15.不死者の貌 ◆15の10◆
「とまれ!」
弁髪の男の隣で近衛の制服を着た兵士が手を上げる。私たちは顔を見合わせて立ち止まった。手を上げて私たちを制止した下士官らしき男が弁髪に向かって尋ねる。
「ゴンゾ、本当にこの者たちがお前の言う間諜なのか?」
「へい、曹長様。間違いございやせん。こいつらは怪しい奴らでして。こいつらの宿の近くで仲間が気絶させられまして、こいつらの仕業に間違いございません」
「何だと! 殺されたのではないのか? いや、とにかくこの者たちの仕業に間違いないのだろうな」
「はい、その、やられた仲間がまだ正気に戻りませんので、その辺は何とも……」
ゴンゾと呼ばれた男は最後はしどろもどろになって口を濁した。
「止まれと言われたので止まったのだが、そもそも貴官はどなたで私たちに何のご用があるのですかな?」
ころあいを見て尋ねると下士官はこちらに向き直り、それからジロジロと無遠慮に私たちを眺めまわした。それからおもむろに口を開く。
「自分は近衛第二連隊のアルフォンソ・ルバァ曹長である。この男から不審な五人組が大内裏の城壁の中に侵入したという通報を受け、捜索に当たっている」
「確かに私たちは五人いるが、不審なというのはどういう意味なのですかな? 言いがかりをつけているとしか聞こえないのだが」
私にそう言われても曹長は納得した様子がない。確かに私たちはかなり毛色の変わった五人組に見えるだろう。一番目立つのはダズとエディだ。二人とも黒人のように見えるがエディの肌はどちらかというと褐色なのに対して、ダズのそれは漆黒である。骨相もかなり違っていて、特にダズは七尺近い上背がある。優男といった風情のソンブラは商家の若旦那のような身なりでありながら腰に短剣を帯びていた。その側にいるジェニは男装しているがどう見ても妙齢の美女だ。最後に私はというと中肉中背のぱっとしない男で、背中に長剣を背負っていた。
「だいたい禁裏のあるこの内壁に入るのにその二人は武装しているとは何だ! ここはそのようなものを持って入れる場所ではないぞ!」
「そう言われても、門のところで事情を話したらこのまま入っていいと言われたのだ」
私がそう返事をすると曹長の顔が赤黒くなった。どうやら頭に血が登ったらしい。
「う、嘘を言うな、嘘を。一般人がそのような代物を持ち込もうとしたら、衛兵が取り上げるはずだ。それを持ち込むとは……まさかお前たち、城壁を越えて侵入したのではなかろうな?」
「私たちが門から入ったのは、そのゴンゾとかいう男が確かめているはずだが」
「本当か、ゴンゾ?」
「へ、へい。確かに門のところで何やら話した後入っていきました」
「いったいどういう訳だ? 門の衛兵が武器を持たせたまま内壁へ入れるとは?」
「それは私たちが魔導院の客人だからだろう」
「魔導院だと!」
「そうだ」
曹長の口があんぐり開いた。その後ろに控える兵士たちの間にも怯えの混じった驚きが広がった。置き去りにされているのはゴンゾというあの弁髪の男ばかりだった。
気を取り直した曹長が背筋を延ばし声を絞り出したのはさすがである。
「んー、あー、そういうことならば仕方なかろう。だが本官の立場としては、皆様と同道して魔道院の前までお送りしたいのだが、認めていただけるだろうか?」
「おお、勿論、案内して頂けるのなら、ありがたい」
本当はソンブラがいるから案内など必要ないのだが、これ以上面倒なことを避けるために私はそう答えた。幸いなことに、ソンブラも黙って頷いている。
曹長はホッとした顔になり、部下を私たちの前後に配置した。というわけで私たちは、近衛一個小隊の護衛付きで魔導院の門の前まで練り歩くことになったのである。
『魔導院』などと恐ろしげな呼び名が付いているわりにその建物は瀟洒な外見をしていた。平屋で石造りの壁には蔦が這い、スレート葺きの屋根には暖炉のものだろう煙突がいくつか設えられてある。周囲には胸のあたりまでの高さの石塀が巡らされていたが、ほんの子どもでも乗り越えられそうに見えた。
だが、その石塀が近づくに従って兵士たちは目に見えてソワソワし出す。まるでその石塀の内側に肉食の猛獣か何かが放し飼いにされ、今にも塀を乗り越えて出てくるのではないかと心配しているかのようだった。
一ヶ所だけ石塀の途切れている場所に鋳鉄製の門があり、奇妙な怪獣の浮き彫りのある扉が閉じられているのが見えた。そこへたどり着くと曹長は目に見えてホッとした表情になり、私たちに敬礼すると兵士たちを連れ、そそくさと去って行ってしまった。
「てっきり、私たちが門の中に入るのを見届けて帰るものと思ったが?」
「そんな肝っ玉はあいつらにありはしません」
私の問いに答えたのはソンブラだった。
「なにしろ、この塀を乗り越えて忍び込んだ奴が、バラバラの骨だけになって塀の外に放置された時の後始末は、あいつらの役目ですからな」
「お前たち幽鬼のしわざか?」
「たまたま出くわしでもしない限り、某どもが手を出すことはありません。この庭に巣くう餓鬼たちですよ」
私は様々な花樹が植えられ、可憐な草花が咲き乱れる庭を眺めたが、そんな血腥い獣の姿を見つけることはできなかった。
「ご心配なく。奴らは魔導院の客人に手を出すことなど許されておりません。姿も見せませぬゆえ、お気になさらずに」
いつの間にか鋳鉄製の扉が開けられ、そこに焦げ茶色の長衣を着た老人が立っていた。
「遠路はるばるよくおいでになりました。私は門番の導師ハシムと申します」
胸まで届く白い顎鬚を垂らしたその老人はそう名乗った。
ハシムに導かれて庭を横切り魔導院の建物に向かう。近づいてみるとその建物には遠目と違い異様な気配が感じられる。気のせいかと思いジェニの方を見るとやはり青い顔をしていた。
「あれは何だ、石で造られているのではないのか?」
「ほお、さすがは。あの建物には何百世代にも渡って様々な呪がかけられております。それらが重なり合い混じり合って、あれをまるで何かの生き物のように感じさせているのです。もっとも、感じる能力の無い者にはせいぜい得体の知れない恐れを抱かせるだけですがの」
「その呪とやらが悪さをすることは無いのか?」
老人はチラリと私の背中にある剣を見て言う。
「その剣の主であるあなた様に害なす者など、ここにいようはずもありません」
私が背にしているのは『世界の王』という銘の、二つに折れた剣から魔導院の長老が再び鍛え直させたという剣だ。ただ長老は何の説明も無しにそれを送りつけてきただけだったので、私にはこの剣がどういう謂われのあるものなのか知りようも無かったのだ。
「なるほど、まだ記憶を取り戻してはおられぬというわけか。その剣が元々あなた様の物であったということも知らぬとは」
ハシムはそう言うと扉を開き私たちを建物の中へと誘った。
大きな硝子窓が連なる建物の中は明るく、客間と思える広い部屋には低い長卓の周囲に長椅子が三つ置かれてあった。壁には一角獣や麒麟などの妖獣が岩場を走り回っている有り様を刺繍した壁掛けが掛けられ、床には極彩色に絵付けされた大きなキタイ産陶器の数々が置かれている。
ハシムが茶道具を運んできて、自ら茶をいれ、私たちに供してくれた。
「ところでハシム殿、あなたはおいくつだろう? あのモル殿よりはお若いのだろうか?」
私がそう言うと、ハシムは手を止め、私の方を見て答えた。
「左様、モル様より私はずんと若く、まだ百四十歳ほどにしかなりません」
「では、あなたがモル殿の跡を継いだ四人目の魔導師ということになるのだろうか?」
2014.06.09. 一部訂正




