4.朝と昼と晩と ◆4の5◆
「いったいどんなごまかしをしたのだ!」
ヴェルデが口を開く前にジェニが決めつけた。
「え、え、えっ? 言われたとおり馬を返して謝ってきたけど……」
「本当に元の持ち主に馬を返したのか?」と私。
「ああ、ビゴテさんていう大男の軍曹だ。逃げ出した馬を捕まえたライトさんに言われて、俺が届けに来たって言ったら、お礼を伝えてくれと感謝されたよ」
「やっぱり正直に謝ったわけではないのだな」
思った通りだと言わんばかりにジェニが言った。
「だってあまり正直過ぎると、俺、縛り首になってしまうし……」
「それにしてもおかしい。お前と別れてから、一刻余りしかたっていない。本隊まで往復するだけで、二刻以上はかかるはずだ。まさか途中で馬をうっちゃらかして来たんじゃあるまいな」
私が問い詰めると、ヴェルデが真面目な顔になり答えた。
「ビゴテさんに聞いてくれればいいよ。髭の軍曹だ。馬はちゃんと返して来た」
「ビゴテというのは昨晩サトゥース隊長が連れてきた男のはずです」とジェニ。
「だが、戻ってくるのがあまりに早すぎる。よほど速い馬に乗ってきたというなら可能だろうが、お前が馬を乗りこなせないのはわかっているしな!」
ジェニが本隊のやって来る方向を見ながら言う。
「近くまで誰かの馬に乗せてもらってきたのでは?」
だが、それらしい姿はみあたらなかった。
「いやいやいや、走って来たんだって、自分の足で」
「信じられん」
「これが俺の隠し技なんだ。ジェニさんだったら知っているはずだけど、乱破者は色々な特技を持っているのさ。でもそれをやたらと公言したりはしない。俺の技には七里靴って立派な名前があるけど、知ってるのはお頭だけだ」
「それを私たちに教えていいのですか?」
「ああ、ライトさんにだけは教えるよ。俺はね、七里を半刻で一気に走り切ることができるのさ。途中休みなしでだ。馬を返して帰ってくるなんて、余裕だったね」
言葉通りとしたら驚くべきことだ! 一里は三千歩で、人や馬が半刻の間に歩く距離である。ヴェルデはその七倍の速さで半刻の間走り続けることができるということになる。馬も人も、そんなに速くそんなにも長く走り続けることはできない。まさに超人と言ってよい。七里靴なんてお伽話に出てくるような名前がついてもおかしくはない。
だがヴェルデ、今私にだけ教えるとか言わなかったか? ジェニも聞いていると思うんだが……。
「まあ、それが本当なら」
「本当だぜ!」
「たいしたもんだが……」
「だからな、俺は役に立つって言ったろう」
「何の役に立つんだろうな?」
「何でしょうね?」
「いや馬より速いから」
「じゃ、なんで馬を盗んだりしたんです?」
「そ、それは返したろ」
「うーん。答えになってない気がします」
「なってないな」
ジェニと二人でヴェルデをからかうのが楽しくなってしまい、なんとなくそのまま宿場まで同行させてしまった。ジェニも、一緒に来るなとは言わなかった。ヴェルデは徒歩だったが、馬に乗っている私たちと並んで走っても疲れた様子を見せなかった。
宿場のある集落はリオと呼ばれていたが、それは『川』という意味だ。文字通り川の傍にあるこの村には、二百人近くの人間が定住しており、羊飼いたちのように移動しながらも近隣で暮らす人々がいるため、一軒だけだが商店まであった。宿場であるからには宿屋の働きをする大きな建物があり、そこの主人が村長も兼ねていた。
まだ陽が高いせいか宿屋の入口の扉は開け放たれており、布製の日除けが差し掛けられていた。中に入ると食事が出来る広い部屋にテーブルと椅子が並び、奥には調理場へつながるカウンターが設えられていた。
頭が禿げ上がった男が奥のテーブルに腰掛けていて、そこから鋭い値踏みの目線を送ってきた。
数年前と変わらなければ、これがこの宿の主人のはずだ。
「この前ここに来たのはずいぶん前だが、覚えているかな?」
「ああ、確かライト様で」
「うん、さすがだな。ところで、一週間ほど前に王都から来てここに泊まったサトゥース隊長の一行があと二刻ほどで到着する。キタイの王女と随員も一緒だ。その後に小商いの商人たちもついてくる。全部で百五六十人はいるだろう。一昨夜と昨日、二泊も野宿だったから、兵士たちはまともで温かい食い物を期待しているだろう。用意できるか?」
「獅子の群れが野営地を襲ったそうで、到着が遅いので心配しておりました。すぐ竈に火を入れ、到着までには熱いものを準備いたしましょう。ただ、前もお泊りで隊長様も知っておられますが、兵士の方々全員分のベッドは用意できません。夜はこの食堂の床で雑魚寝、あと納屋の中には干し草が積んでありますから、ご利用できます。ただし、屋根の下でお休みの方の分はそれぞれ代金をいただきます。兵隊さん方の食事は、大鍋ひとついくら、パンひと籠いくらで計算させていただきます。ただ、問題は……」
「ああ、キタイの王女様と随員方だな」
私がそこで目配せするとジェニが進み出た。
「姫様には湯浴みの準備を。ここには浴室がありますか?」
「残念ながらそんな立派なものはございません。径が三尺で深さが二尺の大桶ならご用意できます。それをお部屋に入れて、大鍋で沸かした湯をお運びしますが、いかがです?」
「その大桶は清潔ですか?」
「新品ではありませんが、よく洗って乾かしてあります。ご覧になりますか?」
「では後で見せてもらいましょう」
延々続く打ち合わせを、口をぽかんと開けて聞いているヴェルデの耳をつかんで、そこから引っ張り出した。
「今のうちに今晩の寝床を確保しておけ。お前たちの頭には小部屋を一つ用意させる。それ以外の乱破者はお前も含めて、自分で何とかしてもらう。だが、欲張りすぎて兵たちの反感を買うようなことはするなよ」
「わかってるよライトの旦那。俺たち乱破者は裏街道が仕事場だ。表の連中と喧嘩をして目立つようなことはしないって。それにしても怪我人のお頭に気を使ってくれるなんて、旦那はやっぱりいい人だ!」
一刻半もして本隊が到着すると、宿場はとたんににぎやかになった。
馬から馬具が外され、馬溜りに割り当てられた石囲いに牽いて行かれ、飼葉が与えられた。
馬の世話を終えた兵士たちには、宿の前の広場に据えられた大鍋から温かいスープが配られた。湯気の上がる器とパンを手にした兵士たちがあたりをうろうろしていた。
ほどなく陽が落ちた。夜の帳が空を覆うと空に星がきらめき始めた。晴れた夜空は空気を冷え込ませる、屋根の下で寝られるのは幸いだった。
宿の一階の広間で食事をしているのはサトゥースとその取り巻き、兵のうち主だった者だけである。村の者たちは遠慮をしてか、厄介事を避けるためか、あまり姿を現さなかった。
アイシャーは到着してすぐ、一番良い部屋に入ったきりだ。召使たちも下には降りてこない。怪我人のラムバニは厚板にのせられて運び込まれた後、勿論部屋から出てこない。アルトというあののっぽの男が付きっきりで世話をしているようだ。
私も自分の馬の様子を確かめてから、一階で食事をした。ジェニはアイシャーの部屋だ。
外の様子をうかがうと、大鍋は片付けられ、腹を満たした兵士たちは、思い思いに寝床を求めて散って行ったようだった。
明日以降の打ち合わせのため、サトゥースと私がアイシャーの部屋に呼ばれた。
次の宿場まで二十里ほどあり、どう考えてももう一度野営する必要があった。その後は八里から十里ごとに街道沿いの宿場がある。モルが襲ってくるとすれば、次の野営地が危ない、という結論になった。
「暗くなる前に張り直した妾の結界に誰かが触れた様子は、今のところ無いぞ」
「見張りの兵からも、警戒線を越えた者の報告は無い」
「本隊到着の後、ハサスと乱破者がこの村を二重の配置で守っています。侵入者があれば直ちに知らせがあります」
アイシャー、サトゥース、ジェニが、お互いに安全を守る体制を確認した。三人が私の顔を見たが、私には何も報告することが無かった。
「では明日は、夜が明けたら食事をとり、陽が高くなる前に出立しましょう」
ジェニが締めくくった。
部屋に戻ると私は自分の銃を取り出し、廊下に出た。ジェニが扉の前に立っていた。
「どうも嫌な予感がする。村の中をひと巡りしてこようと思う」
「では、私もお供します」
階段を降りたところにエディが立っていて、ジェニに投槍を手渡した。いったいこの男は、いつもどこに隠れているのだろう? しかもジェニの武器を常に持ち歩いているようだ。
私が考えてたことを察したのか、ジェニが説明してくれた。
「ハサスの戦闘は三人単位ですが、それで孤立しているわけでなく、それぞれがまた他の三人につながっています。エディは他の三人がそれぞれ預かっている私の武器のうち、その場に応じて必要なものを受け渡してくれるのです」
「そんな面倒なことをする必要があるのか?」
「エディの長所が『力』であるように、私の長所は『速さ』です。私がいくつもの武器を常に運んでいては、十分に力を発揮できません」
「そう割り切って考えられるものなのか?」
「基本的にはハサスは一人では戦いません。一人の強さを追い求めたりしません。そこが乱破と大きく違うところです」
「だが、否応なく一人で戦わざるを得ないこともあるだろうに?」
「ええ、でも、できる限り一人では戦わないのです」
宿の外に出た。静かだった。
「静かすぎる!」
サトゥースの兵がどれだけ規律正しかったとしても、物音ひとつ立てないなどということがあり得るだろうか。村の者すべてが声ひとつ上げずに眠ってしまうにはまだ早すぎた。宿の者だって、明朝の食事の下ごしらえをしていてもおかしくない。村の所々にぽつんぽつんと灯りが点っているが、何の動きもない。虫の声だけが聞こえてきた。
ジェニが宿の中に戻り、階段を駆け上がった。
アイシャーが扉を開け、部屋から姿を現した。
「姫様!」
「ジェニ、お前は大丈夫ですか? 部屋にいた者が、次々と深い眠りに陥っています」
「一服盛られたのですか?」
「結界を越えてこれだけの人間を眠らせるなど、いくらモルでも無理だと思います。結界に細工しようとすれば、妾に感じられぬはずがありません」
アイシャーは困惑していた。
「村の外にいるハサスを呼び戻します」
アイシャーはまだためらっていた。
「状況がはっきりしないのに混乱を招くだけだろう。食べ物に入れられたのは毒なのか?」
アイシャーが私を見つめた。
「お前も同じものを食べたはずですね! いいえ、毒ではありません。ただ眠っているだけです。まるで八年前、モルが妾のところへ通って来たとき用いたモルフェスとイケロスの魔夢に囚えられているように。これはやはりモルの使う夢魔の仕業じゃ」
アイシャーは自信を失っていた。
「ああ、八年前とは違って妾は強くなっているはずなのに、モルの魔力を防ぐことができないというのか?」
「姫様!」
ジェニがアイシャーを支えるように抱きしめた。そこには日頃の高慢なアイシャーではなく、八年前、夜毎の訪問に怯えていたに違いない幼い子どもがいた。
その姿を見て私の中から、何とかしてこの女を支えてやりたい、救ってやりたいという感情が湧き上がってきた。
「悪い癖だな……」小声でつぶやいた。
「ライト様?」
「いや、何でもない」
確かめるように私を見つめるジェニの視線を振り払った。
何か考えなければならないことがあった、あったはずだ。
「あの幽鬼はどうしてあの時を選んで襲撃を仕掛けてきたんだ? モルにとって不利な朝に!」
「どういう意味です?」アイシャーが問い返す。
「あの時、幽鬼の相手は私たちが、そして他の襲撃者たちの相手はハサスがしていた」
「まさか……」ジェニの顔が青ざめた。
「あの時隙をついて私たちの間をすり抜け、モルを運んで先回りすることが可能だっただろうか?」
「それは、まやかしの術を使える者がいれば……まやかしの術自体は、子どもにも掛けられる初歩の法術じゃ」
「アイシャー様がそれに気付かれぬことがありえると……?」
「ああ、術自体が妾たちに敵対し攻撃するようなものでなければ……見逃したかもしれぬ」
「では……」ジェニの顔は相変わらず青い。
「モルはアイシャー様の結界の内側にいる」
「待ち伏せられたのですね」とジェニ。
「ああ、モルはこの近くのどこかにいる」
「でもどこに?」
モル様、近くまで来ていますがまだ現れません。だますつもりはありませんでした。前回の予告は、本気でした。でも、どうしても登場してくれません。次こそは何としてでも……と思います。えっ? ヴェルデみたいな奴だって! うーん、否定できない。ヴェルデも作者の一部なので……。
2013.10.09. 誤字訂正「本体」→「本隊」
2014.04.16. 入れ忘れた改行を挿入しました。ご指摘感謝いたします。




