6.虹の根元 ◆6の5◆
宿の前の広場に大鍋四つが据えられ、老羊の肉と根菜が入ったスープが作られた。まあ、これだけの大人数に必要な食べ物を料理するとなると、あまり選択肢はない。結局有り合わせの材料のごった煮になってしまう。これでもまだ、肉が入っているだけましな方だろう。
昼間の戦闘への褒美として、アイシャーから兵士全員に五デナリずつが与えられた。兵士の日当が銀貨で一デナリと決まっているから、これは五日分だ。サトゥースや軍曹たちには別に祝儀が渡されているだろうから、アイシャーの出費は五百デナリを下らないはずだ。夕餉に使われた羊の肉だって、アイシャーが購ったものだ。
私から見れば、アイシャーは湯水のように銀を浪費しているとしか思えなかった。
「アイシャー様、そのようにたくさんの銀をお持ちとは、錬金術でも心得ておられるのでしょうか?」
「妾が、理由もなく兵たちに銀をばらまいていると思うのか、ライト?」
「姫様のされることの理由がわからないのは、今に始まったことではありませんが……」
「妾はお前の姫様なのか?」
「どうお思いです?」
「はて、妾はお前の何にあたるのだろうか?」
「姫様ではいけませんか?」
「では、お前の方は妾の何なのだ?」
「私たちがしていたのは銀の話ではなかったでしょうか?」
「ひょっとしてお前、疑っておるのか?」
「何をです?」
「妾が宝鈔を贋造していると」
「キタイの紙の金の話など、私には与り知らぬことです」
「宝鈔贋造の一番の親玉はのぅ……」
「はい?」
「皇帝陛下というか、帝室じゃ」
「ははぁ、なるほど……」
「宝鈔は銅版刷りでな、皇帝が命じれば好きなだけ刷ることができる。昔、交鈔と呼ばれた時代には、専売されていた『塩』と兌換していたこともあったが、今では皇帝の命以外何の裏付けもない、ただの刷物じゃ」
「やっぱりキタイの錬金術なのですね」
「皇帝の命の力じゃ。魔導院の長老も皇帝にはかなわぬ」
「皇帝は長老以上の魔道士だということになりますか」
「帝位そのものが巨大な呪なのじゃ」
「その呪の一部をアイシャー様が侵そうとしていると?」
「単なる『疑い』に過ぎぬのだが、帝位というものは『独占』せねば意味が無くなるものでな」
「だからこそ『疑い』のうちに芽を摘んでしまおうということですね」
「まあ、そもそも妾がキタイから財物を持ち出すこと自体、快く思っておらぬだろうしな」
「いったいモルとの『恋物語』は何だったのです」
「あ奴が妾に執着しておったのは嘘ではないぞ!」
「おもてになることで!」
「まあ、宝鈔の話よりはわかりやすいと思ったのじゃ」
「そんな木偶頭だと思われていたのですか!」
「賢すぎないのがお前の取り柄じゃからな」
アイシャーの欠点は賢すぎることだ。そんな女に惚れる私は、やはり馬鹿だ。
アイシャーの気前良さのおかげで兵たちの士気は保たれていた。王都に帰り着いて任を解かれても、兵たちはアイシャーとの旅のことを忘れまい。時々心づけを届ければ、アイシャーは兵たちの支持を掌中にし続けることができる。獅子退治や野盗の討伐という実績があれば、サトゥースの百人隊の評判も際立ったものになるだろう。兵たちの懐が温かければ、他の隊の者に奢って武勇伝を聞かせる機会もあるに違いない。いやむしろ、退屈で単調な毎日の仕事に戻れば、自分たちの血湧き肉踊る旅の日々を語らないでいる方が難しい。その中では、雨に降られながらの惨めな野営の記憶さえ、貴重な思い出となってしまうのだ。
これがアイシャーの呪なのか……。
だがその夜、私は魔導の本当の恐ろしさを、再び思い知ることになった。




