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2.夢見る人《フール》       ◆2の2◆

 気がつくと私はここにいた。

 いや本当だろうか? そんなことが本当にあったのか?

 あの時、私と姫君は違うことを話したような気もする。

 だが結局のところ、私は逃げ出すことができなかった。

 今では逃げ出すことなど考えられない。


 馬の歩みをとめた私の脇を、ゆっくりと隊列が通り過ぎていった。

 ふと見ると、姫君を乗せたと思われる大きな車輪の馬車の窓から、ジェニと呼ばれたあの少女が顔を覗かせ、恥ずかしそうに微笑んで私を見た。

 それを見た瞬間、思わずうろたえる自分に気がつき、私はさらに困惑した。いったい、この五日間の間に何があったのだ!?



 夕方に入る前に隊列は停められ、野営の準備が始まった。草原の路端に井戸が設けられていた。この井戸は人の手で作られ維持されているもので、はるか彼方の水源から地下を流れて来ている。獣が水を汚さぬよう石積みがなされ、この地の外から来たものが利用する際には水銭を払わねばならない。水源の近くの村から男たちがやって来て、後ろから近づいてくる小商いの荷馬車から金を取り立てていた。


 サトゥースは男たちの頭と話していた。水銭を払うどころか、野営の準備を手伝わせようというのだろう。


 姫君と随員の馬車の傍にわざわざ天幕が設営され、そこを中心にすべてが配置された。天幕など使わずに馬車で寝たほうが安全だと思ったが黙っていた。間もなく西の空が茜色になろうとしていた。馬を一箇所に集め、火を焚くのが先だ。


 馬溜りに自分の馬を引いていくと兵士と輜重の人足が話し込んでいた。


「まったく、キタイの奴らと言ったら薄気味悪い」


「何がだ? まあ、確かに取っ付きが悪いが……」


「気がつかないのか! 料理人だというあの大男とここに馬を引いてきた御者の二人以外、誰も口を聞かないんだぞ」


「そりゃ、こっちの言葉がわからないんじゃないのか……?」


「奴ら、お互い同士でも一言も話さないんだ」


「ひょっとして、みんな舌を抜かれているというんじゃ……」


「それにしたって、人間何かしら声を出すもんだろう。唸り声ひとつ無いなんてありえるか?」


それはまた、奇妙なことだ。


 この辺はまだ獅子たちの縄張りだが、通常これだけの人数がまとまって野営している場合は奴らが襲ってくることはない。奴らは知恵ある獣で、武器を持った人間がいかに危険であるか知っている。


 ただそれも、隙を見せなければという条件が付く。篝火が押し退けられる夜の闇は僅かな範囲に過ぎず、その外は獅子たちが支配し跳梁する世界だ。砂漠のそれと違い草原の空には山からの雲が降りて来ることがあり、星明かりもそれほどあてにはならない。


 やがて陽がはるか西の山陰に落ち、空が竈に残る燠の色に変わろうとする頃、私は姫君の天幕に呼び出しを受けた。


 本来であればこの一行を取り仕切るのは護衛隊長であるサトゥースであるべきだ。私は草原を横切る街道の路案内をし、隊列の前後の偵察を行うために雇われた。厄介事というのは必ずしも前方からのみやって来るわけではない。ところが拙いことに、隊列の後ろには例の商人たちがついて来ている。何が拙いと言って、この者たちが自分の商品を馬や荷車に載せて運ぶ小商人であるということだ。サトゥースは隊列の後ろで揉め事が起こった際にどんな事態になるか考えてみたのだろうか。


 例えば獣があの商人たちを襲ってきたとしよう。指揮をする者がいなければ、それぞれが自分の馬や商品あるいは命を守ろうと、てんで勝手に動き回ることだろう。だが、まとまって身を守らなければほとんどの人間は草原の獣に対抗することができない。そのうち彼らは商品などより自分の命の方を先に守らなければならないことに思い至る。助けを求め彼らは本隊の中に逃げ込もうとする。これが拙いのだ。


 サトゥースの率いる護衛隊は、武器装備もそれなりに揃えられている。三十名ほどがフリントロック式のマスケット銃を背に掛けていた。また残りの三十名は二組の投槍を背にしている。この投槍は三尺ほどの長さがある金属の穂先と木製の柄とに分かれているもので、使用するときには素早く嵌め込むことができる。穂先と柄をつなぎ合わせると七尺ほどの長さになり、熟練した者が投擲すると百尺先の盾を貫き通すという。マスケット銃の射程は二百尺程度だが、百尺の距離で狙って的に当てるなら投槍の方が確実だ。所詮マスケットは一斉射撃の弾幕によって敵を打ち倒す道具だ。この他に彼らは三尺余りの柳葉刀を、普段は鞍に付けて運んでいた。


 獅子の群れが襲撃してきたとする。まず百尺あたりまで引きつけマスケットで一撃、これで獅子たちが逃げ出せばよいが、さらに近づいてきた場合は投槍で狙い撃つ。その間にマスケットを再装填し、手負いやすり抜けて来た獅子を至近距離から撃つ。 私が見た護衛隊の練度から、この程度はやってのけるだろう。

 

 だが、襲ってくる獅子の群れの前にあの商人たちが逃げて来るとしたらどうだ。サトゥースが冷酷非情に発砲を命じたとしても、ほとんどの銃弾は商人たちをなぎ倒すだけに終わり、獅子たちは僅かしか傷つかないだろう。貴重な時間と弾薬の無駄遣いだ。


 そんなことを考えながら天幕の前まで来ると、ジェニと呼ばれたあの少女が私を待っていて、眼差しで中に入るように促した。


 天幕の中にはランプが配置され、金属の火鉢には燠火が入れられて真鍮の薬缶がかけられていた。陽が落ちるとあたりは急に冷えて来る。


 ジェニが供してくれた器の水で手を洗うと、地面に敷かれた絨毯の上に腰を下ろすよう姫君が命じた。サトゥースはすでに座っている。絵柄の付いた磁器の碗でチャイが供された。


「ライトよ、何を思い悩んでおる? 隠さず妾に話すが良い」


「おおかたアイシャー様のその端女はしため」と言ってサトゥースがジェニの方を顎で示し、「その娘と過ごした五日の間のことでも思い返していたのでしょう」と、下卑た笑いを浮かべて見せた。


「サトゥース、お前もジェニに相手をして欲しいのかえ?」


「いや、それは……」


「お前には一つしか命が無いのであろう。やめておくのがよかろう」


 口端だけで笑った姫君はジェニに視線を向け尋ねた。


「ジェニ、ライトはいくつの命を持っていた?」


 するとジェニは親指を折った右の掌を小さな子どものように差し出した。


「四つ。それはまた面白いことよ」


 姫君の言葉を聞いてサトゥースが目を白黒させた。

「アイシャー様、この男、本当に四つも命を持っているので?」


サトゥースお前、修行が足りないぞ。


2013.09.18. 一部訂正

2014.02.20. 改行部分訂正

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