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3・目覚めよと呼びかける声   ◆3の9◆

 陽はすっかり落ち、冷たい風が宿営地を吹き抜けて行った。十六夜いざよいの月がのろのろと彼方の山の端から昇り始めていた。

 三本のばんを先頭にした乱破の隊列が、しょう軍鼓ぐんこを鳴らし、か細い喇叭らっぱの音を流しながら、ゆっくりと野営地の周囲を巡っていく。その音色に追い込まれるように、サトゥース配下の兵たちが中央の空き地に集まって来た。

 何が行われるか知らない彼らは、怖れと期待に揺れる面持ちで、天幕の前に造られた壇の前に向かった。三角形の空き地の中にあった物がそこから除けられ、その三辺の外側に沿って配置されていたため、自然と兵たちも奇妙な三角形の形に整列することになった。

 いつの間にか篝火かがりびに火が入れられていた。火の勢いがだんだん強くなると、あたりは炎の色に染められた。


 突然サトゥースが二人の軍曹を引きつれて天幕の後ろから現れた。軍曹たちが捧げ持っているのは、立派なたてがみを持つ雄獅子の獅子頭だった。彼らがそれを壇の前の細長い卓の中央に据えると、サトゥースが壇に跳び上がった。兵たちから奇声が上がった。中にはサトゥースの名を呼ばわる者もいた。


 サトゥースは右の拳を高く掲げて兵たちに叫んだ。

龍騎兵ドラクーン! 龍騎兵ドラクーン! 龍騎兵ドラクーン! 」


 その呼びかけに応えて兵たちから歓声が上がった。


「聞け!」

 その一言で全員が静まり返った。

「我らはこの朝、七頭の獅子をほふった」

 再び歓声が上がった「そうだ」「やったぞー」「俺たち龍騎兵は獅子殺しだぁ」


「我らは獅子の咆哮ほうこうにもひるむことがなかった」


「戦友がかたわらで獅子の一撃に倒れてもおくすることもなく立ち向かった」


「獅子の顎門あぎとが眼前に迫っても己の武器をその胸に突き付けた」


 おぉっ、兵たちから感動の声が上がる。己の偉業をサトゥースに突き付けられ、揺さぶられた魂の呻き声だった。自分が矮小わいしょうな存在だとばかり信じ込んでいた男が、実は英雄だったと気付かされた時の、驚きの声だった。


「そして我らは、七頭の獅子を倒したのだ」ささやくように付け加えたサトゥースの声を、聞き逃す者はいなかった。


 おぉ……、と声が上がる。


「だが、戦いから逃げ出さず立ち向かう者には尊い犠牲がある。ここに今姿を見せない者がいる。ガリエル。戦友をかばい雄獅子に立ち向かって一撃を受けた」


 声の無い吐息。


「だがガリエルはその時己の持つ槍の穂先を、雄獅子の胸深く打ち込んだ」

 兵たちの視線が上がり、期待する言葉を求めてサトゥースを追った。

「最後の瞬間まで戦いを捨てず、雄獅子にとどめを刺したのだ」


 あぁ……、兵士たちの腹の底から漏れる声。


 サトゥースは続ける。

「今我らの目にガリエルの姿は見えない。だが我らと一緒にここにいるのだ。我ら龍騎兵ドラクーンの中に」

 ガリエルの名を呼ぶ者がいた。涙の顔を見合わせうなずく者もいた。


龍騎兵ドラクーン! 龍騎兵ドラクーン! 龍騎兵ドラクーンよ! 我らは龍騎兵ドラクーンだ。共に戦った者を忘れはしない」

「忘れはしない!」兵たちが一斉に叫んだ。


「我らが戦った相手は何者だ? 弱き敵か? 卑怯な敵か? 否! 否! そうではない! 我らが戦ったのは獅子だ! しかも陽の光の元、堂々と戦いを挑んできた誇り高き獣だ! 獣といえどあなどるべき相手ではない! もしたった一頭の獅子であったとしても、恐れず立ち向かえる者がどれだけいるだろう? だが我らは背中を見せずに立ち向かった。しかも一頭ではなく七頭もの獅子たちにだ! 龍騎兵ドラクーン! 龍騎兵ドラクーン! 我らは誇りある龍騎兵ドラクーンだ! 強き敵、誇りある敵を認めるのは我らの勲功いさおしにふさわしい!」


 サトゥースは細長い卓の上に飾られた雄獅子の頭を指し示した。


「この獅子頭を我らの旗印としよう。我ら龍騎兵ドラクーンの中の龍騎兵ドラクーン、我らの百人隊ケンチュリオの旗印に」


 おぉー! おぉー! おぉー! と賛同の雄たけびが上がった。


「それだけではない。我らは獅子の勇猛さを我がものにしよう。見よ!」


 サトゥースがそう言うと、アイシャーの料理人と御者が二本の棒で吊るした大鍋を肩に担いで運んで来た。別の者が卓の前にがっしりした五徳を据えると、大鍋はその上に下ろされた。

 サトゥースは先が二股になった料理用の長い刺し棒を受け取ると、湯気を上げている大鍋の中に突き入れた。その鉄の棒をゆっくりと持ち上げ、高く掲げると、その先には何か灰色で湯気を上げるかたまりが突き刺さっていた。


「お前たちの殺した獅子の心臓だ! 我らはこれを喰らって獅子の猛々しさを我が物としよう!」


 サトゥースは大鍋の中から同じようなかたまりを次々と刺し棒で取り出し、細長い卓の上に並べた。料理人が巨大な包丁でそれを切り刻み大鍋に戻した。その間に大鍋の下に燃える薪が差し入れられ、鍋の中には二つのかめから赫い液体が注ぎ込まれた。


「さあ、喰らうのだ! 獅子の心(ライオンハート)は我らのものだ! 我らは何ものをも恐れない! 死そのものさえも!」


 器が配られ、兵士たちは喜々として大鍋の前に並んだ。躊躇ためらうことなく注がれたものを口にした。彼らの目は爛爛らんらんと輝いた。今や彼らは、サトゥースの命があれば地獄にさえ飛び込んでいくだろう、一片の疑いも抱かずに。

 器を空にした兵たちは壇の上のサトゥースを仰ぎ見た。その時、アイシャーが現れ、壇に上がってサトゥースの側に立ち、話し始めた。

「聞きなさい。敵がやって来ます。強力な敵、お前たち龍騎兵ドラクーンの中の龍騎兵ドラクーンにふさわしい敵です」

 戦うべき強者の存在を告げられた兵士たちの眼は期待に輝いた。


「この敵はただ強いだけではありません。戦う相手の心に恐怖を呼び起こし、武器を持つ手をえさせ、足をすくませるという、卑怯なを使います。しかしお前たち龍騎兵ドラクーン獅子心ライオンハートを持っています。そのような方術などで怯えることはあり得ません。……けれど、秘するのです。お前たちが獅子の心を持っていることを隠すのです。卑怯なこの相手には狡猾になる必要があります。獅子が獲物を襲う直前までその素振りを見せないと同じように、お前たちも敵を攻撃するその時まで、まるでただの兵士でありか弱い人間であるかのように見せかけるのです」


 兵士たちの顔には動揺などなく、ただ来るべき戦いへの期待があるだけだった。


「妾がお前たちの真の姿を敵から隠すまじないをかけます。その時が来て、サトゥースが命じたら、お前たちは偽りの姿をかなぐり捨て、敵に襲い掛かるのです」


 そしてアイシャーは両掌てのひらを上に向け、自分の口の位置まで動かすと、兵たちに向けて強く息を吹きかけた。すると、篝火が一斉に消え、あたりは月明かりに照らされるだけになった。

 いつの間にか月は高く昇っていた。その色はもう赫くはなく、アイシャーの肌の色のようだった。


 再び乱破たちの鳴らす金鼓と喇叭の音色が、もの悲しく聞こえてきた。



2014.04.16. 『誤って入れた改行』を削除し、行頭に入っていなかった一字下げを挿入いたしました。見つけてくださりありがとうございます。

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