13.爛熟の円舞曲《ワルツ》 ◆13の12◆
「そう言えば決闘はどうなりましたの?」
次の朝、侯爵夫人が質問した。昨夜はジェニの部屋に泊まったのだ。
「もう終わりましたよ侯爵夫人」
「あら、もう終わってしまったの。それでどうなりました? 当然お勝ちになったのですわよね、伯爵様」
「ええ」
負けたら私はここにいない。
「相手の、えーと何とかいう方はどうなりましたの?」
「死にました」
「そうなの、お気の毒ね。ご家族とかいらっしゃるのかしら?」
「いや、天涯孤独でたった一人の友というのがあのペリゴルド氏だそうです」
「マネージャーをやっていた方だったかしら。お友達だったのね。さぞ気を落としておられるでしょう」
「当然でしょうね。親族の無いギルベルトが死んで、自分のところに転がり込んでくるはずの遺産が、私の方へ来てしまうのですから」
「あら、どうしてそんなことになったの? 死んだ方が遺言で自分に勝った相手に全財産を贈るとでもしていたのかしら?」
「奴と私で賭をしたのですよ。奴は全財産を、私は剣を賭けました」
「お相手はよほど自信があったのでしょうね。そんな剣、あらごめんなさい、でも剣一本と全財産を賭けるだなんて」
「いやいや、ご婦人にとって剣などたいした価値のあるものではないですからな」
「あの剣を賭けたのですか!」
そこへジェニが入ってきた。やれやれまずいことを聞かれた。今朝のジェニは足首までの薄緑のスパッツの上に柿色のアラベスク模様の長衣、ベージュのサリを肩に掛け、青い短靴を履いていた。
「あの剣がどんな価値を、いえ意味を持っているか忘れたわけではないでしょう?」
艶やかな衣装とは裏腹に、ジェニの顔は怒り心頭に発するという言葉を絵に描いたようであった。今にもつかみ掛からんばかりの様子に、メルキオと侯爵夫人はあっけにとられていた。
「ジェニ、もう終わったことだ」
「とんでもない! あなたは何時また同じことを繰り返すかもしれないのです。黙っているわけにはいきません」
「いや、もうしないから」
「ジェニ殿、あの剣はそんなに大層なものなのか?」
オロオロしながらもメルキオが尋ねた。
「あの剣はキタイの魔導院の長老が、永らく死蔵していた剣の破片を鍛え直させ、敬意の印として伯爵に贈ったものです。その意味は計り知れません。あの剣を帯びる資格が伯爵にあると長老が認めたのですから、キタイ皇帝でさえ畏れて一歩を退くでしょう。それをよりによって決闘の賭け代になど!」
「しかしジェニ、剣は戦いに使われてこその剣だ。長老も使えぬ剣など打たせぬだろう」
「では何故その剣を賭けの種などにしたのです?」
「そ、それはギルベルトが全財産を賭けたのと同じ理由だ。死んでしまえばどんな剣だろうと財産だろうと意味は無い。それに私はギルベルトに負けるつもりなど無かったぞ」
「当たり前です! でもあなたは、残される者の気持ちなど考えていないでしょう!」
「いや、それは……」
「考えましたか?」
「だから負けるはずの無い勝負だったと、言ったろう」
「やはり考えなかったのですね」
「この場合はそこまで考える必要がなかったろう」
「なんですって!」
その時執事姿のランバニが音もなく入ってきて、危ういところで私は、ジェニにとっちめられるところをメルキオたちに目撃されるという望ましくない結末から救出された。
「事前のお約束は無いのですが、ペリゴルド氏が伯爵様にお会いしたいと参っております」
「おお、そうか。応接室で会おう」
私は無造作にそう答えたが、今の状況から逃れるためだったら訪問者は誰でも大歓迎だった。本当にいいところに来てくれたものだ。せいぜい愛想よくしてやろう。
ペリゴルド氏は蒼白い顔をして手に山高帽を持ち、応接間の入り口の扉の前で待っていた。
「まあ入って腰を下ろしていただこう」
「いえ伯爵、用件が済んだらすぐに発つつもりですので、ここで失礼させていただきます」
「発つと言われるが、どちらへ?」
「暖かい国へ行って、余生を過ごすつもりです」
「それはまた急なことですな」
「お聞き及びですか? ジャン・カルジュが死んだことを」
「昨日は元気そうだったが?」
「酒場で倒れたそうです。かなり深酒をしていたようで、酒場の亭主はろれつが廻らないので何を話しているかわからなかったと言っていました。ただ、ギルベルトの名前を口にしたようです。それで伯爵……」
「いや、私は何もしていませんよ。昨日言ったことも、評判を落とすような噂を流す様なことが私の耳に入れば、私の方から決闘を申し込むという気持ちを伝えただけです。誰だって、決闘で守った名誉を陰口などで汚されたくはない。理解してもらえると思うが?」
「しかしレモン水売りの……」
「ああいう輩は口さがないものです。たまたま顔見知りの小僧たちだったので釘を刺しておいただけです」
「そうですか……」
ペリゴルド氏の顔色は相変わらずよくなく、両手の間では山高帽子がひしゃげて元の形を失っていた。
「それで今日のご用件は?」
「ああ、そうでした。ギルベルトは親族から引き継いだ城の他は現金しか財産がありません。パリスでは私と同様ホテル住まいです。衣類など身の回りのものは教会に寄付してよろしいでしょうか?」
「ああ、勿論」
「ではこれが、銀行渡りの小切手で十二万エキュ、それとベルナァの地所と城の権利証です。私が添え書きと署名をしてありますから、役所へ行けば直ぐに手続きができます」
「これは、ご丁寧に。ずい分と早い仕事ぶりですな」
「あいつもいつかはこんな結末を迎えると覚悟していたのでしょう。いつも身辺の整理は心がけていたのです」
「意外ですな。もっと豪放磊落な人物かと思っていました」
「あいつはあの通り大男です。先祖代々騎士の家系というのが自慢でしたが、それ以外芸がないと言われればその通りです。身体の大きいのは武勇の才と同様血筋で、子どもの頃から大きかった。もし諸王国戦乱の始まりの時代に生まれれば、巨人よ英雄よと持て囃されたのかもしれません。事実あいつの先祖はそうやってあの地所の周囲の領地と城を手に入れたのです。しかし、大砲や施条銃が幅をきかすご時世では、あの身体はいい弾の的です。結局あいつに城を譲ったあいつの伯父も、周囲の領地のほとんどを手放すことになり、今では城と湖を挟んだ対岸の村が残っているだけです」
「なるほど」
「あいつが決闘狂と呼ばれるような人生を送ることになったのも、戦うことしか能のない人間にとって、他にできることが無かったというだけに過ぎません」
「しかし、ではなぜ『致命傷を負うまで』にこだわったのです?」
「自分のやっていることが単なる見せ物ではないと納得したかったのでしょう。自分の命を懸けることで、単なる飯の種ではないと言いたかったのだと思います」
「そのために何人もの命を奪い、最後には自分の命を落とした」
「ああ……それは、弁解の余地はありません。私も共犯ですから」
そう言ってペリゴルド氏は口を閉ざし、うつむいて私の非難の言葉を待った。だが私には彼ら二人を非難する権利など無い。私は『犠牲を求める神の山車』のように人々の血潮を飲み込んでここまで来たのだから。
「ところで彼は、いやあなた方は、何で私に決闘を申し込む気になったのです?」
「それをお話するために来ました。そして話したら、もう私はこの国にはいられないのです、伯爵」
本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




