15.不死者の貌 ◆15の9◆
ソンブラの知り合いの宿に入ると私たちは旅装を解き、私の部屋に集まった。護衛の兵士たちは別だ。思い思いに宿の周辺に散らばり、辺りを警戒している。魔導院の招待があるとはいえここは敵地と考えねばならない。いつどんな形で襲撃があるとも限らなかった。
ソンブラも外に行きたがったのはあの弁髪の男を捕まえたいからだろう。だがまだ騒ぎを起こすわけにはいかない。そもそもこの帝都を直接知るのはソンブラしかいなかった。これからの作戦を立てるのには奴が必要だった。
「やっとここまでたどり着きました。トゥランを出てから半年近くにもなります。それにしてもキタイは、こんなに離れているトゥランを、どうして支配したいなどと考えるのでしょう?」
ジェニが久しぶりの軽装で椅子に腰掛けながらそう言った。
「『華夷』という考え方がキタイには根強くある。『華』つまりキタイが世界の中心であり、キタイの文物・思想は神聖なもので、それ以外のものは『夷』つまり文化程度の低い鳥や獣と同類の民であるから、キタイにひれ伏し従うのが当然だという思想だ」
「そんな、まさか!」
信じられないという表情でジェニは私を見た。
「どうすればそんな歪んだ考えを持つことができるのですか?」
「黒蓮の離宮では教えられなかったのか?」
「いいえ、キタイの文化は優れているということしか……」
私はダズに向かい遠くシューリアの王宮にいるアイシャーに連絡をとってくれるよう頼んだ。アイシャーの元にはアシュ王がおり、ダズとアシュ王はこの距離を越えて意思を共有することができるのだった。
「『帝都ルォユゥに着いた』ことを伝え『作戦続行に支障はないか?』聞いてくれ」
ダズはしばらく目を閉じる。やがて目を開けると答えた。
「『フランツとの休戦は継続中。ジプト小麦の輸出も順調』と言っている」
「どうやら問題はなさそうだな。では『ジェニはなぜキタイの華夷思想のことを知らないのか?』と聞いてほしい」
またしばしの沈黙、その後ダズが眼を開ける。
「『遠くで自分たちを見下している奴がいると、子どもにわざわざ教える者がいるものか』という返事だ」
まどろっこしいアイシャーとのやり取りをまとめると次のようになる。
キタイの華夷思想自体は何度も異民族の侵攻を受けたキタイの民が同族意識を失わないために持った排外主義を源とするのであろうという。内容は『自分たちが世界の中心であり、この中心から離れたところの人間は愚かで風俗も劣っており秩序も無い。自分たちの文化や考え方は神聖なものであり、鳥や獣のように愚かな自分たち以外の民はそれを敬い見習うべきである』というものだ。
ただ、何度も侵略を受ける度に征服者側の血が混じり、民族としての純血性は失われていた。残されたのは、中原というキタイの中心に住む者が世界で最も優れており、劣っているその他の諸国民はキタイの覇者に臣従するのが当然だという、根拠のない強烈な思い込みであった。
今回の問題も大本はこの思想に原因がある。千年ほど前、中原の覇者となった騎馬民族の王朝がはるばるイベリカ亜大陸まで遠征したのも、やはりこの思想に影響を受けたのかもしれない。
「結局その大遠征も、兵站の問題があり、失敗に終わったのでしたね」
ビゴデ准尉が軍人の立場からかつての大遠征に思いを馳せたようにそう言う。奴がサトゥースの信奉者だということは知っているが、そんなところまで真似する必要はないと思った。
「おかげで侵略された国々はいい迷惑だな」
わたしがそう言うと珍しくソンブラが口を差しはさんだ。
「しかし、あの遠征の失敗が心の傷になり、キタイは国の外に兵を出すことには消極的なのです」
「千年も昔のことだぞ」
「四千年の歴史を持つキタイには千年などつい先頃のことでしかありません」
「四千年ね」
「左様、泰山に第二の帝権が降りて来たのは四千年前です。皇帝の支配の正統性はその時より連綿と続いておるのです」
「ソンブラ、お前そんなことを信じているのか?」
ソンブラは一瞬考え込んだ後に答えた。
「うーん、どうやらこれはモル様の知識のようですな。直接誰かからそのことを聞いたという記憶がありません」
「その後モルはおとなしくしているのか?」
「いたって静かです」
「死んでいるのだから当然のことだな」
「モル様はそう思っておられぬようで……元は人間であったのだと思いますが、何百年も生きてしまうと我々とは死生の考え方が異なってくるのではないかと思います」
「つまりお前の中にいる今のようなありようも生の一つの姿だというのだな?」
「さて、そこまでは断言できませぬが……」
「怖くは無いのですか? 自分の身体を、いつモルに乗っ取られてしまうかもしれないのですよ」
いぶかしげにジェニが尋ねた。
「幽鬼は蠱によって産み出される生き物です」
ソンブラはそれだけしか答えなかった。多くの仲間の犠牲によって生まれた幽鬼である自分の死生観もまた、私たちとは違うと言いたいのだろう。
その時突然ビゴデ准尉が部屋に入って来て言った。
「この宿は囲まれています。どうやらあの男が邏卒を呼び集めたようです」
「言わないことではありません。某にまかせてあの男を片づけておけばこんなことにはならなかったのです」
ソンブラがそれ見たことかという顔をして言う。面倒を回避するつもりで、かえって面倒を背負いこんでしまったと言いたいのだろう。
相談した結果、護衛の兵士たちを残し、私たち五人だけでこっそり包囲網から抜け出すことにした。ソンブラに頼んで、裏口を見張る邏卒たちの意識を奪わせる。ソンブラは殺してしまった方が簡単だと言い張ったが、奴は町中に死体を転がしておいた場合の面倒を考えていない。ビゴデたちを残していくのだから、迷惑は最小限にしたかった。
こうして宿で休む間もなく、ソンブラとダズ、ジェニとエディ、それに私の五人は魔導院へ向かうこととなった。
思えばトゥランを発ってからここにたどり着くまで、最初に予定していた倍以上の月日が流れている。私たちはこの帝都ルォユゥに他に何の伝手も無いから、魔導院からの招待状がその間に無効になっていないことを祈るしかない。
一番内側の城壁の中にあるのは皇帝が生活し政務をとる内裏殿、官庁街、皇族や高位の貴族の住居、庭園、文書館や研究施設などで、昔はあっただろう一般庶民の住居などは今では排除されていた。
この城壁の門には衛兵が立ち、出入りの者を調べている。幸い私たちは、魔導院からの招待状のおかげで、この門を通ることができた。
中へ入ると、城壁の外とは大違いである。この都へ入ってからずっと、私たちは今まで見たことも無いほど大勢の人間と沢山の建物を見て来た。人々は活気と喧噪に満ち溢れ行き来していた。
だがこの城壁の内側に入ると辺りは一変し、庭園都市とでも呼ぶべき姿を見せている。まず建物より樹木の方が圧倒的に多い。路の側には清水が流れ、木立が並ぶ。建物の周りには花木が植えられ、どれもよく手入れされていた。所々に噴水が設けられ、溢れ出す水が周りの植物に潤いを与えている。樹の上では鳥が囀り、栗鼠などの姿も見かけられた。
「これはまた、ずいぶんのんびりした場所ですね」
先導するソンブラの後に続いて歩きながらジェニが言った。
「逆だろう。人口の密集した帝都のど真ん中にこういう場所を造った意図を感じないのか?」
この庭園の樹木のため、四十里以上離れた山地から水道橋によって水が引かれていた。樹木を潤した後、余った水は城壁の下を潜りルォユゥの町中で生活用水として活用されている。水の流れは『気』の流れとなり、帝都に対する皇帝の支配をより強固なものにしているのが感じられた。
「左様、帝都は遁甲式によって設計されており、これから向かう魔導院は八門のうち驚門に当たる場所になるのですぞ」
「どうせろくでもない卦なんだろう」
「内裏が大吉とすれば魔導院は大凶の位置にありますな」
ソンブラが嬉しそうに答えた時、路の前方から武装した男たちがやって来るのが見え、先頭にはあの弁髪の男がいた。




