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3.目覚めよと呼びかける声   ◆3の5◆

 ジェニの思い出し笑いが私の気に障ったというのとは少し違う。ジェニの表情は他人を馬鹿にしたというものではなく、むしろ楽しいことを思い出した子どものようなものだった。


 馬の歩みをとめさせてジェニの乗った馬の側に寄せると、あわてたようにジェニはうつむいた。


「それで……私は何を言ったのだ?」


 ジェニの頬に薄っすらと朱がさした。


「教えてほしい。私がその時何をどんな風に言ったのかを」


 ジェニは下を向いたままやっと口を開いた。

「私が、ライト様に、どうして口髭くちひげ頬髭ほおひげを生やさないのかとお尋ねしたのです。……するとライト様は、それは男の感覚を鋭敏にし過ぎる。口髭があると男は接吻くちづけの快楽に溺れてしまう。頬髭でさえ危険だ……と。でも……逆に顎鬚あごひげがある男の接吻は、やり方さえ知っていれば女に悦びを与えることができる。口髭や頬髭は男自身の快楽のためにあり、顎鬚は女のためのものだ。だから自分は、口髭も頬髭も剃るのだ……、ライト様は私の身体に接吻されながらそう言われました」



 その時記憶が甦ってきた。だが、想い出したのはジェニと交わした己の言葉ではない。それを言ったのは私ではなく、時も異なっていた。


 その言葉を口にしたのは年上の娼婦だった。年上と言っても、まだろくに髭も生えていない私よりいくらか年上というだけで、二十歳にもなっていなかったはずだ。


 朝の光が、その女と二人でもぐり込んでいたベッドの白いシーツの上に射し込んで、少し眩しかった。


 娼館に白いシーツ……贅沢なことだ。汚れが目立つ白いリネンは使う度に取り換えねばならない。ひょっとするとあれは、あの娘の私室だったのだろうか……。


 間違いなくあれが、私の最初の女だったはずだ。そして私は二十年以上に渡って、あの女の言葉を守って来たのだ。女に溺れたくなければ、口髭はやめておけ……という。


 だがこれは、誰の記憶だ? エンテネス・ライトの記憶ではないか! 私は自分の頬から顎に指先を走らせ、問い返した。


 女の肌の感触や髪の匂いは思い出せるが、顔は記憶に残っていない。他にどんなことを話し合ったのかも。


 あれがライトの記憶だとすると『私』の記憶はどこにあるのだ……?




「ライト様、どうされました?」


 鞍頭に置いた私の手に、ジェニが右手を伸ばしていた。


「いや、何でもない」


「私が余計なことを申したからでしょうか?」


「そうじゃない。……よく話してくれた」




 王都シューリアに続く街道には商隊や旅人の姿が無かった。路を横切る家畜の群れも見えない。一日を無駄にしたので、まだ草原を六日、山間を十日という旅程を残している。一刻ほど街道を右手に外れて調べ、野営地に戻りながら反対側を偵察した。

 草丈は人の胸ほどもあり、馬に乗っていない相手を遠くから見つけることは難しい。



「街道から距離をとって馬で移動し、馬を置いて徒歩で野営地までやって来たというところか……」


「陽が高い時刻には山地にかなり近いあたりまで離れなければ。馬ではこちらから見えてしまいます」


「山の村からも草原は常に見張られている。街道を辿たどらず水場だけ利用して、水銭を払わないやからを、彼らも見逃すわけにはいかないからな。多くの馬が移動すれば必ず発見される」


 だとすると夜間に移動し、昼間は数人ずつ分散して宿営するしかない。ただし明るいうちに煙を立てずに火を焚くか、煮炊きを一切しないということになる。


 もし馬を使わなければ荷運びに人手が必要だ。国境から離れれば離れるほど彼らにとっては不利になる。ここ数日以内に勝負を掛けてくると考えてよいだろう。


 一方、追っ手が荷運びだけでも荷駄を活用していれば、発見できる確率は高まる。だが、その場合は山間部に入ってからも襲撃される可能性があった。


「どう思う?」私はジェニの意見を聞いた。


「間に砂漠が無ければ順次食料や人手を補給するという手段を取るでしょうが、その手は使えません。あのオアシスには『草』を配してありますし、別の道筋はここまで日数がかかり過ぎます」

 ジェニは少し考え込んだ。

「もし数日中にケリがつかなくとも、諦めるという選択肢は彼らにありません。ただ人数を減らし、残りを帰すでしょう」


「精鋭と言うわけか?」


「食料と数頭は連れているはずの馬をその者たちに託し、残りの者たちは手ぶらで戻るはずです。戦うことを考えず、ただ拠点まで歩くだけなら食料がなくとも生き残れると判断するでしょう」


「敵とはいえ、厳しい旅になるな」


「どの道にもこちらの『草』が配してあるので、帰りつける者の数は多くないと思います」



 野営地まで戻ると、獅子の皮剥ぎと解体は四頭まで終わっていた。


 昼餉ちゅうしょくは堅焼きパンと、肉の欠片が少し入ったスープが用意されていた。肉は無論サトゥースが山の民に提供させた老羊の肉で、獅子の肉ではなかった。肉食獣の肉など、臭くて口に入れられたものではない。

2013.09.29. 「キャンプ地」を「野営地」に訂正。他の部分との整合をとるためです。

2014.04.16. 『誤って入れた改行』を削除いたしました。見つけてくださりありがとうございます。

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