6.虹の根元 ◆6の4◆
馬でサトゥースの所まで戻った。
「話は聞いているんだろう」
「ダズとか言う奴のことか?」
「ああ」
「本当に来るのか?」
「ソンブラが子分を一人捕まえて吐かせた」
「そいつは?」
私は右の人差し指で首をかき切る真似をした。
「おいおい」
「ソンブラが勝手にやったことだ」
「お前もだんだん平気でそんなことを言うようになったな」
「隊長殿、あんた焼きが回ったんじゃないか? これは命のやり取りだ。盗賊を生かしたまま捕えるなんて、足手まといになるだけだ」
「ん、ああ、そうだな」
サトゥースは一瞬、気圧されたような顔をした。気を抜いてもらっては困る。甘い考えを許して、依頼主を危険にさらすわけにはいかない。王の軍隊であるサトゥースたちが人を殺すのには名分が必要かもしれないが、ソンブラがやったことにまでそれを要求されても困る。
「マスケット隊の方は大丈夫なのか?」
サトゥースはチラッと殿のビゴデ軍曹の方を見て、苦い顔をした。
「それが、やはり弾薬を湿らせてしまった者がいてな……銃の方は水気を拭って油を注してあるが、火薬は火にあぶって乾かすわけにもいかんからな……」
「やはり不発がかなりの割合で出ると覚悟しなければならないか! 紙薬包の欠点だな。油紙で包んであっても、今の火薬は湿気を吸いやすいからな」
「お前が言いたいのがあの新しい火薬のことなら、あれはしばらく置くと不安定になっていつ爆発するかわからん! とても使い物にならんぞ」
おや、サトゥースも武器に関しては研究しているとみえる。そのうち金属薬莢や銃身内の施条の話でもしてみようか。まあ、新火薬が不安定なのは確かで、だから私もまだ昔からの火薬を使っているのだが……。
サトゥースの兵が使っているマスケットの銃身には施条がされていない。狙って撃ったってまず当たる心配のない代物だ。不発が多くなるということは、弾幕によって効果を上げるマスケット射撃にとって、致命的に不利な結果をもたらす。ダズの奴がこのことを知っていたら、昼間に攻撃をかけてくるかもしれない。
野盗がこの隊列を狙っているらしいという情報は、口づてに兵の間にも広がり、どの顔も殺気立ってきた。こういう時、動揺を鎮めるのが軍曹の役目だ。サトゥースが軍曹たちに指示して、兵に声を掛けて廻らせた。
「盗賊どもが現れたら目に物見せてやろうじゃないか。だが、命令はしっかり聞いて行動しろよ」「お前たちは獅子殺しの竜騎兵だ。野盗なんかその辺の餓鬼とかわらんさ」「俺たちに護衛されているアイシャー様を狙うなんて、馬鹿な奴らだ……」「いいか、情けなんかかける必要は無いからな、ぶっ飛ばしてやろうぜ。土手っ腹ァちゃんと狙えよ」
まあ、野蛮な内容だが兵を落ち着かせるのには役に立つ。言っている言葉よりも軍曹たちの口調が大事だ。浮き足立たず、気を抜かず、肝心な時にすぐ行動できるように……言うのは簡単だが、実戦では難しい。
ただこの兵たちは獅子との戦いで一度死線を乗り越えていた。赫い洗礼のおかげもあって、いい意味で暗示にかかりやすい。右手の丘の陰からバラバラっと矢が射かけられてきた時も、サトゥースの命令に落ち着いて従った。
「全員抜刀! 隊列、左右へ! ビゴデ、お前はそっちだ! 蹂躙しろ!」
サトゥースは矢が放たれた右の丘に兵を率いて駆け登った。奴は臆病者ではない。軍曹に左側を任せたのは、当然そちらに伏兵が潜んでいると判断したためだ。
案の定、そこには三十名ほどの男たちが武器を手に身を潜めていた。抜刀した三十騎の竜騎兵が迫ると、彼らはあわてて立ち上がり逃げ出した。柳葉刀が風を切る音がして、血しぶきが上がった。男たちの悲鳴が上がった。
一方サトゥースに率いられた三十騎は二射目に直面することになった。だが短弓の射程は竜騎兵の突進にとってほんの一呼吸の間だ。しかも自分に向かって迫ってくる騎馬の群れを目にして、冷静に矢を放つことは難しい。まず的を選択し、弓を引き絞り、動く的に狙いを定め、正しい瞬間まで正しい姿勢を保って右手を放つ。自分の放つことのできる矢は一本だけであり、迫ってくる竜騎兵は多い。そこに隠れていた射手たちは誰ひとりとして、そんな状況に対する訓練を受けてはいなかった。
結果として、三頭の馬が体に矢を受けたが、浅手だったのでそのまま走り続けた。そしてここでも、柳葉刀が空気を切り裂き、男たちは血まみれになって倒れ伏した。その上を馬たちが、文字通り踏みにじっていった。
私は最初左手のビゴデ軍曹の方へ、それから右手の丘にと馬を駆り、状況を確認した。
付近にはもう隠れている者はいないようだった。ビゴデは下馬して倒れた男たちをひとりひとり確認し、息の止まっていない者には止めを刺して廻っていた。どうせ手当などしてやる積もりはないのだから、この方が慈悲というものだ。
サトゥースの方へいくと蹄鉄に踏みにじられた人の身体が散乱していた。感心なことにサトゥースも後始末を人まかせにはしていなかった。ただ奴は生き死にの確認などせず、軍曹の一人に頭を持ち上げさせて、そこに倒れていた二十人ほどの男の頚動脈を順番にかき切っていった。その時血が勢いよく吹き出したのが、まだ生きていた奴だったのだろう。
アイシャーの馬車はハサスたちが守っていた。馬車は木製だが頑丈に造られており、窓の鎧戸を閉めると矢を通さない。もともと最初の一斉射は距離がありすぎ、馬車には届かなかった。騎馬隊を引き離し、伏兵の奇襲を成功させようという目論見だったのだろう。だが盗賊たちは、訓練された竜騎兵の疾風のような速さというものを見くびっていた。
結果として野盗の群れは壊滅し、こちらは兵と馬が軽傷を負っただけだった。
「あの中にダズがいたと思うか?」
私は馬から下りて辺りを見廻しているサトゥースに聞いた。
「いや。だいたい馬に乗った奴が一人もいない。騎馬の兵を相手に……おかしいだろう!」
意外と冷静だ。
「でも、まあ圧勝だからな、兵を褒めてやってくれ」
「言われるまでもない! 俺の部下だぞ!」
サトゥースは馬を引いて丘から降りていった。
しばらく進んでから昼の大休止となった。火は焚かず、兵たちは輜重の馬車の周りに集まって樽から汲んだ水を何杯も飲んだ。それと棒状の堅焼きパンが昼食だった。
そのまま何事もなく隊列は進んだ。空が晴れているのが救いだった。風に吹かれ、先ほどの血の臭いが薄れていくような気がした。
セルバの宿場には、日没前に着くことができた。私はジェニたちと先行して宿場の様子を確認し、ヴェルデを本隊まで走らせ、安全を知らせた。セルバは荒涼とした荒野の中にある寂しい場所だったが、隊列が到着すると一度ににぎやかになった。
宿屋の前にある広場に井戸が設えられていて、使用人たちが水汲みにおわれていた。百人以上の人間に必要な水を一つの井戸でまかなうのは容易なことではない。人間だけでなく、馬にも水は不可欠だった。
「井戸に見張りをおくべきですね」
ジェニが言った。




