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3.目覚めよと呼びかける声   ◆3の11◆

「アイシャー様は先ほど私に、知りたいことがあれば言えと仰せになりました」

 私は己の国から逃れ他国の後宮に身を寄せようというこの姫君に、どうしても問いたださねばならないことがあった。


「まだ聞きたいことがあるのだな。よかろう、明け方までしばらくある」

 さもありなんという顔でアイシャーが受けた。


「帝国の魔導院などというものについて、今まで何も知らなかった私でさえ不審に思うことがあります。魔導院の長老と四人の道士についてジェニが話してくれたことが本当なら、このモルという者は本来キタイの帝都から他国にまでやって来るはずがありません。帝国は手練てだれの暗殺者をいくらでも抱えているはずです。何故モルは、大きな危険を冒してまでアイシャー様を追ってくるのか? さらに、アイシャー様だけでなくジェニまでもが、モルという者についてこれほど知っているのは、……ジェニはハサスの王女と云われましたが……、どのような関わりを持っているからなのか、教えていただけますか?」


 アイシャーは私の左の手首を取り…そのことは、この期に及びながら私をゾクゾクさせた…天幕の中に引き入れた。


「確かに、このモルというは妾の見知りの者だ。よく知っていると言わねばならぬ。魔導院の長老と他の三人の道士を除けば、妾ほどモルのことを知る者はおらぬだろう」


「知り合い……なのですか?」


「知り合い…」アイシャーのその時の微笑わらいはゾッとさせられる凄味があった。

「左様、ひと月の間、毎晩……、妾の寝所に通って来たのだからな、八年前のことだが」


「八年前、ですか」


「そうだ、妾はまだ十歳になっていなかった」


 偽りでなければ、アイシャーは今十七・八ということか……。


 考え込んでいると、アイシャーが私の沈黙を遮って言った。

「ああ、お前の考えているのとは少し状況が違う。よこしまなことであったのは違いないが……モルの訪問おとないが夜であったのは、陽の光にあ奴が耐えられないからに過ぎぬ。そしてはるばる帝都からカラ・キタイまで旅して来た奴の目的は、妾の血筋に流れる魔道の才じゃった。この、瞳の噂を伝え聞き、確かめに参ったのだ」


 銀色の瞳が私の瞳を覗き込んでいた。その色は時々蛋白石オパールのように光片を浮かべて変化した。黒蓮の血筋の瞳、と言っていたな。


「妾は母からこの瞳を受け継いだ。母上も魔道の才を持っておったがそれを隠し、父と結ばれた」


「隠していたというのは?」


「ああ、まともな男なら魔道の女との間に子をしたいなどと思うものか! その上、魔導院の手が伸びてくる恐れがある」


「何故です?」


「長老の他に道士が四人しかおらぬのは何故なにゆえだと思う? この道は才なき者には開かれておらぬのじゃ。そして道士になりうる才を持って生まれる者はまことに僅かじゃ。女がこの才を持って生まれた場合、その女が子を生せば魔道の才はそこから失われ、代わりにその子が才を受け継ぐ。さらに、子を産んだ女は生気を失い、間もなく鬼籍に入ることになる。実際妾の母も、妾を生んでひと月もしないうちに息をひきとった」


 よく考えれば何とも壮絶なことだ。アイシャーの母親は何を思って連れ添う相手を求めたのだろう? 相手の男か? 子をすことか? あるいは……。


「妾は母の顔を知らぬ。人柄も僅かに聞き及ぶだけで、想像することしかできぬ。母に仕えた者たちの話はあてにならぬ。なにしろ母は、夫である父さえもまやかしの術で欺いていたのだからな。男をたぶらかすのは女のさがと言えばそれまでじゃが……。妾は七歳の時、父の眼にそのしゅがかけられているのに気付いた。あれやこれやしてそのしゅを解いた後、父の記憶の中には母の面影と言えるものが何も残っていなかった。すべてまやかしであったということじゃろう……妾がしゅを解いたせいであろうか、それまで影の薄かった父は妾の傍から離れ人前に出るようになった。そして、次のカラ・キタイの玉座は父のものとまで言われるようになった」


 天幕の中には小さなランプが一つ灯されているだけだった。油壺と枠にはまったガラスで囲まれた火屋ほやの下部に水を満たした小さな受け皿があり、そこに香油をたらすと炎の熱でその匂いが天幕の中を満たすのだった。今、かすかに薔薇ばら夾竹桃きょうちくとうの香りがした。


 私がランプの側により、その香りを確かめるとアイシャーは、

「ああ、サトゥースにしゅをかけるのに使ったこうじゃ。あ奴の見た夢の糸口はその香りだったのじゃ」と言った。


「夢、ですか」


「人は常に夢を見ている存在じゃ。目覚めよと声がかけられた時、気にかけるべきは、目覚めた先がどんな夢の中なのか、ということじゃ」

 アイシャーの銀色の瞳がランプの光にあたり、金色がかったきらめきを放った。


「モルが妾に執着するのは、妾と妾の血筋に流れる魔道の才がゆえじゃ。あ奴は新月から次の新月まで、毎晩妾の寝所へ通って来た。その時モルが語ったことをきっかけとして、妾は魔道と魔導院について多くを学んだ。奴は妾の才を喜び、次々と新しいことを試させたがった。モルに仕える最も才ある者が百年かかってやっと達するところまで、妾は七日間で駆け上ったと、妾をめおった。最初奴は、妾を長老に仕える五人目の道士、まことの道士の候補として考えているようだった。だがそのうちあ奴は、とんでもない実験を思いついたのじゃ」


 ここでアイシャーは敷き重ねられた絨毯の上に腰を下ろし、クッションに寄りかかった。

 エディが運んで来た銀の茶道具を使ってジェニがチャイを入れた。カップだけは白い無地の磁器だった。ジェニはアイシャーの側の低い卓の上に2つのカップを置いた。


「腰をおろして茶を飲むがよい」


 アイシャーに促がされ、私は絨毯じゅうたんに座った。そして尋ねた。

「実験というのは?」


「魔道の才は女からはその子に引き継がれる。だが魔道の才を持つ男が子をしても、才が子に伝わったという例が無いのじゃ。だが、これは両親の片方だけが才の持ち主である場合の例でしかない」


「つまり」

 私は溜息をつく思いで先をうながした。


「こともあろうにモルは、あ奴が妾との間に子をしたらどんな子が生まれるのかということに、興味を持ったのじゃ」


私はゆっくりと息を吐き、カップを取り上げて茶を飲んだ。

「それでどうなったのですか?」


「幸い、妾は子をすには幼すぎた。あ奴は妾を帝都に連れ帰ろうとは考えなかった。長老や他の道士たちに眼を付けられ、妾を取り上げられる可能性があったからじゃろう。そもそも、女が魔道の才を持つこと自体がほとんどあり得ないことと言うておった。

というわけで、あ奴は妾をカラ・キタイに置いて帝都に戻り、妾が成長して子をせるようになるまで待つことにしたのだと思う」


「何と言うか、壮大な恋物語ですな……」


戯言ざれごとを言うでない! 子をすということは、妾にとっては命を失うということなのじゃぞ。それに相手がモルだなどと……」


「好ましい相手ではないと?」


「確かに妾は、あ奴の知識と魔導の技には感銘を受けた。それまで視えなかった世界がモルによって大きく開かれたことも認めよう。だがあの男は立ち歩く木乃伊みいらのような存在だ。没薬もつやくの臭いを振り撒く墓の主を、好ましい殿御とのごと思える女がいるものか!」


 アイシャーとて年若い女であるということか……。


「ふむ、これまで姫様に対してむこうの打つ手が、やけに『ぬるい』と思って来たのですが、要するに相手は姫様を『殺す』気が無いというわけですね」


「手捕りにすることができれば、そうしたいと思っているかもしれぬ。だが、それを当てにするのは禁物きんもつじゃ」


 天幕の外の空が、そろそろ明らんで来ていた。



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