7.王の夢、王城の罠 ◆7の1◆
アイシャーが口にした一言のせいで、私は危うく男ではなくなるところだった。
「後宮に入るにあたって、何か希望はあるか?」
王がアイシャーにそう尋ねたのだった。キタイから皇帝の血を統く公主を後宮に迎えるということもあり、王なりの配慮であったのだろう。アイシャーが願ったのが、ジェニと私を身近に置きたいということだった。
後宮を管理する大臣が私たちを呼び出した時、ジェニについては顔を隠していない点に眉をひそめただけだったが、私の顔を見たとたん自分には無いものが私の顎についていることに気づいてしまった。職務上当然のことなのだろうが、その大臣は宦官だったのだ。
王の命令を絶対と考えた大臣は宮廷医の手を借りて私の身体のちょっとした一部を取り去ろうとした。私があわてて逃げ出し、ジェニがアイシャーに一部始終を知らせて大臣の行動を止めさせなければ、私はあの大臣の属する集団の一員として後宮で働くことになっていただろう。
異例中の異例ではあるがこの後、大臣の報告を受けた王が、アイシャーの気持ちを確かめに出向いてきたという。
「ライトを後宮に入れたいというわけではありませぬ。ジェニを通じていつでも連絡の取れる場所に置きたいということでございます」
アイシャーが恐縮の体を装って弁解すると、当然のことながら王はその理由を知りたがった。
「あの者は破魔の才を持っております。キタイからの旅の途中も、あの者の力で一難を避けることができました」
「何? 破魔の才だと!」
実は紅宮は単に王の私生活の場というだけではなかった。紅宮の中心の最下層部には六階層吹き抜けになった巨大な会堂があり、この吹き抜けを囲む各階の回廊とそこから伸びる枝廊に沿って紅宮の主要な居室の扉が並んでいる。会堂の中央部には宝玉と黄金で飾られた祭壇と宝塔が設けられ、王城にいる間ここで王は王国トゥランを霊的に守る祭祀王としての役割を果たしていた。
つまりトゥランの王は、戦において戦闘の最高指揮者であると同時に、王国の最も力ある覡でもあったのだ。従って王が私の『才』とやらに興味を持ち、私的にではあるが直々に召し出したのも故無きことではない。
「エンテネス・ライト、立ってこちらに参れ。ここはわしの私室じゃ、礼儀は必要最小限にせよ。無論、この場限りのことだがの」
王は、白くなった顎鬚と頬髭を蓄えていたが、口髭は無かった。この点を私の基準で見ると禁欲的な男ということになる。表情は厳しく、痩せて頬骨が見えている。偉丈夫というほどではないが体つきはがっしりしており、動作にも武人らしいメリハリがあった。
問題は『必要最小限の礼儀』というやつで、どの一線を越えればこちらの首が危うくなるか分からない間は、命じられた事以外する気はなかった。
私は片膝ついて頭を垂れていた身体を起こし、ゆっくり進み出た。近づきすぎだと判断したら、誰かが制止するだろう。
ところが王の脇に控えていた侍従らしき男も、壁際に立つ護衛官たちも一向に合図を送ってはこず、私はとうとう手を伸ばせば王に触れることができる位置まで来てしまった。たとえ武器を一切身につけていないにしろ、これはさすがにまずいのではないかと感じ、思わず一歩下がったところで私は顔を上げた。
「アイシャーに聞いたのだが、お前は破魔の才を持っているそうだな」
王は短気な性格のようで、前置き無しのご下問だった。まあ、王ともなれば僅かな時間も貴重なのだろうし、臣民の末端に身を置く者としては素直に応えるしかない。
「アイシャー様がどう言われたのか知りませんが、私には記憶がなく、その『才』というものがあるのかどうかもわかりません。多分、アイシャー様にとって『道具』のような存在なのではないかと思います」
「なに? 『道具』だというのか……だとすると、わしにも使えるかもしれん」
王は私を鋭い視線で値踏みするように見た。
「この『道具』自身はどのように使われる『もの』なのか皆目見当もつきませんので、お役に立てるかどうか……お許し下さい」
「それは使役する者が知っていればよいことで、お前自身は知る必要もない」
私はその時、あのダズという男のことを思い出してゾッとする思いだった。私もあの男のように、自分以外の誰かの目的のため使い潰される運命なのだろうか?
王はその後、クフナ・ウルから王都までの旅について、その間私の果たした役割について問い質した。曖昧なところがあると傍の侍従が王にささやき、私は思いもよらないことまで追求されるはめになった。これは事前に、サトゥースたちからの聞き取りを済ませているに違いない。
「お前は一人で三頭の獅子を一気に倒したというではないか!」
「幽鬼を倒した時のお前の行動を詳しく話せ!」
「ジェニという娘は……」
「その野盗との戦闘では……」
王の尋問が終わった時、私はヘトヘトになっていた。それにしても王は終始他人まかせにはせず、自分の貴重な時間と労力をこれだけ費やした。私ごとき者から、一体何を引き出そうとしていたのだろうか。
トゥランの王コデン・オゴディ・シャルマーンとの最初の出会いは、私にとって散々なものだった。自分の人生に生じる災難をすべて他人のせいにする生き方を肯定するつもりは無いが、この場合は大部分がアイシャーの責任だろうと私は考えた
。
いつの間にか私は白宮の一隅に部屋を与えられ、そこに寝起きする身分になったことに気がついた。一体コデン王は私をどう使うつもりだろうか?




