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5.雨の中の眠り         ◆5の1◆

 早朝、リオの村では誰もが眠そうだった。モルの術により眠らされてしまったものの、その後の騒ぎで無理やり起こされ、火事場に出向かなかった者もよくは眠れなかったのだろう。

 兵士たちは朝からあぶり肉をはさんだパンとチャイをあてがわれ、いつもだったら意気軒昂いきけんこうとなるはずなのだが、寝ぼけまなこでいる者が多かった。今晩もう一度野営する必要があるのだが、大丈夫だろうか?

 ソンブラはどこからか栗毛の馬を引き出し、くらを置かずにまたがっていた。馬銜はみを使わずに頭絡とうらく手綱たずなだけを付け、馬の背に毛布を載せただけで、あぶみも使っていない。それでいて気性の荒そうな栗毛を乗りこなしているのはさすがだった。長剣を背に、腰に短剣をたずさえていた。また、馬の首にぐるりと廻すようにして細長い荷物をくくりつけている。


「その馬はどう都合したのだ?」

 盗んだものではないようだが……。

「ん、帝都から乗ってきた」

 では詮索するのはやめておこう。

「乗り慣れているのだな」

「ん、それも仲間からよく思われていない理由の一つだな」

「どういうわけだ?」

「馬のような弱い動物に身をあずけるのは不甲斐ないというわけだよ」

「弱い?」

「実際、自分の足で走った方が速いし、長く走れるからな」

「はー、半刻で七里がここにもいたか」

「何だそれは?」

「いや、それだけ走れる奴がいるということさ」

「それは、幽鬼ラクシャといい勝負だな」

「そうなのか?」

「まあな、だがそれよりも」

「ん?」

「戦うとなると馬は足でまといだからな。幽鬼ラクシャには評判が悪い」

「馬は本来臆病な生き物だ。それは仕方ないだろう」

「足が速いのも逃げるためだし、仕方ないな」

 ジェニが灰毛に乗ってやってきた。ソンブラはいきなり馬首を返し、離れていった。

「何を話しておいででしたか?」

「いや、あいつの栗毛のことを」

「それが何か?」

「帝都から乗ってきたそうだ」

「ああ、盗品ではないということですね」

「いやそれは……帝都で盗んだものかもしれん」

「それは……我らのあずかり知らぬことですが、アイシャー様の家人となると……」

「他国の話だ、追求しない方がよかろう」


 私は馬を止め、鞍袋から出した弾丸を上着の隠しに収めた。王都にたどり着かなければ弾薬の補給もままならない。それまで持つだろうか? 弾薬が尽きれば、私の武器は銃剣スパイクと刃渡り一尺半ほどの山刀しかない。半長靴ブーツに仕込んだナイフは、まあお守りだ。


 軍曹たちが号令をかけ、隊列が整い始めていた。アイシャーの馬車が移動し、隊列の中央付近に入り込む。先頭はすでに街道を進み出し、列が完成するのは四分の一里ほども進んだ後だ。

 雲行きが少し怪しく、雨の気配が近づいてきていた。降るなら早目に降って、午後には上がってほしいものだ。


 間もなく小雨が降り出し、やがて本降りになった。早目に雨外套ポンチョを出して被っていたが、隙間から雨が入り込んで来る。兵士たちも同様で、濡れずに済んでいるのは、屋根のある馬車に乗ったアイシャーたちぐらいなものだろう。気温はそれほど低くないが、少し風が吹けば身体はたちまち冷える。厄介な天候だった。

 昼を過ぎても雨は止まなかった。立ち止まると身体が余計冷えるので、馬を歩かせ続けた。本当は休ませるべきだが、雨宿りの場所が無かった。

 リオの宿場と次のボスケスとの間は二十里、強行軍で進めば倒れる馬が出てくるだろう。

かと言って平原の真ん中で立ち止まることもできない。明日雨が上がるという保証も無いのだった。


 結局雨足は止まず、雨中での野営という厄介なことになった。街道沿いの井戸の位置から五百歩ほど外れた林の中に隊列を引き入れた。山から降りてくる水路の上に樹木が成長してできた林なので、細長く続いている。兵士たちは雨外套ポンチョをつないで樹の枝に差し掛け、その下で焚き火の準備をした。この雨の中、火を起こすだけでも大変な苦労だ。幌をかけた馬車に積んであった乾いた薪を、濡らさぬようにうまく使わねばならない。

 どこかで「うおぉ」という声が上がった。どうやらヴェルデがジェニから分けてもらった油液をくすぶっている薪にふりかけ、着火を確実なものにしようとしたらしい。だが炎が高く上がりすぎ、兵士たちの雨具を焦がしてしまったのだ。もっとも雨具はかなり雨で濡れているはずだから、穴が開くほどではあるまい。


 馬たちは身を寄せ合って寒さをしのいでいる。濡れた飼葉を食べさせるのは馬に良いことではない。まったく面倒だ。飼葉を入れた袋をかついでいって自分の馬に食べさせた。ソンブラの栗毛の姿は馬溜まりには無かった。気性の荒そうな馬だったから、一緒にはできなかったのだろう。


 ジェニが声を掛けてきたのでついていくと、アイシャーの馬車のそばにいつもの天幕を使って、円錐状の小屋のようなものが立てられていた。言わば屋根だけの天幕なのだが、縦に細長く伸ばされているので当然中は狭い。だが入ってみると、頂辺てっぺんの部分が開口していて、中で火が焚かれており、暖かかった。


「これは……」

「ソンブラの話に乗って、試しに組み立てさせてみたのじゃよ。これは、チィピィとか言う天幕の張り方なのだそうだ」

 ジェニがバターを溶かしたチャイのマグを私の手に渡してくれた。冷えた身体にはありがたかった。

「ライト様の鞍はあちらに」

 入口から入って右の奥に乾いた薪が並べられ、その上に鞍と毛布が置かれていた。これが私の席のようだ。奥の中央、焚き火の向こう側には、やはり並べられた薪の上に敷かれた絨毯に、アイシャーが座っていた。ソンブラは入口のすぐ右側の薪の上に座っている。天幕の中にこれだけ薪が置かれているのは、薪を乾かすためだけでなく、湿った地面に直接座らないですむようにとの配慮だろう。

「火鉢では湯を沸かすことはできるが、これほど暖かくはならん。この男は他にもいろいろ面白いことを知っていそうだ」

 どうやらソンブラはさっそくアイシャーに取り入っているようだ。まあアイシャーとの化かし合いか? だいたいこの男は幽鬼ラクシャなのか魔導なのか、仲間にも蝙蝠こうもり扱いされていたのではなかったか……?


 蝙蝠こうもり? いや、これはソンブラが言ったことか? 誰の記憶だ?


蝙蝠こうもりと言われましたか?」

 どうやら私が思わず呟いた言葉をソンブラが聞きとがめたらしい。

「それは他の幽鬼ラクシャたちがそれがしにつけた異名いみょうです」

「悪い名ではなかろう。蝙蝠こうもりは縁起の良い生き物だ。福を呼ぶと言ってな」

 確かキタイではそう言われているのだった。

「そう言われれば文句も言えぬのがつらいところです」

 いかにもつらそうな顔をしてみせるが、この男はそんな気弱な玉でもあるまい。

「魔導と幽鬼ラクシャの掛け持ちというのは、それほど悪く言われるようなことなのか?」


 アイシャーとソンブラが顔を見合わせ、一瞬間があった。


「前に言ったかもしれぬが魔導の用いる仙薬ツォーマ幽鬼ラクシャの必要とする太歳ターツァはまったく逆の効果をもたらすものでな、その上いずれも『魔薬』と言わねばならぬほど人にとって強力な毒なのだ」

「アイシャー様」

 ジェニが思わず主人を気遣って声を掛けた。なるほど、そんな『毒』を常用せねばならぬ魔導や幽鬼ラクシャというのは、人とは異質な存在であるに違いない。よく考えれば周囲に不安を与えてもおかしくはないのだ。


「だが、仙薬ツォーマ太歳ターツァは目に見える『物』にしか過ぎぬ。それらを必要とする魔導と幽鬼ラクシャの本質は、仙薬ツォーマ太歳ターツァの効果以上に真逆なのじゃ」


 ソンブラに向けるアイシャーの眼差しは私を不安にした。これは、嫉妬ではない、ないと思う、別の何かだ。

 ソンブラがただ、焚き火の炎を見つめ続けているのも気になる。この男は炎の中に何を見ているのだろうか? 

 自分の鞍に寄りかかりながら、私はチャイを飲み干した。


「まあ、男であると同時に女であろうとするようなものです」

 ソンブラがボソッと言った。

 それを聞いたジェニが眉をひそめた。この顔もなかなか可愛い。

「モルが気に入りそうな奴じゃろう」

 フフフッとアイシャーが笑った。お前も気に入っているようじゃないか、アイシャー。違うのか?


「それよりもそれがしが気になるのはライト殿の正体の方です」

 顔を上げたソンブラが、その言葉を投げかけた。


◆馬具用語◆

頭絡とうらく:馬の頭部に付けられている革紐で構成されたバンドのようなもので、馬銜はみ手綱たずなを含みます。馬を操る時のハンドルのようなものにあたります。

馬銜はみ:馬の口にくわえさせる金具で手綱たずなを引いたり緩めたりすると馬の口を刺激し、乗り手の意思を馬に伝えます。馬の口は敏感なので、これがあると手綱たずなを通して細かい伝達ができます。

 本文の中では流して読まれてもいいと思って書きましたが、後書きになんとなく付け加えます。「後出しは卑怯だ」という非難は覚悟の上です。



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