15.不死者の貌 ◆15の4◆
シューリア王城の地下に存在する『蠍牢』は、実際には蠍の住む地下牢の中にあるいくつもの小房の集まりから成っている。私が連れて行かれたのはその中でも、最も奥に位置する独房だ。
先頭の兵士が持つ松明の明かりを頼りに、石畳の通路を進んでいくと、突き当たりに太い鉄格子があり、その向こう側に、石壁に囲まれた六尺四方ほどのその部屋があった。窓はなく、床には玉砂利が敷きつめられ、その中央に高さ一尺、縦横二尺程の、花崗岩でできた台のようなものがある。
私を連れてきた兵士たちは、鉄格子の扉を開けると私を部屋の中に連れ込み、石の台の上に私を座らせた。それから私に重い鉄の首輪をはめて螺子止めし、三方の壁と首輪を四尺ほどの鎖で繋ぐ。最後にどれだけ高いかわからぬ天井の闇の中から垂れ下がっていた四本目の鎖を首輪に金具で留めると、後ろ手に縛られた私は台の上に胡座をかいて座った姿勢のまま、ほとんど身動きできない状態になった。最後に兵士たちは、いやに丁寧な手つきで私の履いていた半長靴を脱がし部屋の隅に揃えて置くと、次々に鉄格子を潜り、去って行ってしまった。
闇が残った。
牢獄の中は湿っぽく冷たい。しばらくすると玉砂利の上をカサカサと動くものの気配が聞こえる。そのうち辺りがポーッと薄明るくなった気がした。けれども光源はどこにも見当たらない。私自身を含めそこにあるあらゆる存在がほんのりと燐光を放っているかのように浮き上がって見える。玉砂利の上を這い回る無数の節足類の姿があった。
そのうち、その中の一匹が私の座る石の台によじ登って来た。体長は一寸余りで鋏も比較的小さい。けれども胴体と尾の第五関節部が黒いという特徴から、それはデス・ストーカー・オブトと呼ばれる種類の、最強の毒を持つ蠍だということがわかった。非常に攻撃的で素早い、砂漠の殺し屋だ。
蠍は昆虫や蜥蜴などの小動物を餌とする夜行性の節足動物である。餌を捕らえる時は獲物を鋏ではさみ、尾部の針を刺して毒液を注入する。動けなくなったら鋏角で小さく千切って食べるのだ。蠍の身体はあまり硬くはなく、鳥類の中には孔雀のように好んで食べるものもいるので、昼間は岩の下などに隠れている。彼らの世界は夜の闇の中だ。
普通であれば、蠍が人間のような大型の動物を襲うことはない。そんなことがあるとすれば、それは防御反応だ。蠍牢で死んだという多くの囚人たちも蠍を見て恐怖に陥り、蠍を殺そうと足掻いた結果、逆に攻撃されることになったのだろう。
そうは思っても何が彼らを刺激し、彼らの攻撃性を引き出さないとも限らない。私は呼吸をコントロールし、鎖に拘束された不自由な姿勢のまま、できるだけ不自然な動きをしないように心がけた。それにしてもこの奇妙な燐光は何だろう?
長い時が過ぎた、ような気がした。
闇の彼方から微かな足音と衣擦れの音がした。
しばらくするとその足音は二つのリズムに分かれた。近づいて来るのは二人だ。どちらも足どりは軽く、兵士たちのいずれかが戻ってきたようには思われない。兵士ならば装具や武器の音がしないのもおかしい。息づかいも柔らかく、成人した男のようではない。
上の方で蠍牢の扉が軋む音がした。二人はそこから階段を下りて来る。
角を曲がって闇の中に二人の姿が現れた。幅三尺ほどの通路を軽やかな足どりで近づいて来るのは、アイシャーとカルロだった。
相変わらず辺りは闇である。鉄格子の向こうで二人の身体も微かな燐光を放っていた。
「マスター」
私を見てカルロがささやくように言った。だとするとカルロにも私が見えるのだ。この燐光は幻ではない。それともアイシャーもカルロも私の幻覚なのだろうか?
私は黙って考え込んだ。
アイシャーが含み笑いをもらす。
「妾もこの子も幻覚などではないぞ」
「では何故……」
「何故見えるのかと言うのか? それは封のせいじゃ」
「封か」
「封が生き物の放つアウラを感じさせているのじゃ」
「だが、地面や壁も少し光っているぞ」
「そこにも目に見えぬ小さな生き物が無数にいるからな」
「小さな生き物?」
「砂粒より小さい生き物たちじゃ」
「そんなものが?」
アイシャーは頷き、それからカルロを見て言った。
「お前のマスターに水を」
カルロは左手に下げてきた小型の蓋付きバケツを開け、杓ですくった水を私に飲ませた。
「カルロも見えるのか?」
「お前の血を飲んでいたせいじゃ。今は私が封を含んだ処方を与えておる」
「でも、マスターの血の方がおいしい」
「カルロの体質がまだ変わり切っていないからじゃ」
「変わらないとだめ?」
「いつまでも封に頼りたくなければな」
「僕、我慢する」
アイシャーはカルロの頭に手をおいてほめた。
「聞き分けの良い子じゃ」
私は聞かなければならないことがあったのを思い出した。
「何でこんなことをした?」
「お前も封に頼ることをやめなければならぬからじゃ」
「あの煎じ薬か?」
「ああ」
「では何故、あれを私に命じて飲ませた?」
そもそも私が封を含むという処方を飲み始めたのは、アイシャーの指示によるものだった。
「あの時は必要だったのじゃ」
「必要?」
アイシャーは頷いて答えた。
「あれを飲んでいなければお前は任務を達成し、生きて帰って来ることができなかったじゃろう」
私はギルベルトと戦った時の自分の超人的な動きや感覚を思い出した。あの時私は、ギルベルトに負けるなどとは少しも考えなかった。さらに私は多くの人物の裏をかき、心を操るようにして作戦を成功させた。
「なるほど、あれはみんな封のおかげだったのか」
「封に頼れば誰にでもできるわけではない。お前でなければできなかったじゃろう」
「だが封なしでは私にもできなかったと言うのだな」
「否定できるかな?」
「いや」
多くの人を操ったつもりでいたが、結局私はアイシャーの操り人形だったのだ。だがそれは前から承知していたはずではなかろうか?
「では今になって何故?」
「キタイの魔導師は封を使って幽鬼を操る」
「あなたが私にしたようにか、アイシャー?」
「妾がお前にしたようにな。だが……」
「だが、私は幽鬼ほどは戦えないというのだな」
「お前は幽鬼ほど強くはなれぬ」
「すると私は捕らえられることになる」
アイシャーは頷いた。
「殺すよりも利用しようとするじゃろう」
「もし私が封に依存していれば、奴らはそれを使って私を利用できるというわけか」
「お前は超人であることの誘惑に堪えきれると言えるか?」
私はアイシャーの問いを否定できなかった。
「……何故他の者、例えばソンブラを派遣しない?」
アイシャーは沈黙でそれに応えたが、私も馬鹿なことを言ったのは承知していた。ソンブラが信用できるわけがない。それにソンブラは『幽鬼の中で最も弱い幽鬼』と仲間に評価されていたのだった。それが正しい評価かどうかは別として、魔導院に属する幽鬼は一人ではない。多勢に無勢となれば勝負は目に見えていた。
「未だにソンブラの中にいるモルに、妾の行動が操られていないという自信は持てぬ」
しばらくしてアイシャーがそう言った。
ではアイシャーよ、お前が今していることがモルの企みによるのではないと、どうして言えるのだろうか?




