13.爛熟の円舞曲《ワルツ》 ◆13の11◆
「伯爵、あなたは怖ろしい方だ」
決闘の日の夜、メルキオと晩餐を共にしている最中、執事姿のラムバニが現れ私の耳にささやいたのを見て何事かと尋ねるので、酔って秘密を漏らしそうになったカルジュ氏を始末したという報告だと教えると、この言いようだ。
「他の誰かから聞く方がよかったということかな?」
女みたいな奴め、ジェニが聞いたら怒り出しそうな台詞を思い浮かべ、結局口にしなかった。
「官憲が疑いを持ったらどうなるかお考えにならないのですか!」
「卒中や心臓の病で急死する人間は珍しくないだろう。まして深酒をしていたとあっては。何かを咽に詰まらせたのかもしれないしな」
「毒を使ったのですか?」
「いやいや、とんでもない!」
私はグラスを掲げ紅い葡萄酒の色を蝋燭の光にかざして見つめた。
「じゃあ、どうやって?」
メルキオは一瞬薄気味悪そうに私を見たが気を取り直してそう尋ねた。
「どうやってだと思うね?」
「まさか人の生き死にを自由にされるというのではないでしょう! そんな神のような……」
そこまで言いかけてメルキオは自分たちが私をその『神』に祭り上げようとしていることを思い出した。偽者の『神』なら問題は無い。だがもし私が本当の『神』であった場合には、メルキオたちのやっていることは道化芝居以外の何物でもない。今頃それに思い当たり、どうしてよいのかわからなくなったのだろう。
「伯爵、いったいどうやって……」
「悩むがいいさ」
私は冷たく突き放した。
実際はカルジュ氏に、文字通りの意味でピッタリ着いていたラムバニのかみさんのアーニャの仕業だ。隠し持った細くて長い鋼の針を、奴の盆の窪にプスリと刺しただけだ。ここから一寸も針を打ち込めば全身が動かなくなり、心の臓が止まる。呻き声さえ上げられずにパッタリ倒れるしかない。しかも針を抜けば血はほとんど流れず、傷跡を見つけることも難しい。その辺の町医者が調べた程度では、原因不明の頓死、多分卒中か心臓の病という見立てが出るだけだ。おまけにその場に居合わせた正体不明の町の女がエンテネス伯爵の女料理人と同一人物だなどということは、誰にも証明できることではなかった。
「伯爵!」
「悩むのが嫌なら考えるのをやめることですな」
「伯爵、人の生き死にをそんな!」
「私は警告したと思うが?」
「しかし……」、
「私は『あなたにも』警告したと思うが」
「あなたは怖ろしい方だ」
「そう書いてあるのではなかったですか、『機械の神の書』に」
「それは……」
「最初は『「私を恐れよ」と神は言われた』で始まるのではなかったですか?」
「その通りですが、あなたは……」
「ではまず『私を』怖れることから始めてはどうかな?」
「あなたをですか?」
ああまったく、女々しい男は嫌いだ。
そこへ侯爵夫人を伴ってジェニが入って来た。侯爵夫人はいささか興奮気味だった。
「伯爵様、すごい、すごいですわ」
「どうされました、侯爵夫人?」
「ジェニ様にあの浴槽を見せていただきましたの。あの大きさの磁器など、皇帝陛下だって持っていませんわ。ああ、あたくしもあんな浴槽で一度入浴してみたいものですわ」
「トゥランから運んで来て、新たな瑕が無いか調べるために梱包を開いただけなのです。今探している屋敷の準備ができましたら、浴室に据えるつもりですから、ジェニと一緒に入られたがいい」
「まあ、瑕なんてあるように見えませんでしたけど、水漏れでもしますの?」
「いいえ、修復しましたから」
「修復? そんなこと、できますの? それもキタイの魔法かしら?」
「魔法? そうかもしれませんね。でもキタイのではありませんよ。キタイの東にある島国の、職人の技です」
「それって、あの黄金の国の?」
「おお、よくご存じだ。もっとも、本当に黄金がゴゴロ転がっているわけではないそうですが」
「まぁ、残念ね」
「だが黄金の国というのもあながち嘘ではないようです。現にあの浴槽も、キタイから運ぶ途中、三つに割れてしまったものを、その国から来た男が金と膠を使って接ぎ合わせたのです」
「そんなことできますの?」
「彼の国では普通の技だと言っていましたが、やはり名人上手でなければあれほどの大きさのものを元の姿に戻すことなどできるはずがありません。なにしろ熱い湯をいれても、少しの漏れもないのです」
その浴槽はアイシャーの浴室に据えられてあるのと同じ形同じ大きさのもので、三人の大人がゆったり湯につかることができる。そもそもこのような巨大な磁器を遠方に輸送する場合には、途中で破損する危険度がかなり高い。従って窯元から特注の品物を送り出す際、同形同質の製品を別々の経路で送り出すのが常だ。安全策を考えれば沢山の同等品を送るのがいいのだが、この場合元々の浴槽自体が高価であり代価が二倍三倍となってしまう。アイシャーの浴槽の場合も二つ送り出すのが精一杯だった。というよりもその時の窯からは、何千個のうちたった二つしか完璧な品が出なかったというのが実情なのだ。
細心の注意を払いつつ輸送された浴槽だったが、最後の最後、王宮内の傾斜路を運ぶ途中で縄が切れて荷崩れし、三つに大きく割れてしまった。荷を運んでいた男たちは真っ青になった。彼らの命などでは贖えないほど高価な品だと知っていたからだ。もう一つの品は用意されているにしろ、彼らの責任は免れ得ない。ところがその時、冬の荒海を越えて緑茶を運んで来る船に便乗してトゥランにやって来た男が、その品を修復させてくれと名乗り出た。
トウベというその男は責任を問われそうになった者たちに同情しただけでなく、折角の名品が打ち捨てられるのを見るに耐えないのだという。材料として少なからぬ量の黄金を要求したため疑いの眼を向けられもしたが、アイシャーの「うまくいかねば浴槽を打ち壊せ。さすれば黄金は回収できる。駄目で元々なのだから、やらせてみるがよい」の一声で許しが出た。
結果としては成功だったわけで、男は面目を施した。美しい黄金の筋が白い磁器の肌に走るこの浴槽は、それでも「一度割れたものだから」と予備として仕舞い込まれていたのだが、今回の作戦のため私たちとは別の船便で送られて来たのだった。
「もし皇帝陛下がこの浴槽のことを知ったら、きっと欲しがるとあたし思いますわ」
「それは困る。あれを売るつもりなどありませんからな。どうぞご内密に、侯爵夫人」
「まあ、どうしましょう?」
「秘密を漏らされると、私は怖いですぞ」
「モニ、伯爵にご迷惑を掛けるようなことはやめておきなさい」
メルキオが顔色を変えて言った。
「あら、どうしたのジョシア? あたしがそんなことするわけないじゃありませんこと」
「それがいいです侯爵夫人。私たちだけの秘密にしましょう」
「いいわ、あたしたちだけの、ひ・み・つ、ね」
メルキオが手布を袖から出して額の汗を拭っている。
人の死、それは野生の獣の死とどう違うのだろう。『物語歌いの秘密の物語歌』を口語で書き、もう今は死んでしまったダンテ・デ・レアという男は、人間の死をどうとらえてあの詞を作ったのだろうか?
「どうされましたの、伯爵様? 急に黙り込んでしまって」
侯爵夫人が不思議そうに私を見て尋ねた。
「いや何、古い物語歌の最後の連を思い出していただけですよ」
「まあ、どんな連なの? あたしに教えて下さる?」
「いいですとも、こんな詩句です。
暁の貌の(彼の)人は
四つの平らな鏡面で囲まれた牢獄に乗り
幾千万の孤独を渡って来る(彼方より)
鋭く冷たい鋼の舌が(お前の)熱い身体に潜り込み
束の間の旋律を奏でる(お前の)心臓を求めて探っていく間
その痛みと悦楽に(お前は)呻き声をもらすだろう
告げるがいい(彼の人に)生にあるより死にある方がいい
けれど(人にとり)最善なるは 初めから現世に在らぬこと」
侯爵夫人は最初きょとんとした顔になったが、しばらくして言った。
「あの、難しい言葉の混じっている詩で、あたしよくわかりませんわ。でも……何か猥歌みたいで、とても面白かったですわ」
「おいモニ、失礼だよ」
「いやいや、侯爵夫人の言う通りですよ殿下。まったく卑猥な歌です。世俗的なね」
ギルベルトもリブロもあの歌に歌われている運命に囚われていた。それは『死』だ。死との円舞は甘く切なくそして容赦ない。怖れて当然なのだ。そして死を記憶している生者はいない。ルズが『機械の神』を掲げて登場した時、最も前衛にいた光明主義者たちがそれにしがみついたのも不思議はない。幻でも光は光なのだ。己の理性という貧弱な道具を使い尽くしていった結果、そこに闇だけを見いだした彼ら。光を持たない光明主義者などという自己矛盾を発見した彼らには、他にどんな路があっただろう?
「いや、侯爵夫人、あなたはとてつもない賢者だ」
私は笑いながらそう言った。
本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




