14.機械たちの神学 ◆14の16◆
「これは……緑茶だ」
私が呟くのを聞きつけ、ベアトリスが答える。
「ええ、珍しいでしょう。このジャンヌが見つけてきたのよ。ジャンヌは面白いものや珍しいものを見つける天才なの」
「たまたま行き当たるだけでございますよ、ベアトリス様」
そう言いながら白磁の茶碗をジェニにも差し出すジャンヌに、私は聞いた。
「ははぁ、そういうのを得意とする三人の王子の話がなかったですか?」
「ああ、セレンディプの王子様たちね」
笑いながらベアトリスがそう言う。
「あら、ベアトリス様、私は一人で見つけたのですけれど」
「では、ジャンヌさんは王子三人に匹敵する知恵者ということになりますね」
これはジェニ。
「知恵者だなんて……」
ジャンヌは恥ずかしそうに微笑む。赤毛の女狐め、この前のしかめっ面はどこへ行った?
私は茶碗に口をつけようとしたが、ジェニに遮られた。
「伯爵様、あのお話はどうされるのですか?」
「ん? ああ」
曖昧な返事に我ながらもどかしさを感じながら私はジャンヌに視線を走らせる。この娘にカルロの話を聞かせてよいものだろうか?
その様子を見たベアトリスが私の腕に手をそえて低い声で言う。
「この娘のことは全面的に信用して下さっていいわ。ジャンヌはもう五年も私に仕えてくれているの。私の秘密は守ってくれるわ。現にこの前だって……」
なるほど、皇太子妃が自分の情事のことを知られてもかまわない共犯者というわけか。
「ではジャンヌさんには入り口のところに立ってもらい、誰かが近づいたら知らせてもらうことにしましょう」
「いいですわ、伯爵様」
体よく追い払われたことを気にする様子もなく、ジャンヌは少し離れた位置にある扉の前まで歩いて行き、扉を少し開けて廊下の様子をうかがう。
「大丈夫、廊下には誰もいませんわ」
私はベアトリスに向き直り口を開く。
「カルロは無事です。順調と言っていいでしょう。しかし本復のためにはやはりトゥランに連れてゆき、正しい処方の薬を与えなければなりません。でないと、いつまでも私に依存することになり、私に何かあればカルロも助かりません。長い間会えなくなることは覚悟して下さい」
「ええ、ええ、あの子が助かるのであれば、母親として私は何でもいたします」
ベアトリスは私の腕にすがるようにしてそう言った。
「では、トゥランとフランツの間に和平が成立するようにご尽力下さい。いえ、戦争が続いているからと言ってカルロを害させるようなことは私がさせません。そのために弟子という形にしたのです。でも和平が成れば、あなたが会いに来られることも可能でしょうし、私がフランツへ連れ帰ることもできましょう」
「ええ、でも……」
「無理をしてほしくはありません。ただ女として平和であってほしいという気持ちを周囲に伝えるだけでいいのです。フランツには戦争が続くことに嫌気が差している人が沢山います。軍人たちの面子のために講和の機会を逃さぬようにして下さい。平和になれば商人たちは交易で利潤を得ることもできましょうし、そうなれば物の値段も下がり貧しい人たちも助かります」
「わかりましたわ、伯爵。私、努力することをお約束します」
「それで結構です」
「でも、あの、カルロには出発前に会えませんの?」
「会えばあの子にとって辛くなるということはおわかりでしょう」
「ええ。でも、隠れてあの子の姿を見ることもかないませんの?」
私は少し考えてから返事をした。
「あなたがお辛くないのでしたら、出立の前にその機会を作りましょう。きっと見違えますよ。元気になって、今はジェニが身体を鍛える訓練をさせているところです」
ベアトリスは緑茶の茶碗に口をつけているジェニを見て聞いた。
「訓練ですって? あの子が跳んだり走ったり、しますの?」
ジェニは優しく笑って頷く。
「ええ、それはもう元気にしています」
私は緑茶を口に含んだが、その味に違和感を覚え茶碗に吐き戻した。
「いかん! ジェニ、この茶は毒だ!」
だがすでに遅く、ジェニは喉を掻きむしるように押さえて倒れ伏す。ベアトリスは驚きを顔に浮かべジェニを、それから私を見た。
「そんな! いったいこれは……」
私は扉の側のジャンヌをにらんだ。
「気づかれましたか。さすがです。でもこの毒はわずかでも口にすれば喉が痺れ呼吸ができなくなります。伯爵様ももうすぐそうなりますよ」
あの意地の悪そうな表情が赤毛の娘の顔に浮かんでいた。
「何故だ?」
私はささやくように尋ねる。
「私の恋人は牙の岬で沈んだ戦列艦に乗り組んでいたの。帰って来たら婚約を発表する約束だったのよ」
寂しげな口調でそう言ったが、ジャンヌの瞳は燃えていた。
「なるほど、気の毒だったな。だが戦争と言うのはそういうものだ。敵味方関係なく」
「ええ、きっとあなたの知っている方も亡くなったのでしょうね。でも女は、剣や弾丸を使わないで戦うこともできるのよ」
「生憎だが私に毒は効かないのだ」
ジャンヌは確かめるように私の顔をみつめていた。やがてあきらめたように力を抜き、それでも落ち着いた声で言う。
「どうやらそのようね。でも、あなたの可愛い人を奪ったわ。私は復讐をしたのよ。あなたは私を殺す?」
ぴくりとも動かないジェニを眺めた後、少し悔し気にジャンヌはそう尋ねた。
「いや、私は殺さない。それに君はジェニを殺してもいないよ。ジェニ!」
私が声を掛けるとジェニは直ぐさま起き上がった。ジャンヌは眼を見開いて両手を口に押し当て、驚きの声を押し殺した。
「どうして……」
「どうして気づいたかというのですか? あなたのお茶の入れ方は完璧でした。流れるような作法。でも伯爵様と私の茶碗に注ぐ時だけ少しためらったでしょう。あの時毒を入れたのではと疑ったのです」
「だから飲まなかった?」
「ええ」
ジャンヌはのろのろとした動作でベアトリスの方を見た。それからジェニと私に言った。
「私は失敗したのね。それで私はどうなるの?」
「今のままでいいのよ」
そう言ってジェニは同意を求めるように私を見た。私が頷くと言葉を続ける。
「今まで通りベアトリス様に仕えて、今まで通り生きるのよ」
「そんなことできるかしら?」
ジャンヌが力なく聞く。
「できますとも。だってあなたは、まだ誰も殺してはいないのだから」
何人もの男たちを殺してきたジェニのその言葉が、弾丸のようにジャンヌを撃ち倒した。
「気を失ったようだな」
私は力の抜けたジャンヌの手首を持ち脈を探った。
「慣れないことをするからです」
冷たいジェニの言葉だ。
「あの、あの、いいのですか?」
ベアトリスの気持ちもわかる。人殺しをしようとした娘と一緒に暮らすのは、彼女にとっては負担だろう。
「戦場に身を置く者にしてみれば、この娘の気持ちはよくわかります。この娘の面倒を見てやって下さい。それからこの娘のような思いをする女が、これ以上増えないように力を貸して下さい」
ベアトリスは黙って頷いた。




