬たちの様子を確かめに参ったのです。ご身分も明かされぬ相手に、こちらの事情など詳しいことをお話できぬのはご理解いただけると思います。ましてや、先ほど私がここに入ってこようとした時、何かあの方の駿馬を召し上げるというような声が聞こえたような……」
「ま、まて! そのようなことを言った覚えはないぞ!」
ギューク王子があわてて遮った。
「ほーっ、確かに聞こえたようなのですが……」
私がサトゥースの方を見ると、奴は芝居がかって腕を組みながら、
「いや確かに、そう言われたのは王子様ではありませんな。言ったのはそちらの……」と顎で副官の方を示し、「えーと、名前は何と言いましたっけ……」
私もわざと驚いた表情を作り、ギュークの方を見て言った。
「なんと! 王子ですと!」
2014.04.17. 『誤って入れた改行』を2箇所削除しました。




