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4.朝と昼と晩と          ◆4の9◆

「ソンブラとお呼び下さい」

 優男の幽鬼ラクシャはアイシャーにそう名乗った。

「それはライトの名に引っかけたのか?」

「いえ、まことソンブラと申すので」

 それは『影』という意味だった。まあ、幽鬼ラクシャらしいというか、魔導の名としてもそれらしい、というか……。だが、いかにも偽りの名ですと言わんばかりの名前ではあった。


「モルもそう呼んでいたのか?」

「はい」

「それならよい」


「アイシャー様! そんなことでよいのですか?」

 まだ薙刀を引っさげているジェニは、機会があればすぐにでもソンブラと名乗った男の首を跳ね飛ばそうという気色けしきだった。

「名前というものはな、その名で呼ばれて『おう』と応えていれば、やがてその名が真の名となるものなのだ。ましてやモルのような魔導に一度でも『おう』と言えば、前の名が何であったとしてもすり替えられてしまう。もはやソンブラは、この男の真の名じゃ」

「あー、またそうやってしゅをかける。やはりアイシャー様も魔導ではないですか」

 ソンブラがすねたように言った。


「アイシャー様、その者は?」

 サトゥースが軍曹を連れて引き返して来てみると、エディが抜刀しジェニまでが薙刀を構えている。不審に思って当然だ。

「ああ、最近妾に仕えることになったソンブラという男じゃ。見知りおけ」

「隊長殿、ソンブラ・デ・プレトと申します」

「サトゥースだ」

 どうやらサトゥースもこの男に虫が好かないものを感じているようだ。


「ところで軍曹の持ってきた話は何だったのだ?」

 アイシャーが尋ねた。

「これだけ派手にあれやこれや起こりましたので、村長むらおさがアイシャー様とお話したいと申しているそうです」

「では、ここの始末はエディたちにまかせ、宿へ戻るとしよう」

 エディは黙って頭を垂れた。


「ライト様」

 おずおずと声を掛けてきたのはビゴデ軍曹だった。

「あのヴェルデという男に聞きました。私の馬を捕まえて下さったのはライト様だそうで」

 突然のことにどう返事をして良いのか私は戸惑った。

「いや、あのな……逃げた馬を捕まえたのはあの男なのだ。私はただ持ち主に返すように言っただけだ」

「ライト様が私のことを気にかけて下さったと聞いて……光栄です」

 どうしたのだ? この軍曹は? 髭面がなければ頬を赤らめているのが丸分かりになりそうな風情ではないか! まるで若い娘っこが、どこかの英雄に話しかけようとしてドギマギしているみたいだ。そう言えば、この前も少し様子がおかしかった。

「さすがライト様です、獅子三頭を一人で仕留めた同じ日のうちに、あの幽鬼ラクシャを倒された。そして今夜もまた……」


「ビゴデ軍曹!」

 アイシャーがそこで声を掛けた。軍曹はビクッとして背筋を伸ばした。

「その話は、ひ・み・つ、なのじゃ! 今はな。そのうち機会があらばライトに聞いてみるが良い。お前に教えてよい事なら話してくれよう。ただしそのうちに、な。今はだめじゃ」

 最後はささやくほどの声だったが、ビゴデ軍曹はすごい勢いでうなずいた。

「は、はい。分かりました!」

「隊長、この男を連れていけ」

 やれやれサトゥース、お前の部下はどうなっているんだ?


「ほほう、獅子三頭に幽鬼ラクシャを同じ日のうちにね。マカコを倒したのはライト殿ですか。そして夜になってモル様とロボを……いや、確かに手強いですな」

 ソンブラが私を上から下まで見直した。まるで先ほどの値踏みをやり直しているかのようだ。

「だからそう言ったではないか。魔導は嘘を言わないものじゃ」

 なるほど『嘘』は言わないのか『嘘』は……。しゅを掛けるというのは、こんなふうにやるのか。

「ロボ・アズルとマカコ・グラン。この名を記憶しておいてもらえるか? ライト殿」

「わかった」

 多分、幽鬼ラクシャの中での名誉か何かの問題なんだろう。幽鬼ラクシャ雑魚ざこあつかいしてはいけない、とか……。忘れたらまずいのだろうな。


 宿に戻ったアイシャーは村長を部屋に呼んだ。サトゥースも一緒だ。


「この度の騒ぎは、妾の政敵が引き起こしたものじゃ。妾の意図したことではないが、妾の国の事情でお前たちに迷惑をかけてしまったことは、詫びねばならぬ」

 頭はちっとも下げていないが、アイシャーがそう言うと村長は恐縮してみせた。

「謝罪の印として、これを受け取ってほしい」

 ジェニが用意していた小袋を開いて、中身をテーブルの上に空けた。四角い銀貨がこぼれ出し、小さな山になった。

「これは……」

「交易銀で百(テール)ある」

 村長が戸惑うのも無理はない。この銀であの納屋が十棟以上建つに違いない。

「もし余剰あまりが出たら、村の者に分けてやってほしい。今回のことの迷惑料じゃ」

 さらにサトゥースが釘を刺した。

「わかっているだろうが、今回のことで妙な噂が立つのは面白くない。俺の隊の沽券こけんに関わる。小火ぼやが出たぐらいで詮索せんさくされるのはつまらないからな」

 要するに、村の奴らに小銭を握らせ、口を閉ざすよう言い聞かせろということだ。

「あの商人たちは喋らん。商売を続けたいだろうからな。部下たちはもちろん喋らん。あとは……」

「はい、村の者には余計なことは口にするなと念を押しておきます」

 焼けた納屋は立て直せばいい。あとは、村民が一斉に眠りこけたことを忘れれば、すべて無かったことになる。


 窓の外が明るくなってきた。もう朝だ。また次の朝と昼と晩が巡ってくる。今日は寝不足に悩まされそうだ。


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