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15.不死者の貌          ◆15の11◆

「とんでもない! 私ごときが魔導師メンターであるはずがありません」

 ハシムはあわてたように手を振って否定する。

「ほぉ、謙遜を……では、あなたが私を出迎えて下さったのは何故かな?」

魔導師メンターは自力では動けない、このことはもうご存じと思いました。モル様は例外中の例外といえます。夜だけとはいえ、自分の足で歩き回れたのですから」

「では魔導師メンターにお目にかかることはできないと?」

「いえ、そうではなく、ぜひとも会って頂きたいのです。ただ、こちらから会いに出かけることが不可能だったことはご理解下さい」

「なるほど。そういうことなら、すべてはお会いしてからと考えてよろしいかな?」

「おお、ご理解頂けましたか。ではさっそくと申したいところですがしばしご猶予を。あのお方たちは太陽の光を避けねばなりません。準備をせねば、お目にかかることもできないのです」

 そう言うとハシムはまず長卓の上に置かれた陶製のランプに火を灯した。真っ昼間からどうしたことかといぶかしがっていると、今度は部屋の窓という窓を分厚い緞帳で閉ざしていく。たちまち部屋の中は暗くなり、長卓の上の小さなランプが僅かな光を放っているだけになった。

 たった一つの明かりでは広い部屋の中のごく一部しか照らすことができず、後は闇に閉ざされている。最初はそう思っていたが、その部屋の暗さに目が慣れるに従ってランプの光が段々明るく感じられるようになってきた。すると部屋の隅々がその光で照らし出されているのがわかった。

「人間の目とは不思議なものだな。慣れるとこんな僅かな光でも眩しく感じるとは」

 私がそう言うと、ダズが揶揄するように応えた。

「お前がそんなことを言うとはな、ライト。俺のように世の中の暗闇ばかりを選んで生きてきた男には縁の無い言い草だ」

「そういうお前も今は王の片割れ、王の半身ではないか」

「ふん、間違うな! 王の方の半身は俺のものではないのだぞ」

 どうやらダズは今の境遇をあきらめて受け入れはしても、満足しているわけではないように聞こえた。


「お待たせいたしました、ではこちらに」

 ハシムがそう言って部屋の奥の壁を押すと、その壁が後退し足元に地下への階段が現れた。長卓の上からランプを取り上げ、彼が先に立って階段を下り始めたので私たちもそれに続く。ランプの炎が時々揺れるのは所々に換気口が設けられているからだろう。階段は長く、私たちはかなり深いところまで下っていった。


 暗闇に満たされているのにそこは黴臭くはなく、不思議に乾いていた。丁度砂漠の夜のような空気だが、冷たくはなかった。チョロチョロとどこかで水が流れる音がした。

「ソンブラ、聞き忘れていたが、お前は魔導師メンターたちに会ったことがあるのか?」

それがし、モル様以外の方々にはお目にかかったことはござりません。無論この地下宮も初めてということになりますが……」

「何だ?」

「なぜか初めてという気がしないのでして……」

「それは自分のものではない記憶があるということですか?」

 珍しく遠回しな言い方でジェニが尋ねた。

「モルであった時の記憶が蘇ってきたということか、それとも……?」

それがしそれがしであるかどうか、記憶以外の何で判断すればよいのでしょうか?」

 砂漠の縁のオアシスで目醒める前の記憶を持たない私にも、その問いに答えることはできなかった。今のソンブラは本当はモルなのだろうか、それともモルの記憶を持っていても未だにソンブラなのだろうか?


「よく帰ってきたな、モル。しかも任務をすべて果たしたようだな」

 それは人間の声ではなかった。それどころかどんな動物の声のようでもなかった。私が思ったのは街角の芸人が両手で演奏する手風琴の音である。その音色で人が喋ったら丁度こんな声になるのではないだろうか。どこかで絶え間なくヒューヒューと空気の洩れる音が、微かに聞こえた。

「やはりお前はモルか!」

 ジェニが叫びソンブラの短剣を奪おうとしたが、奴は大きく飛び退いてかわした。

「待て! ジェニ!」

 私が止める前にエディがジェニを抱きとめた。この闇の中では、中の様子を知らないジェニは不利だ。おまけに奴は幽鬼ラクシャでもある。

「その娘に落ち着くように言え」

 またあの声が聞こえた。

「そう言うお前は何者だ?」

「私は、お前たちが魔導院の長老と呼んでいるものだ」


 ハシムがランプの火を使って壁沿いにあるいくつかの灯火に点火していった。すると辺りは、信じられないほど明るくなったように感じられた。実際は、ほんの小さな炎が十余り灯っているだけだったのだが、闇に慣れた目には昼間のように明るく見えたのだ。

 そこに現れたのは硝子の巨大な水槽であり、その中の液体に浮かぶ異様に太った人影だった。

「お前が長老なのか?」

「そうだ、世界の王よ」

「それは剣の名前だ」

「いいや王よ、あなたのことだ」

「いつ私が王になったと言うのだ?」

「泰山に第二の帝権が降りて来るはるか昔、ウルとウルクが一つの都市だった頃、あなたは天より降りて来られた」

「泰山で最初の封禅ほうぜんが行なわれたのは四千年以上前のことだろう」

「あなたがシュバールに降り立ったのはそれよりずっと前のことだ」

「第一の王権は失われたと聞いたが」

「誰からそれを聞かれたのか、王よ」

「誰だったろう?」

「思い出してみなされ。誰がそれをあなたに告げたのか?」

「誰であったろうか?」

「それは女ではなかったか?」

「うむ、そう言われればそんな気がする」

「その女の名は何と言う?」

「はて、何といったろうか……?」

「その名はもしやアイシャーではなかったか? あるいはジェニと?」

「うぅむ、それは……」


「ライト様! ライト様! エンテネス・ライト! 目醒めるのです! ライト様!」

 私の肩をつかみ揺すぶるジェニの声に、私はハッと気付いた。ここはまだ地下宮、地の底であった。

「ジェニ、私はどうしたのだ?」

「あの手風琴のような音を聞いているうち、あなたはふいに何かと話しているように呟き始め、水槽に向かって歩き出したのです。様子がおかしいのでお止めしました」

「それではジェニにはあの言葉が聞こえなかったのか? 第一の王権が失われたと私に告げた女の名を尋ねるあの声が、聞こえなかったのか?」

「私には言葉など聞こえませんでした。ただ不思議な調べとしか……」

 私は硝子の向こうの液体に浮かんでいる人影に向かって叫んだ。

「これはどういうわけだ、長老よ! 私を幻覚で惑わそうというのか?」

 すると再び声が聞こえた。その声は水槽の上に吊るされた大きな箱の方から出てくるのがわかった。箱からは太さや長さの違う何本もの管が突き出しており、声はそれぞれの管から別々の音色で聞こえてくるのだった。

「あなた以外の者に龍語ラゴンは聞き取れぬというだけの話だ、王よ」

龍語ラゴンだと?」

「そうだ、王よ」

「私はそんなものではないと言ったはずだ」

「では龍語ラゴンを聞き取り、その剣を帯びるあなたは誰なのだ?」

「私はライト、エンテネス・ライトだ」

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