15.不死者の貌 ◆15の15◆
「お互いに屈伏するわけにはいかない二頭の巨獣が縄張りを争って激突する時、その近辺にいる者たちも巻き添えにされてしまう。この場合二頭の餌場は中央大陸全体だ。いや暗黒大陸や新大陸でさえ無関係ではいられないだろう。キタイとフランツの民だけが犠牲になるわけではないというわけか」
私がそう言うと長老の声が応えた。
「中でも、両者の間に挟まれるトゥラン連合王国は無事ではいられないだろう」
「では、カラ・キタイはどうなのだ?」
「同じだ」
ダズが言った。アイシャーの言葉を代弁したのだろう。
「ジプトも、エラムも、シュバールも巻き込まれる。キタイかフランツ、どちらか一方が滅び、他方が完全な征服者となるまでこの戦いは続くだろう。だが、それで終わりではないのだ」
長老の声には絶望感があった。
「何だと?」
私の問いにシュビッラが口を開く。
「武による世界帝国が成立した後は、その帝国内での覇権をめぐった争いが、あるいは帝国内での民族の独立を求める闘争が起こり、いつまでも続くでしょう」
「では戦いに終わりはないのか?」
「このままでは」
「諸国の民は戦争に怯え、針鼠のように武装し、身を丸めて待つしかないのか?」
「このままでは」
「では、どうすればいいのだ?」
「王よ、あなたが希望です」
「待て、私はそのような者ではないと何度も言った」
私が王であった記憶など無い。
「だがあなたはエンテネウス・ライトだと申された」
「ああ、私はエンテネス・ライトだ」
「その娘はあなたの中に四つの名を見た。それはドゥムジ・タンムズ・エンティネウス・ライトであったはずだ」
私はジェニを振り返る。彼女は首を振り答えた。
「私の見たのは名ではありません。互いに見つめ合う四つの顔です。その名は知りません」
「ドゥムジは遥か昔シュバールに最初の王権が降りてきた時、人間の中から立った王の名だ。タンムズはイナンナの連れ合い死と再生の神の名、エンティネウス・ライトは光とそれに立ち向かう者という意味だ」
「私にはお前たちがどうでもその名を押しつけようとしているように思えるが」
しばしの沈黙。
「そう考えられてもかまわない、王よ」
長老の声がそう言った。
「やはりそうか」
「どういうことです?」
私の声の後にジェニの疑問の声が重なった。
「この魔導師たちは希望の幻を見ているのだ。絶望の余り私の中にそうであったらいいと願う存在を強引に思い描いているに過ぎない」
「ただの幻ではない、シュビッラの見た幻視だ」
長老の声がそう言った。
「説明しろ」
シュビッラが話しだした。
「絶望にかられながらも私は何年もの間、未来の白い地平の彼方を探っていたのです。すると万華鏡のようにきらめき乱れる運命の中から一筋の蜘蛛の糸のような希望が降りてきました。それが新たな世界の王、すべてを治め平和をもたらす再生した最初の王であるあなたなのです。あなたは最初はルズとしてフランツ帝国で生き、転生してライトとなりました。あなたこそ最初の王権をもつドゥムジの再生した姿であるに違いありません。だとすれば、第二の王権しか引き継いでいないキタイ皇帝もあなたの前に身を屈しなければなりません。フランツ皇帝もまた同様です。私の『遠見』の中で、世界に平和が訪れる唯一の道は、あなたの支配の元に両帝国が均衡を保つことしかありませんでした」
私がドゥムジの再来であろうとなかろうと、それしか路はないというのだ。つまりは壮大な偽りでも、それで平和がもたらされるならかまわないということだ。
「私がルズであったころからシュビッラの幻視が私を追跡していたということか?」
「はい」
「では、私がかってルズであり転生してライトになったのは確かなことなのか?」
「はい」
「アイシャーはこのことを知っていたのか?」
私はダズに尋ねた。
「いや、最初は知らなかったと言っている」
ダズが答えた。
「では?」
「そうだ。ジュガダイをクフナ・ウルに置いたのは我らだ」
長老の声が答えた。では少なくとも途中までは、あの賢いアイシャーでさえ操られていたということか。
「ひょっとするとモルの死と転生さえもお前たちの仕組んだことか?」
するとソンブラが、あるいはモルがと言うべきか、答えた。
「いや、あれは緊急避難だったのです。今でさえ、某とモル様の関係は不確定です。このままお互いに融合してしまうのかもしれず、あるいは某が残り、モル様は記憶でしかなくなるのかもしれず……」
「先のことはわからないということか?」
「左様で」
「これからどうされるのですか?」
地下宮から出て、外の庭園の小道を歩きだした私にジェニが尋ねた。
「わからないな。長老たちの目論見に乗って世界の王を演じるのか、それとも戦争が始まるのを横目で見ながら冒険者の暮らしに戻るか、あるいはトゥランに帰ってエンテネス伯爵として国に仕えるか……?」
「どの路を選ぼうと、私はライト様と一緒に参ります」
「そうか」
魔導院の庭には草花が咲き乱れ、手入れの行き届いた花木があちらこちらに配置されていた。私たち二人の後から導師ハシムが間を置いて歩いてくる。考えをまとめたいと言ったら庭に出してくれたが、まだ解放してくれたわけではないようだ。
「封の問題を解決しておいてよかった。でなければ今頃長老たちの思うままにされていたろう」
「あのときアイシャー様に恨み言を言ったのは誰ですか?」
「アイシャーのやり方はいつもああだ」
「泣き言ですか?」
「いや、大変ためになると言っているのだ」
ジェニが声に出して笑ったが、そこにはいつもの厳しさはなかった。
シュビッラの言う通りにしたところで本当に世界が平和になるとは限らない。シュビッラの『遠見』が見通せる未来にも限界があり、その地平の向こうは見通せない。だがシュビッラのような能力がなくとも、いずれキタイとフランツが世界のどこかでぶつかり合うことは目に見えている。その時に向けて私が何をするべきかをどうやって決めたらよいだろうか? 結論の先送りになるかもしれないが、やはりあの賢すぎるアイシャーに相談するべきではなかろうか。それともこれは、私一人で決めるべきことなのだろうか。
小道の側に生えている小さな花を見て、ふと私は笑いをもらした。
「何がおかしいのですか?」
ジェニが尋ねる。
「いや、花占いで決めてもいいのかな、そう思ってな」