6.虹の根元 ◆6の1◆
朝空に虹が架かっていた。まだ風は冷たかったが、雨は止んでいた。
大きな焚き火を六ヶ所に組み、濡れた装備を乾かさせた。まず昨夜アイシャーの天幕の中で乾かしておいた薪を積み上げて燃やし、その熱で湿った枯れ木を乾かして燃やした。
旅装を火にかざしても生乾きにしかならないが、それでも気分が違う。挽き割りトウモロコシと干し肉の入った温かいスープが配られ、軍曹たちが気合を入れてまわると、兵士たちも腰を上げる気になった。
馬にも穀物が多めに配合された飼葉が与えられた。
隊列が動き出したのは夜明けから二刻もたってからだった。
虹はとうに消えてしまい、空の高い所で雲が飛ぶように走っていた。
陽が高くなるにつれて少し気温が上がってきた。日差しが強くなり、ジリジリと焼かれているようなのに、暖かくは感じられない。風が冷たいせいか? それとも、身体の芯が冷えて消耗しているせいか?
馬をゆっくりと歩かせた。身体が温まらないのは馬も同じだ。隊列の歩調も遅い。
だが、次のボスケスの宿場までは十里以上ある。しばらくしたら先行し、ボスケスの宿屋に到着の先触れをしなくてはならない。この調子では到着は暗くなってからになるだろう。
ジェニが灰毛を並足にして追いついてきた。
「ジェニ、軍曹を見なかったか?」
「隊列の殿で落伍者が出ないよう気を配っていました」
「サトゥース隊長は?」
「アイシャー様と話しています」
「旅程の遅れのことか?」
「砂漠の旅は天候次第で何日も足止めされるのも珍しくありません。クフナ・ウルへの到着が遅れたと言えばよいだけです」
「後でバレたらまずいだろう」
「兵たちは隊長と軍曹たちが言えば口を閉ざします。勿論、ハサスも乱破も」
「それにしても六日も遅れている。怪しまれないか?」
「ライト様は心配のし過ぎです」
「まあ、用心するのが商売のようなものだからな……。商売といえば、軍曹は出発前マスケット隊の点検はしていたかな」
「点検が軍曹の商売なのですか?」
「そうさ。雨で火薬が湿ると不発が増えるだろう」
「それは……」ジェニは振り返ってしばらく沈黙した。「ハサスの誰も兵士が銃の手入れをしているのを見ていないそうです」
「そうか、後からそれとなく言っておこう。王都に着くまであと半月近くかかる。その間に、何が起こるかわからない」
軍曹に直接言うと、どんな反応があるかわからないと思い、話はサトゥースを通すことにした。奴にあいまいなことを言っても仕方ないので単刀直入に、
「雨で火薬が湿っているはずだが、銃の点検はやったか?」と、切り出した。
眼を白黒させていたところを見ると、考えていなかったに違いない。後は、奴が上手くやるだろう。
ジェニと本隊の先に馬を進めて間もなく、ソンブラが栗毛の裸馬に乗って右手から現れた。どうやら先行していたらしい。驚いたことに、その後からヴェルデが走ってついて来ていた。
「おやソンブラ、お供を連れているのか?」
「そんなはずがあるか! こいつが勝手についてくるだけさ。ただ、馬なみに走れるというのは本当のようだ」
「ライトさん、この人ずれぇよ。追いつかれそうになったら、馬から下りて、馬と一緒に走り出したんだ」
「まあ幽鬼だからな」
「そもそも何でソンブラの後をついて来たのです?」と、ジェニ。
「お頭がこいつを見張れって」
「なるほど、それはヴェルデにしかできないな」
「そうだよ、普通の奴がこいつについていけるもんか」
「アイシャー様のお指図ではありませんね」
「お頭が、こいつは信用できないってさ」
「まあ、それは同感です」
ジェニは渋々ながら認めることにしたようだ。
私とジェニたちがボスケスの宿場に着いたのは昼を二刻も過ぎた頃だった。ここで厄介な問題が起こった。私たちより早く、クフナ・ウルに、ということはキタイに、向かう商隊がボスケスに到着していたのだ。当然、宿の部屋はその商隊の主だった者たちによって占有されていた。かと言って、アイシャーを納屋などに泊めるわけにもいかない。結局、私とジェニとソンブラの三人で、脅したりすかしたりして一番いい部屋を譲らせた。
実のところ一番役立ったのはソンブラだった。意地を張っていた商隊の長にしなだれ掛かったソンブラが、その男の耳に何か呟くとそいつは脂汗を流し始め、急に素直になった。
「ソンブラ、お前あいつに何を言ったんだ?」
「グズ・オルドの男娼窟の馴染みに、よろしく伝えてくれと頼んだだけさ」
「そんなところに知り合いがいるのか?」
「いや、ただ奴からそういう臭いを感じたからな」
「他人の弱みを嗅ぎつけるのは得意、というわけか」
「某はそんなことで人を貶めたりはしないぞ」
「そんなこと?」
ジェニが鼻を鳴らした。
宿場の村長と交渉して、夕食の手配をさせた。本隊の到着も遅くなりそうなので、宿泊場所も手配しなければならない。兵士たちには納屋を何軒か借りることにした。ジェニが交易銀で先払いを匂わせたので、なんとか交渉をまとめることができた。だがこの調子でいくと、王都到着までにどれだけ掛かりがかさむことになるかわからない。私の報奨金が出ないなんてことにならないでほしいものだ。
日没から一刻もたってから本隊が到着した。あまり遅いので街道を戻って様子を見に行こうかと迷いだした頃、松明を先頭にのろのろとやって来るのが目に入った。馬も人も疲れきった様子だった。
到着を待って宿場の者に大鍋の料理を温め直させた。やって来た軍曹に指示を伝え、いくつかの納屋に兵士たちの人数を分けて連れて行かせた。アイシャーの出迎えはジェニにたのんだ。
アイシャーがキタイの姫君と聞いて商隊の長が面会を求めてきた。意外にもアイシャーは受け入れ、その男と話し込んでいた。しばらくすると急いで出て行った男が重そうな袋を持って戻ってきた。その後部屋を出る時、男は何かの紙束を持っており、ほくほく顔だった。
「ジェニ、姫様はあの男に何の用があったんだ?」
「銀が足りなくなりそうだったので宝鈔と替えさせたのです。割り引いた分の儲けが出たので、喜んでいたのでしょう」
「宝鈔って、あいつの持っていた紙束か?」
「そうです。キタイでは、少し大きなお金は、あの紙で支払うのが普通なのです」
2014.04.16. 以下の誤変換指摘いただきました。
誤『本体』→ 訂正後『本隊』
見つけてくださりありがとうございます。




