13.爛熟の円舞曲《ワルツ》 ◆13の6◆
私に『神』になれ、アイシャーは本当にいとも簡単にそれを口にした。その時私の脳裏に浮かんだのは、屠られた聖牛が生贄を焼く白い煙と共に天に昇り神となるというマーヤの信仰だった。だが無論これはマーヤではなく、フランツ帝国での作戦である。
「フランツ帝国の『機械の神』になれということですか?」
「そうでもあり、違うとも言える」
アイシャーがこんな風に微笑みを見せる時は何か危険なことを考えている。いつもそう思って用心するのだが、結局私は巻き込まれてしまうのだ。まったくどうしてこんな女と関わり合いになってしまったのだろう。
「そうでもない、と言うのは?」
「安心せよ、お前は本物の『神』になる必要はない」
「では、偽物の『神』になれということですか?」
「いや、ルズになるだけでいいのだ」
「その男は死んでいるはずです」
「好都合なことだ」
「私に死んだふりをせよと?」
「生き返ったと言えばいい」
「誰が信じますか! 下手するとまた殺されるのが落ちです」
「今『また』と言ったな。その調子じゃ」
「いや、それは言葉の綾です」
「というわけで、皆も協力するようにせよ」
「アイシャー様、もう少し説明せねばわかりません」
ジェニが僅かに声を強めて言った。アイシャーという女は頭が良すぎるのだ。そして自分が分かることは相手も理解できると思っている。少なくとも私たちに対してはそうだ。それだけ私たちを対等な相手と考えていると思いたいが、それにしても今のように非常に困ることがある。
「なんだ、わからないのか? だいたいライトがただパリスへ行ってもまともに相手にされるわけがあるまい。敵国人だと捕らえられ、骨の河原の立役者とあらばそれこそ処刑されるのが落ちじゃ。かと言って身分を偽って入国すれば、肝心の時に対応を誤りかねない。うわべだけの嘘は、露見した時一番の弱点となる。だからライトには嘘偽りのないエンテネス伯爵としてフランツへ行ってもらう。相手が勝手にライトの正体をルズだとか他の何かだと考えるとしても、それはこちらの責任ではない。現にあの三人は、三人三様にではあるがライトがルズであればいいと考えている。だから彼らがそれを信じ込み、フランツ国内の各階層にそのことを広めるよう、こちらは黙って手助けしてやろうではないか」
「手助け、ですと!」
「具体的にはどうされるおつもりですか?」
嫌な予感にとらわれ思わず悲鳴を上げかけたのが私で、説明を求めたのはジェニだ。
「あの三人以外からの情報も利用し、いかにもルズらしく装うのだ。費用は惜しまない。際限のない戦いに引きずり込まれるよりは多少の財物を費やした方が、どう考えても節約になる」
「多少と言うと、どの位をお考えか?」
サトゥースが興味津々という表情で身を乗り出し尋ねた。
「まずフランツの銀で二十万エキュ、王家の宝物庫から八十斤ほどの宝飾品、それから王家の牧場から駿馬三十頭、妾の持参金の中から花器や什器と服飾類、ハーリティ神殿から没収した財物の一部、当座はそんなところか」
私たちは絶句していた。二十万エキュはまだいい。どうせ交渉事には賄賂が付きものだ。国家の命運を左右するとなれば納得もできる。だが宝飾品を重さで量るなどという見積は初めてだ。しかも王家の宝物庫に納められている宝飾品なら、そこらの優男が小娘に贈るような安ピカ物ではないはずだ。
「アイシャー様の持参金も使われるのですか?」
「ああ、気にするなライト。元々あれは『贈答品』つまり『賄賂』として使うため持参したものだから黒蓮の紋章が入っていないのじゃ。だから出所を説明する必要もない。無論このことは陛下も了承済みじゃぞ」
妻の持参金はその女自身に属する物だが、それを使うに当たっては夫の助言に従うのが良い妻ということになっている。コデン王がそれを是としたなら私にはそれ以上言うべきことが無い。
「神殿からの没収物というのは?」
ジェニがいぶかしげに聞いた。
「こけおどしの神像や壁掛け、儀式に用いる仮面や楽器、それに衣装などだな」
「そんな物を何に? ひょっとして、また大砲を造れとでも?」
サトゥースが口を出す。こいつの頭の中には武器しかないのか?
「壁掛けで大砲をか? 面白いことを言う奴じゃ。しかも一考に値する。お前の頭もなかなかなものだのぅ、サトゥース」
アイシャーに褒められたと取ったのだろう、サトゥースが顔をほころばせた。私にはどう考えても揶揄されているとしか聞こえないのだが。
「黒蓮も、つまりカラ・キタイもこの作戦を支援する。ハサスや乱破の活動費はカラ・キタイが出す。カラ・キタイとしてはフランツ帝国との間にトゥランという緩衝地帯をぜひにも維持したいところじゃからな」
「父君の了承も?」
「ああ、得てある。それよりも妾はこの作戦に、キタイ帝室の支持を取りつけたいと考えておる」
「そこまで手を広げては秘密が漏れるのではありませんか?」
ジェニが心配そうに言った。もっともそれが分かるのはジェニと長く一緒にいるからで、初見の相手ならそっけない物言いとしか感じないだろう。
「実はな、もうすでに魔導院から接触があったのじゃ。相変わらず何を考えているのか分からぬ奴らじゃ。モルを滅ぼした我らに敬意を表すという書き出しで、今後フランツ帝国との戦いで同盟を組まぬかという書状をよこした」
「骨の河原や牙の岬の戦果に感心したのでしょう」
ジェニがそう言うとアイシャーは首を振って答えた。
「あ奴らはすべての中心は自分たちであると考えておる。あ奴らの一員を倒したことの方が、陸戦や海戦での勝利などより重要なのじゃ……少なくとも表向きはそう振舞っていると言うべきであろうか」
「キタイのことはさて置くとして、私はどんなことをすればいいのですか?」
「私たち、です!」
私の言葉をジェニが訂正した。
「私たちは何をすればよいのですか?」
私が言い直すとアイシャーは微笑みながら答えた。
「ライトを、エンテネス伯爵を、彼のルズという男だと奴らに信じ込ませるのだ。妾が命じて集めさせた資料によると、この人物は東方より来たと称していたらしい。大層な知恵と富の持ち主で、金剛石の傷を消したり病人の病を治したりなどという奇跡を行ったと言う。そして謀殺される際、自分はきっと甦って還ってくると予言したということだ」
「と言うことは……」
「ライト、お前の得意のはったりと弁舌で後は何とかするがいい」
結局すべては私に丸投げするということか!
と言うわけで、ジェニはパリスの社交界に単なる年若い乙女としてだけお披露目するわけにはいかなかった。東方からやって来た秘密めいた過去を持つ姫君、これまた謎に包まれた人物エンテネス伯爵の愛人、あるいは美しいが奴隷の身にある悲劇の貴婦人……いかにもパリス社交界の人々が興味を引かれつつも、危険だと感じて尻ごみするような設定だ。よほど自分の力に自信のある人物しかジェニに近寄っては来ないだろう。例えば皇帝やその周辺の権力を持つ人間たち。あるいはよほど無謀な人物、歴戦の勇士だと名高いエンテネス伯爵に決闘を申し込むような人間だ。そのどれもを相手取るのが私の任務ということになる。いやはやアイシャーに出会ってから、退屈な人生を送る心配だけはしなくて済んでいる。
本作品に登場する、人物、国家、民族、神等はすべて架空の存在であり、実在のものとはまったく関係がありません。




