13.爛熟の円舞曲《ワルツ》 ◆13の9◆
「最初に十五碼の距離から互いに一発ずつ撃ち合い、その後互いに歩み寄って剣で戦う。使用する拳銃は立会人が用意し、決闘の前に点検すること。どの拳銃を選ぶかはコインの裏表で順番を決める。両者が発砲した後は、それぞれ己の持参した剣一本だけを武器とすること。楯や甲冑の使用は自由。どんな毒も使わないこと。徒で正々堂々と戦うこと。そしていずれかが命を失うか、致命傷を負うまで戦う。即ち決闘の場から歩いて立ち去ることができるのは両者の内一方だけであるべきこと。卑怯な行いがあった場合は死をもって償うべきこと。以上の条件を認め、勇敢に戦うことをそれぞれの名誉にかけて誓うか?」
朝方とはいえ陽もかなり高くなった晴天の元、私とギルベルトに問いかけたのはメルキオだ。それぞれの眼を見て意志を確認する。
「是」
「是」
それぞれが肯定の答えを返す。
昨晩メルキオは奴の知人だというルネ・ド・シャトーブリアンを伴ってペリゴルド氏の住居を訪れた。
『決闘法』に従うと立会人はそれぞれ二人ずつ必要で、決闘の受諾があった後、決闘する者同士は決闘の直前まで会うことができない。事前の話し合いはすべて立会人の間で行ない、決闘者はそれに従う。ペリゴルド氏の方はジャン・カルジュとかいう人物をすでに用意していた。四人の立会人の中から一人決闘の責任を負う者を決め、すべてはその指示で進められる。四人の協議でメルキオが責任者となった。
ペリゴルド氏は自分が責任者になるつもりだったようだが、生憎とメルキオの社会的地位が高すぎた。大公殿下を差し置いてペリゴルドがその位置を占めるのにはカルジュ氏も賛成できなかった。三対一というわけだ。だがペリゴルド氏は精一杯抵抗し、拳銃の弾は一発ずつだけ、それでケリが着かなければそれぞれ自由な剣と防具で、どちらか一方が命を落とすまで戦う、ただし毒はなし、という今回の条件を取り付けた。
いざ決闘の場であるボウルニューの森へ馬車で到着すると、ペリゴルド氏がどうして『一発だけの発砲と自由な剣と防具』にこだわったのかわかった。ギルベルトが全装甲甲冑を着用していたのだ。三百年ほど前に考案されたこの甲冑はマスケット銃の弾を防ぐ構造になっているが非常な重量がある。
通常でも四十斤、ギルベルトの体躯に合わせた物なら七十斤あるかもしれない。そもそもが馬上で使用することを前提として製作される物であり、徒で戦うための物ではないのだ。これでは私の撃つ弾は弾かれるか、運良く甲冑を貫通したとしても、その中に着ているはずのキルティングした下着にからめ取られてしまうだろう。そして驚いたことに、ギルベルトはその重い甲冑を着たまま軽々と歩き回り、やがて長さ五尺はあろうかというロングソードの素振りを始めたのだ。肉厚な刀身から考えて重さだって三十斤以上あるに違いないのに、まるでそれを感じさせずビュウビュウ音をさせて振っている。
メルキオが蒼い顔をして私に言う。
「これは不味いのではありませんか? 自由な防具と剣と言っても、あれは……」
「しかし昨夜の話し合いでは『最初は一発だけ拳銃を撃ち合う』『それから後の武器は剣』で『防具は自由に選べる』という条件で合意している。あれを拒否することは難しい」
これはメルキオの知人のシャトーブリアン。彼も納得はしていないが、今さらどうにもならないという顔だ。
「いやこれは、私の思う壺にはまったというか、相手があそこまで馬鹿だと助かりますな」
私がそう言うと二人は顔を見合わせた。
「負け惜しみではないだろうな。本当に勝ち目があるとでも言うのか?」
シャトーブリアンは懐疑的だ。一方メルキオは一縷の希望を持って私を見てから、決闘場に定めた樹間の広場に歩み出した。
「おや、これは逃げ出さずによく来たな!」
ギルベルトが私たち三人を見て大声で言った。
「ムシュー、戦いの前には口を慎んでもらおう。戦いの結果はすべて神の御手にゆだねられるのだからな」
メルキオがたしなめる。
「おう、これは失礼。俺が悪かった。では早速始めようではないか」
意外と素直にギルベルトが態度を改めた。私はこれからこの男を殺さねばならないのだ。
ペリゴルド氏とカルジュ氏が進み出て武器の確認をする。最初の武器は施条の無い通常の決闘用拳銃だ。造りは丁寧だが、要するに銃身の短いマスケット銃に過ぎない。次に剣だが、ギルベルトのロングソードは甲冑と同様家伝の名剣だそうだ。奴は一度鞘に納めた剣を抜いて見せた。これは毒が塗られていないことを確かめるためだ。シャトーブリアンが長い刀身を改める。
「この剣の銘は『高貴』、剣にかけて卑怯な振る舞いなどせん」
剣を高く掲げてギルベルトが叫ぶ。芝居がかっているが実は観客がいる。ペリゴルド氏の手代と小僧どもが木陰で三々五々見物の場所を定め語らっている男女に賭を募っている。何と女性の姿まで見られるのだ。勿論これから何が始まるか知らずにはるばるボウルニューの森までやって来るはずもない。そのうち冷たいレモン水を売り歩く売り子の声まで聞こえてきた。
「さて、ライト殿の剣は?」
カルジュ氏が尋ねる。この男の口髭は妙に垂れ下がって、鯰のような印象を受ける。人の生死を興味本位に見物しにくる人々に腹を立てていたせいで、そんなとりとめのないことを考えてしまった。
「この剣の銘は『折れぬ剣など無い』という」
剣を抜いてシャトーブリアンに手渡す。
「これは珍しい。黒い刀身とは! しかもこの形は」
カルジュ氏 が恐る恐る黒い刀身に指で触れた。
「俺は前に見たことがあるぞ。これは隕鉄で打った剣だ。ライト殿、お前を倒した後、俺がこの剣を引き継ぐとしよう」
「残念だがそれはできないな、ギルベルト殿。万が一私が倒れたとして、この剣の行く先は決まっている」
「おや、息子でもいるのか? だが、勝者の権利というものがあるだろう。このような剣には俺のような男がふさわしい。もしお前の息子がこの剣を取り戻したければ、俺に挑戦すればいい。いつでも受けて立つと約束しよう」
「まだ結果はわからないというのに、ずい分気が早いことだな。ではお前は何を賭けるというのだ?」
「この剣と甲冑では不足か?」
ギルベルトが手甲で鎧の胸をガシャンと叩いて吠える。
「そんな物、欲しいとは思わんな」
「では俺は全財産を賭けよう。どっちみちお前は負けて死ぬのだから同じことだがな」
「全財産だと! どうせ借金塗れだろう」
「ん? 俺に借金など無いぞ。そうだろう、アルマンド?」
ギルベルトが首をクイッと捻るようにしてペリゴルド氏を見る。
「ああ、お前には戦う以外の趣味が無いからな。お前には城があるし、今までのお前の取り分十二万エキュは私が預かっている。もしお前が賭けるというなら、その分の保証は私がしよう」
ペリゴルド氏がそう言って他の三人を見回すと、カルジュ氏が頷いて答えた。
「ああ確かに聞いた」
シャトーブリオンも頷く。
「賭屋の口約束は絶対と言いますからな」
約束を違えたら賭屋はやっていられないということだろう。ペリゴルド氏の口ぶりからすると、今までにもこういうことがあったのだろう。
「よかろう。では賭を受ける。だがこの剣を持って帰れるとは限らんぞ」
「これで戦いがいが増すというものだ、ライト殿。なあに心配するな。お前が運ばれて帰る頃には、その剣のことなどどうでもよくなっているさ」
ギルベルトはそう言い捨てると一度そっぽを向いた。その後ろ姿を見るとどうやら普段の人格から決闘モードへ切り換えているらしい。なるほど文明社会というやつの中で生きていくにはそんな術も必要なのだろう。決闘を生業とするということは要するに殺人者だ。獅子が放し飼いにされているに等しい。その姿をいつも世間に晒しているのでは周囲の不興を買うに決まっている。この男はこんなところではなく猛獣の跋扈する密林か、人のほとんど生きていけない砂漠にでも住むのがふさわしいのだ。
私は剣を受け取り鞘に戻した。シャトーブリアンとカルジュ氏が決闘用拳銃の装填を確認している。お互い頷くと拳銃を差し出す。コインの裏表ではギルベルトが先に拳銃を選ぶことに決まった。ギルベルトはカルジュ氏の持つ拳銃を選び受け取った。私はシャトーブリアンから受け取る。
「では、お互いに背を向け歩き出せ。私が一・二・三と数える。三つで止まって振り向き、撃つのだ。始め!」
メルキオがそう告げた。私はギルベルトに背を向け歩き出す。見物人の気配から奴も歩き出しているのがわかる。お互い背を向けていても殺気が感じられる。歩いている内にそれが気にならなくなり、あたりの様子が急に鮮明に感じられるようになった。私のことを考え、メルキオは十五碼いっぱいまで歩かせるはずだ。
メルキオが息を吸い込むのが遠くから聞こえる。
「一、二、三」
私はゆっくりと振り向く。ギルベルトがギシギシと甲冑を軋ませながら振り向くのが見えた。奴が発砲する。パァン、ヒュッ。弾丸が左耳の上を通過する。なかなか良い腕だが甲冑を着けた腕の重さに抵抗しようとして狙いが狂った。私は腕を伸ばして自分の拳銃を構え、引き金を引く。パァン。チュイーン。
言い忘れたが奴の兜は頭部全体を覆うものだ。眼の部分にある狭い隙間から私の弾丸は飛び込んだ。奴は何かわめきながら面甲をはね上げ手を突っ込む。どうやら致命傷にはならなかったらしい。
ギルベルトが手をのけると、開いた面甲部分から血まみれの顔が見えた。私の弾が頭部のどこかを傷つけたらしい。奴は怒り狂っている。冷静さを少しでも欠いてくれれば上等だ。勢いよく奴は剣を抜いた。
「高貴!」
奴が叫ぶ。何だ? 何かの呪いだろうか? 私は叫ぶつもりなど無い。
剣を振り上げてギルベルトが走り出した。私は草原で出会った雌獅子たちの襲撃を思い出した。奴より獅子たちの方がはるかに優雅だ。
私も抜剣する。
この剣はキタイの魔導院の長老が私への贈物として届けてきたものだ。実は一度折れた剣を長老が手に入れ、蒸し焼きにした石炭の炉を使って打ち直させたのだ。表向きは『折れぬ剣など無い』という銘だが、実は他に秘密の銘を持つ。そう考えている内にギルベルトが目の前まで迫ってきた。大上段から私の頭を狙って剣を振り下ろしてくる。チュィーン。とっさに自分の剣を上げて刃筋を逸らす。ギルベルトの剣が削れて火花を散らす。私の剣は削れない。ああそうだ、この剣は千人を切り千本の剣を折っても刃毀れ一つしなかったのだ。
ギルベルトが力任せに両断しようと剣を振り回す。キィーン。私の剣がしなるようにして滑り、奴の剣を弾く。また火花が散る。高く昇った陽の光の中でもその火花はよく見える。奴が体当たりをかましてきた。私は後ろ足を滑らせて身体を旋回させ、雄牛の突進をいなす闘牛士のようにそれを避ける。私の側を全身甲冑で覆った奴が駈け抜ける。
さすがにギルベルトも全装甲甲冑を着けてこれだけ激しい動きを続けた経験は無かったらしい。もういささか息が切れている。それでも奴が知る当たり前の相手だったら、奴の圧倒的な強さに押し潰され、とっくの昔に勝負がついてしまっていただろう。だが獅子や幽鬼たちと戦った経験のある私には、奴は格下の相手でしかなく、余裕を持っていなすことができた。
もし奴が全装甲甲冑などという物で全身を覆っていさえしなければ、視界も広く身動きも自由で、剣の勝負でもっと有利だったに違いない。だがその場合は、私は奴の目や心臓などの急所を拳銃の弾で打ち抜き、一瞬で勝敗を決めてしまったはずだ。
やがてその時がやって来た。真っ正面から突進して来るギルベルトから飛びのきざま、私は上段に構えた剣をしなるようなスナップをかけて振り下ろす。キャッシャーン。
奴の兜の天辺から五寸ほどの深さに、私の剣の切っ先が食い込む。飛び退きざまさらに剣を上段に構えて残心を取った私の前で、奴は両膝を着き、やがて倒れた。
「真実の祈りを神の前に。祈れ、ギルベルト」
私は呟いた。
本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




